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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.365
高等教育のグローバルな潮流 AHELOの今後の展望(上)

本間 政雄(立命館副総長(新戦略・国際担当)・立命館大学教授)

 一、国際会議から見える高等教育のグローバル課題
 昨年秋から今年にかけて、海外出張が相次いだ。経済協力開発機構(OECD)の「高等教育機関の管理運営プログラム」(IMHE)の2年に一度の総会・シンポジウム「高等教育の成果:質、(社会や企業ニーズとの)関連性、貢献」(9月)、同じく「教育研究革新センター」(CERI)が設立40周年を祝って開催した一連のシンポジウムの最後である「高等教育の未来」をテーマにしたシンポジウム(12月)であった。(いずれも、OECD本部のあるフランス・パリで開催)
 筆者は英国とも縁が深く、12月にブリティッシュ・カウンシル主催の「Going Global 3」という大学の国際化に関する大規模な国際フォーラムに招かれて、立命館の国際化戦略について講演したほか、今年2月には「大学の地域貢献やEmployability強化を目指した大学教育」等をテーマにした日英学長会議に出席し、その一環としてボーンマス大学を訪れた。
 アジアでは、中国の国家教育行政学院が開催した「大学経営スタッフのリーダーシップ育成に関する国際シンポジウム」(北京・10月)に出席して、18歳人口の急減に伴う高等教育市場の縮小と政府の厳しい行財政改革により、国立・私立を問わず日本の大学に経営力と大学改革に向けた強いリーダーシップが求められている現状について報告した。一方、11月には法人化を間近に控えたソウル国立大学の「法人化検討委員会」の招きでソウルへ赴き、延々3時間以上にわたり、我が国の国立大学の「法人化後の世界」について報告し、質問を受けた。
 こうした限られた経験だけで「高等教育のグローバルな潮流」を論じる気はないが、しかしこれらが「高等教育の質」、「高等教育の国際化」そして「高等教育のマネジメント」をテーマにしているのは決して偶然ではなく、我が国や先進工業国で起きている課題が実は多くの場合共通していることを示唆している。
 日本国内に留まって、日々の仕事に追われていると、国内で起きていることが日本だけの現象であるかのように考えがちであるが、海外に出ると実はそうではないことを実感する。大学補助金の削減、大学経営の効率化や、外部資金の増加を求める政治的な圧力の増大、大学のユニバーサル化と高等教育の質の確実な保証を求める動き、大学の社会的説明責任を問う声の高まり、国境を越えた教員や学生の移動の増加、大学「運営」から大学「経営」への転換、教員を中心とした大学マネジメントから経営のプロフェッショナルによる大学経営への移行など、各国共通の潮流を見出すことは難しくない。事実、OECDが昨年夏に刊行した「知識社会における第三段階の教育」と題するOECD諸国における高等教育政策の総合的なレビューでも、高等教育のガバナンス、財政、質の維持・改善、機会均等、技術革新における役割、教員のあり方、労働市場との連関、国際化が共通課題として挙げられている。(Tertiary Education for the Knowledge Society:Vol 1, 2)
 二、高等教育の質向上を促すAHELO
 中でも、オーストラリア、ニュージーランドや北欧諸国など7カ国の進学率が七割を超えるなどユニバーサル化が着実に進む高等教育の質をいかにして保証するかはOECD諸国の最大の課題である。OECDが、昨年から「高等教育の学習成果の評価」(AHELO:Assessment of Higher Education Learning Outcomes)の3年後の本格実施に向けて「可能性調査」を始めたのは、まず何よりも高等教育の付加価値に関する実証的なデータを集めることが、教育力向上への出発点であると考えたからである。
 筆者は、07年4月から10月にかけて米国、フランス、韓国で開かれたAHELOに関する上級専門家委員会のメンバーとして招聘され、議論に加わってきたので、現在もこのプログラムには大きな関心を持っている。12月のフランス訪問時には、AHELOの責任者であるKarineTremblayとAHELOの今後の展望などについて話し合ってきた。
 AHELOは、現代社会が求める「学力」の内容と基準を定義した上で、大学生の学習到達度を客観的に測ろうという試みであるが、こうした動きの背景には、膨大な公費を飲み込む高等教育が、人材育成の面で果たして投資に見合うだけの効果を挙げているのかという政府、産業界からの強い疑問がある。「人的資源こそ経済発展、社会開発の鍵」と考えるOECDが高等教育の「経済効果」に強い関心を持つのは当然であり、それがAHELOを支持する各国の政治的動機である。
 AHELOは、15歳段階での学習到達度を測る「PISA」と同じく、国による教育制度や目的の違い、文化的・言語的差異を超えた共通の基準で「学力」を測ろうとするプログラムであるため、常に国際比較を行おうという政治的力学が働くことは事実である。現に、PISAでは、3年後との測定結果により国別のランキングが発表され、実施する度に順位が低下する我が国やドイツなどで過剰なほどの反応を引き起こしている。それらを受けて、AHELOに関しては、専門家会合では、国別のランキングを行うのが目的ではなく、何よりも個々の大学に学習到達度に関する客観的なデータを提供し、質の維持・向上に影響すると考えられる様々な要素との関連を明らかにすることによって改革を促すことを目的とすることが確認された。
 現在、我が国では中教審にWG(ワーキンググループ)が設けられ、可能性調査参加に向けて議論が行われているが、教育社会学者や大学学長などから慎重論、反対論が多く出されていると漏れ聞く。確かに、義務教育修了段階の「学力」を測るPISAと異なり、大学で養成すべき「学力」の内容・水準は、国によってもまた大学によっても異なるし、21〜22歳時点での多様な経験に基づく「学力」をすべて大学教育に帰することにも無理がある。WGにおける議論は、そうした点に関する根本的な疑問を衝いたものであろう。Karineの話でも、AHELOのFS(フィージビリティスタディ)実施には各国の教育大臣が賛同したにもかかわらず、いざFSが動き始めた途端に、大学関係者から異論や慎重論が出ているという。
 にもかかわらず、AHELOは結局実施されるであろう。それほどまでに各国の財政は厳しく、年金・医療・福祉・雇用対策・環境保全などに膨大な財政支出が必要な中、年々増加を続ける高等教育費用を正当化する必要が大きいのである。教育の「効果」を客観的に測るべきとの議論が出る度に、我が国ではそれは何十年後かに初めて明らかになるものであり、短期的かつ短絡的な測定には馴染まないといった議論が、我が国の大学関係者から出されるが、AHELOに代表される国際的な動きは、こうした言辞ではもはや乗り切れないところまで来ていることを示している。
(以下続く)

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