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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.346
大学院問題を考える 知識基盤社会に向けた改革プランを

 私学高等教育研究所客員研究員 山本眞一(広島大学高等教育センター長)

 去る10月16日から18日にかけて、私の勤務するセンターで大学院教育に関する国際ワークショップとそれに引き続く研究員集会を開催した。前者は英語で、後者は日本語での会議であり、この三日間は国際と国内を行き来する忙しい日程を過ごした。

 〈世界の高学歴化という流れの中で〉
 学士力という言葉に代表されるように、大学改革といえば学士課程教育の在り方に関心が集中している感のある中、今なぜ大学院か? それは、質の高い大学院教育とそれを意味あるものとすることが、わが国社会の今後を左右する問題であるからに他ならない。わが国が戦後永らく学歴社会論を巡っての“神学論争”を続けている間に、世界では、途上国を含め人材の高学歴化が大きなトレンドとなってしまった。わが国の官僚が世界各国の同輩の学歴の高さに驚き、また大学の教員も、海外に行くと博士(Ph.D.)でなければまともに相手にされないという現実に直面している。学歴・学位という問題に対してこれまでとは異なる真剣な取り組みが求められるところである。
 とはいえ、学位を出す大学院がお粗末なままでは何にもならない。また、大学院レベルの人材の必要性が叫ばれつつも、理系ではともかく、文系では行くべき人材が大学院に行かず、現実に大学院に進学する学生は玉石混交という現実を何とかしなければならない。大学院改革を制度面だけではなく、実態面から分析し、必要な改革プランを立てなければならない。
 このように改革の必要性が高まる中、我々は文部科学省から新規予算を得、今年度から五か年計画で、わが国の大学・大学院を21世紀知識基盤社会にふさわしい形に改め、わが国発の知識を創造し積極的に世界に発信するとともに、地域や世界に貢献する高度な能力を備えた人材を養成しうる高等教育システムの構築に向けて、必要な政策に関する研究を行うこととした。当面は、とくに大学院問題に重点を置いて研究活動を進める予定であり、その研究活動の一環として、国際ワークショップを開催し、また毎年開催している研究員集会も大学院教育にテーマを合わせることにしたのである。

 〈三か国から専門家を呼ぶ〉
 ワークショップでは、大学院教育の制度や位置づけ、改革の方向などについて情報や意見を交換し、論点を整理するため、米国、ドイツ、韓国からこの問題に詳しい専門家を招き、これにわが国の状況についての発表を加えて4件の講演と、講演者全員によるパネルディスカッションを行った。
 はじめに講演に立った米国ワシントン大学高等教育研究センター長のマレシ・ネラド博士は、米国における大学院、特に博士課程教育の現状を説明するとともに、大学院の質の保証やプロフェッショナルとしての能力養成など、現在米国で課題となっているいくつかのことがらについて、調査データなども示しつつ、わかりやすく解説した。米国の大学院にはそれなりの問題点があるとはいえ、やはり制度も実態も充実しているという感想を持った。
 筑波大学大学研究センターの小林信一教授は、近年わが国の大学院の規模が急速に増大し、さまざまな歪を抱えていること等について、工学系大学院の実態を紹介しつつ説明した。修士課程はともかく、博士課程に進学する学生の相対的な少なさは、わが国社会における博士学位の問題と連動しているようで、非常に重要な問題であると感じた。
 ドイツ・カッセル大学高等教育研究センター長のバーバラ・ケーム教授は、いわゆる「ボローニャ・プロセス」の進行の中で、これまでヨーロッパにおける伝統的な博士養成方式が、米国型の学士・修士・博士という新たな高等教育システムの構築に伴い、さまざまな緊張関係に直面していることを語った。教授の話からは、ヨーロッパ諸国にはわが国の論文博士に似た制度や、留学生向けの特別な学位プログラムなどさまざまな種類の博士学位があることを窺えたが、これらが新たな高等教育システムの構築の中でどのようになるのか、興味のあるところである。
 韓国高麗大学大学教育研究センター長のシン・ヒュンソク教授は、最近の韓国高等教育政策とその方向性について説明するとともに、その中で米国型高等教育システムを広範囲に受け入れた韓国にも、独自の文化・社会的背景から来る問題があることを述べた。教授は、日中韓の三国には欧米とは異なる文化的共通性があり、これを考慮しなければ改革がうまくいかないとの意見を持っていたようだが、この点は私も賛成である。
 シンポジウム二日目には、講演者全員が登壇して、私の司会によりパネルディスカッションを行い、大学院制度の各国・各地域の共通点と相違点、大学院教育の目的・目標、質保証、雇用における需要と供給などを巡り、フロアからの質疑も含めて活発な意見交換が行われた。わが国では、主として供給側(大学)の事情によって、大学院教育が急速に大きくなってきたが、この大きくなった大学院を科学システムおよび高等教育システムの双方の視点からどのように位置付けていくかが大きな課題ではないだろうか。

 〈国内での大学院問題も議論〉
 国際ワークショップに引き続き、17日午後からは第36回研究員集会を開催し、一日目はIDE大学協会中国・四国支部との共催という形で進行した。ちなみに、この研究員集会は、我々のセンターが「大学教育研究センター」と呼ばれていた時代から続く伝統あるもので、センターの最重要行事として位置づけているものである。基調講演者は、関西大学の竹内 洋教授と東北大学の原山優子教授であった。
 竹内教授は、自らの体験も交えて、文系の大学院はバブル期まで定員充足を気にすることもなく研究者養成に専念していればよかったが、現在は定員充足と専門職業人養成にも気を配らなくてはならず、しかも競争的環境の中にあってアカデミックな学問研究は瀕死の状況だとし、その改善を強く示唆した。また、原山教授は、総合科学技術会議議員であった経験から、科学技術基本計画やそれにもとづく政策の意味合いを解説するとともに、政府の改革策に受け身で臨んでいる今の大学・大学院の姿勢に危惧の念を示した。
 二日目は、四人の講師から話を聞いた。大学院の質保証という観点から千葉大学の前田早苗教授、米国大学院の財政基盤について名古屋大学の阿曽沼明裕准教授、理系大学院教育の事例として広島大学の相田美砂子教授、米国の経済系大学院の厳しい教育訓練体系について広島大学の渡邉 聡准教授から、それぞれ発表があった。四人の話は、必ずしも同一次元の話ではなかったが、大学院の質の保証や財務基盤の強化、教育訓練の体系化など、日米比較をする中で、我々にとって参考とすべき多くの情報が得られたことは大きな収穫であった。

 〈大学院の改革課題を認識する〉
 終わりに、コメンテーターを務めた天野郁夫東京大学名誉教授からまとめをいただき、その中でもらった「日本の大学院制度は、大混乱に陥っている。新しい資源投入、とくに教員の増員や、十分な教育課程(学問体系)の検討・編成努力、職業機会の問題等に対する配慮を欠いた、場当たり的な大学院、専門職業人養成の拡大が、いまや深刻な問題を生んでいるのではないか」という指摘は、高等教育研究や政策立案に当たるすべての関係者が拳拳服膺しなければならない警告ではないかと感銘を受けた。
 以上のように、三日間にわたって大学院に関する諸問題を考えたのであるが、そこには科学技術立国を目指し、優れた大学院教育システムを育てようという政策当局の強烈なメッセージが一方にあり、他方にはしかし、高学歴ワーキング・プアという言葉に代表されるように、需給のミスマッチの中で苦悶する若者の姿がある。いずれもが大学院というものの実態を表してはいるものの、それは真実の一部に過ぎない。我々はさらに研究を進めて大学院問題の本質に迫り、天野教授の指摘も含め、課題の正しい解決方策を練ることによって、わが国の大学院が世界の中で注目され、また社会に役立つ存在になるよう、しっかりと考えたいものである。

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