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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.371
教育特区とは何だったのか 株式会社立大学の導入経緯と論点(上)

今野 雅裕 (政策研究大学院大学教授・学長特任補佐)

 はじめに
 今日、構造改革特区制度を活用しての教育改革が各地でさかんに試みられている。小学校での英語教育の実施は、今次の学習指導要領改訂での高学年での全国導入を導いた。小中一貫教育は義務教育全体の効果的な教育課程の再編成につながり、不登校児のための学校設置や独自の教育課程編制などもダイナミックに展開されてきている。ところが、同じ特区法に基づく改革でも、株式会社による大学の設置運営については一般からの違和感は強い。学校という公共性の高い事業が、利益追求を第一義の目標とする株式会社によって直接経営されて良いのかとの疑問がある。実際、設置後、少なからず問題が生じ、さらなる展開という状況にない。公教育制度内での規制緩和と企業による公教育参入といった改革の質的な違いがその成否を分けているようにも思われる。
 ここでは、株式会社が大学を設置運営する制度がどのような経緯で導入されたか、その際の論点はどうだったのかについて、実際の制度導入の流れに沿って振り返ってみたい。紙面の都合上二回に分け、導入の経緯を(上)、主な論点を(下)として述べる。
 一. 制度導入の経緯
 (1)構想の提起

 株式会社による大学設置という奇抜なアイデアが、規制改革の会議で出されたのは比較的早い。平成13年5月には総合規制改革会議で八代尚宏委員からペーパーが配布された。医療・福祉、教育など多くの社会的分野で、「営利性」の排除を根拠に、株式会社の参入が禁止・規制されているが、その結果、競争が制約されるために、サービスの高コスト構造、予算制約から供給不足、消費者間の不公平等の問題が発生しているとして、株式会社の参入規制を見直すべきと訴えた。平成13年11月の経済財政諮問会議では、宮内義彦委員が「15の重点提言事項」を提出し、教育に関しては、大学・学部・学科の設置・改廃及び学生定員に関する認可制の廃止、国立大学の独立行政法人化などのための法制度整備に加え、学校経営への株式会社等の参入規制の撤廃が挙げられた。なお、この日の会議議事録には小泉総理の次のような発言が記されている。「どうせ規制改革をやるんだったら、一番反対の強いところ、医療機関経営の株式会社参入、国立大学の株式会社参入、それから農業の株式会社、この三つの模範的な良いものを作って下さい」「本当に医療機関、大学、農業、ここに株式会社をどういいものを参入させるかという方法論を考えた方が良い。もう『検討』とか、『視野に入れる』段階じゃない。一番嫌がる、一番抵抗の強いところからやりましょう」とある。小泉総理の大学への株式会社参入の極めて強い意志が伺われる。
 さらに総合規制改革会議では「官製市場」なる用語まで使って、教育を含む社会的規制分野への企業参入を本格的に要請した。こうした議論が、一般論から個別具体案件に対する対応に余儀なくされたのは、構造改革特区法成立に伴う、地域からの具体的な規制改革のアイデア・申請という独自の仕組みからであった。経済の活性化が目的とされたが、教育もその対象とされた。地域からの教育での規制改革案の中には、民間企業・団体による学校設置運営も含まれていた。地域からの申請のとりまとめを行う内閣官房特区室などを通じて、市町村などとのシビアな議論が行われるようになった。
 (2)文部科学省側のスタンス
 規制改革側の要請に対して文部科学省側は、「学校は、「公の性質」を有するものであり(教育基本法第六条)、その設置と運営は、国家、社会として責任を持って取り組むべき、極めて公共性の高いものと考えている。営利目的で事業を行う株式会社等が学校の設置者となることは、このような学校教育の性質に鑑みれば、極めて不適切であるとともに、学校教育に必要とされる安定性・継続性が確保できない恐れがあることをはじめ、具体的にも多くの問題がある」と一貫して拒否の姿勢を保った。その上で、「株式会社であっても学校法人を設立することにより大学等を設置することは可能」であることを示し、そちらへの誘導を図った。株式会社が学校法人を設立するのが困難な最大の理由が、校地校舎の自己所有であるところから、特区特例(その後全国化)として「校地校舎の自己所有原則の緩和」を認めている。これは、学校法人による私立大学設置という学校法制の基本を維持しようとする固い決意の現れでもあった。しかし、規制改革側は、はじめから一貫して株式会社そのものによる学校設置・運営を要求していたわけで、この措置は相手方の譲歩を引き出すものとはなり得なかった。
 (3)導入のいきさつ
 文部科学省と特区室や総合規制改革会議等とのやりとりは、真っ向から対立したままであったが、平成14年の暮れに、拮抗していた状況が一気に逆転したものと思われる。平成14年12月29日付け日本経済新聞には「構造改革特区での教育分野での株式会社参入について、文部科学省は28日までに、容認する方向で検討を始めた」と、同日付の朝日新聞でも「文部科学省は、構造改革特区に限り、一定の条件を設けて株式会社の参入を認める検討を始めた」とある。平成15年2月11日付け毎日新聞の記事「地方から『改革特区』考」は、「昨年12月中旬、小泉純一郎首相は遠山敦子文科相を官邸に呼びつけこう指示した『地方からの要望が多い株式会社参入を進めてほしい』ちゅうちょした遠山氏が『検討します』と答えた途端に、首相は傍らの机を激しくたたき、『やると言ったら、やるんだ』と激怒。結局、文科省は今年1月、正式に株式会社参入を容認した」と臨場感のあふれるものになっている。平成15年1月7日の遠山文部科学大臣の記者会見では、教育分野への株式会社参入について聞かれ、「教育の持っている公共性、安定性、継続性をしっかり確保できるのであれば、できるだけ柔軟に対応する必要があろうかと思っている」と語っている。この段階では、株式会社参入容認の前提で会見に臨んでいたことが伺える。また、この問題に直接かかわっていた下村博文衆議院議員の「学校を変える!『教育特区』」(2003)には、「文部科学省側が、12月末、『特区』における株式会社の参入を認めたのだった」との記述もある。文部科学省としての政策転換は平成14年暮れに行われ、翌15年の年頭に公表されたと見ることができるし、この背景には、小泉総理の極めて強いリーダーシップの発揮があったものと察せられる。この後すぐに、特区法改正案が策定され3月18日に国会に提出され、5月30日に成立、6月6日に公布された。これにより、地方公共団体からの申請に基づき、特区における株式会社による学校設置認可の仕組みが導入されることとなった。

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