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教育学術オンライン

平成26年7月 第2570号(7月2日)

改革の現場
 ミドルのリーダーシップ <65>
 徹底面談等で就職100%
 急速な学部増で飛躍的発展
 中部学院大学


 中部学院大学は、1918年、片桐龍子女史により創設された岐阜裁縫女学校が起源で、戦後、クリスチャンだった片桐 孝女史が理事長に就任した際、キリスト教主義学校として再建した。1967年には短期大学、1997年には人間福祉学部の単科大学を開学。その後、2006年に各務原キャンパスを新設するとともに、2007年に子ども学部、2008年に経営学部を設置した。また、2007年、関キャンパスにリハビリテーション学部理学療法学科を設置、2014年には学部名を看護リハビリテーション学部とするとともに看護学科を増設した。急速な発展について、田村弘司事務局長、田内英臣教務部長、菊池 真企画戦略室長に話を聞いた。

 急速な拡大のきっかけの一つが各務原キャンパスの開設である。この経緯について、田村事務局長は説明する。「元々岐阜大学農学部があった土地ですが、岐阜市内への移転もあり、市から本学に大学誘致の相談があり、土地の無償貸与により新設しました。市側からの要望や、短期大学に関連学科もあったことから、子ども学部(当時は子ども福祉学科)と経営学部を設置しました」。大学は人間福祉学部から始まったが、大学経営冬の時代を見越し、医療、教育、経営に拡張する構想は、すでに片桐武司理事長の考えにあった。
 特筆すべきは就職率100%(2012年度)の実績。短期大学に至っては12年間連続である。この達成には、クラス担任教員が最後まで責任を持って就職支援する短大時代からの伝統がある。「学生支援ファイル」というデータベースには、学生の面談結果や履修登録、出席状況、クラス担任の報告等が書き込まれ、教職員はいつでも閲覧して支援ができるようになっている。
 地域貢献にも力を入れる。「大学祭を拡大した“いきいき地域たのしみん祭”では、地域の教育機関や福祉施設が合同で実行委員会を作り、地域交流イベントを行います。毎年1万人以上が参加して盛大に開かれます。これも短大からの伝統で、教職員が積極的に地域に関わっています」と田内教務部長は話す。
 急速な組織の拡大とともに、増大する各種委員会数の整理や法人・大学・短大の意思決定機構が課題となり、組織改革のためのワーキンググループでの議論を通じて2012年に大きな組織改革を行った。また、迅速な経営の在り方に問題意識があった片桐武司理事長も後に議論に加わる。
 理事会は年に4回だが、理事長、両学長・副学長は、毎月の“ティーミーティング”で三者間の方向性を確認する。更に両学長・副学長に加えて事務局長、事務局部長、担当職員が参加する学長・副学長会議では、大学に関わる根幹の議論を行う。まさにこの会議が改革アイデアの発信源であり、これは原則的に月に一度であるが、最近は回数が増えているという。「これまではこうした議論は非公式に行われていましたが、どこで誰が決めているのか分かりづらいという内部の意見があり、「公式化」したというのが実情です。こうして大学と短大の一体的な管理運営が可能となっています」。これらの会議の取りまとめや、トップと現場とを調整する機能として、企画調整室が誕生した。「当時は何をして良いかも分からない組織でしたが、徐々に法人、大学、短大、あるいは、事務局の各部局を横断的に繋ぎ、学長の提案をまとめていく学長室のような部署として学内でも認知されるようになってきました」。調整機能といっても、もともとそれほど縦割りの組織であったわけではない。これまでも職員は相互の異動があり、一体的な大学・短大運営は心がけてきたことではあった。 
 これまで学科会議はあったが学部教授会はなく、月に1度の全学の「教授会」しかない。大学評議会は大学・短大合同で、両学長・副学長、学部長、学科長、センター長、事務局長が参加し、大学と短期大学の歩調を合わせ、大きな方針を定めるために行われる。これも月に1度で、各重要会議は平均していくと、週に1度これらの会議があることになる。
 FDは四学部全体を通して、初年次教育や退学問題などを全学的にワークショップ形式で議論した。全教員とテーマによっては職員が参加し、各学部の代表が日常的な取組の発表後、学部横断的に議論が行われる。SDは、年に数回、部局毎に議論される。
 ややもすればすぐに組織は縦割り化してしまう。大きな組織の弱点もまた、縦割りであろう。 重要な視点は、部局間の繋がりを意識する点ではないだろうか。

国試対策、現場主義教育を推進
桜美林大教授/日本福祉大学園参与 篠田道夫

 1997年、岐阜県初の福祉系4年制大学として関市に誕生した中部学院大学は、後発新設校を意識し、その後、急速に3学部を増設、福祉を核にした小規模総合大学として基盤を固めてきた。創立当初の人間福祉学部に加え、2007年、各務原キャンパスに子ども学部、同年、関キャンパスにリハビリテーション学部、2008年には各務原に経営学部、2014年にはリハビリテーション学部に看護学科を増設、看護リハビリテーション学部に改組した。極めて短期間に総合大学へ飛躍的に発展してきた背景には、関市の立地から来る学生確保の厳しい現実に立ち向かい、教学充実とニーズに合った学部新設へのたゆまぬ挑戦がある。
 人間福祉学部は、ダブルライセンス、社会福祉士に加え精神保健福祉士、介護福祉士、中・高教員免許が取得できるカリキュラムを組み、2012年の東洋経済「本当に強い大学」で文系就職2位、同年、国試合格率、社会福祉士30.8%、理学療法士94.3%と全国平均を大きく上回る。経営学部も従来型インターンシップを超えた長期職場実習プログラムで徹底した現場主義教育を行う。経営学部とシティカレッジ・会計プロフェッショナルコースの学生が2012年の簿記インカレ全国大学対抗簿記大会で団体、個人戦でいくつかの級で優勝した。東大や一橋大などそうそうたる参加大学の中での成果で、優勝した学生3人は岐阜県文化・スポーツ功績賞も受章した。
 7〜10人の少人数クラス・ゼミでクラス担任と学年担任制のダブル担任制を敷き、クラス担任からこぼれた学生は学年担任が拾うことで、1人の落ちこぼれも許さない手厚い体制を敷く。これに加え、パソコンスキルを教える情報活用論の授業担当者が活用論担任として、一人一人のパソコン操作をサポートする。
 文科省の大学教育・学生支援推進事業に採択され、「進路決定率100%、進路満足度100%の巣立ち支援体制の確立」をテーマに活動、アンケート調査による満足度は、雇用側=2007年77%→2010年86.7%、学生側=2007年72.2%→2010年85%に上昇、3年以内早期退職率も21.6%(全国平均31.1%)と少ない。その推進のために、独自の学習PPMプログラムを導入、これにより基礎・教養・専門・キャリアの各教育を結び付け、学習意欲と能力開発を促す指導プログラムを開発した。また、学生支援ファイルのシステムも開発、学生基本情報、成績・出欠・ケア履歴・就職登録を一元化、迅速な対応と支援を強化した。
 就職は、2012年、開学以来初めて、全学部、短大も含め100%を達成、社会福祉学科は10年連続、短大の幼児教育学科は11年、100%が続く。これも学生1人に対し年間平均15回の個別面談をするなど、徹底したマンツーマン指導の成果だ。
 学募対策も強化、性格や資格・志向が異なる学部の学募方法を工夫、1高校6回を目標に訪問し高校訪問担当の入試アドバイザーを配置する。子ども、経営、看護リハは定員を充足するが、人間福祉はやや定員割れ、教育実績をアピールし全学あげた努力が続く。通信教育部も700人を超える学生が学ぶ。
 大学運営は、小規模単科大学時代からの転換期と位置付けるが、2012年度より学長・副学長会議を新設、大学、短大両学長、副学長のリーダーシップ強化を図り、教養教育の見直し、キャリア教育の充実、学院創立100周年アクションプラン、通信教育の将来構想など大きな方向性を提起する。学部教授会は無く、教授会は4学部合同で行い、学長直轄で全学改革を推進する。大学評議会は大学・短大一体の意思決定機関として機能する。大きな改革プランは、理事長、学長の発想に基づき、企画戦略室(2011年設置)が調査、素案とりまとめ、理事長、学長、事務局長等の打ち合わせを通じて形にしたうえで、理事会や教授会に諮る柔軟性と機動性のある運営を行う。
 中期構想等はないが現実感ある経営で、自治体からの誘致等のチャンスを逃さず機敏に決断することで確実な経営拡充と基盤強化を実現してきた。その結果、連続的な大改革とキャンパス・学部増設を断行、地方の厳しい環境に耐えうる大学づくりに成功している。



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