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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.328
世界標準の学歴社会への再構築 学位を武器に転職可能に

  大森不二雄(熊本大学大学教育機能開発総合研究センター教授・学長特別補佐)

 教育振興基本計画をめぐって、自民党文教関係国会議員の後押しを受けた文科省と財務省との間で攻防が続いている。前者は教育予算増の数値目標を盛り込むことを求め、後者は財政再建に逆行すると反発し、目標とすべきは予算よりも成果だと反論している。投資目標のみならず成果指標が求められるのは確かであるが、高等教育への公財政支出(対GDP比)がOECD諸国平均(1%)の半分(0.5%)しかないことをはじめ、我が国の教育投資が教育立国に程遠い水準にある現状はもはや放置できない。諸外国がグローバル経済における国際競争力の決め手を人材に求め、教育投資を拡充するなか、「教育は国家百年の計」「米百俵」など言葉だけの精神論は虚しい。だが、必要なのは予算増だけではない。本当に教育が活力を取り戻すと確信できるビジョンを持ったシステム改革が不可欠である。この小論は、そうしたビジョンの構成要素として、世界標準の学歴社会への転換を提唱するものである。
 多くの日本人は、日本が「学歴社会」だと認識している。日本では、卒業した大学名が幅を利かすことをもって、学歴社会とされることが多い。その焦点は、相変わらず学部教育(学士課程)である。しかし、今や世界でものをいう学歴は大学院教育であり、先進諸国の中で日本の普及率の低さが目立つ大学院教育に関する国際比較データを見れば、高学歴化する世界の趨勢に日本が立ち遅れているのは明らかである。2005年(米国のみ2004年)時点で人口1000人当たりの大学院学生数は、米国8.48、英国9.17、フランス8.46、韓国5.84に対し、日本は1.99にすぎない(文科省「教育指標の国際比較(平成20年版)」より)。
 既に、学士課程レベルの高等教育の大衆化は、米国や日本のみならず欧州やアジア等でも一般的な現象となっており、高学歴者とは大学卒業者ではなく大学院修了者を指すと考えた方がよい。世界の知識労働者は、文系を含め、大学院修了者が普通である。国際公務員はその典型であるが、各国の民間企業や公共セクターにおいても、大学院修了が管理職・専門職の基礎資格となっている。こうした世界の大勢から、日本は取り残されている。今もって、文系の場合は、大学院進学が就職に有利とならず、むしろ不利に作用する日本の現状は、異様とすら言える。「日本は学歴社会」という認識は、時代錯誤の虚構と言っても過言ではない。
 今日の知識社会は、グローバル化と不可分の関係にあり、国境を超えて流動する知識や知識労働者が最重要の資源となる社会、知識労働者の質と量が競争力や生活水準の決め手となる社会であり、知識労働者の育成における教育の重要性は論を待たない。反学歴社会的言説は、学位を有するプロフェッショナル(知識労働者)が決定的役割を担うグローバルな知識社会への日本の適応にとって有害である。「知の爆発」が指摘される世界において、日本では「知からの逃走」が深刻である。勉強しない大学生に加え、高校生の学習時間も先進諸国で最低レベルとなった。「大学教育は役に立たない」といった日本的言説は、学歴社会から程遠い日本の現実を象徴し、正当化するものとして機能している。
 日本では学位の価値と学位によって表される「明示知」(形式知)の価値が低いが、これは日本の労働市場における知識労働者の「雇用の流動性」が低いからである。知識労働者の流動性の低さと明示知(可視知)の有用性の小ささは相互補完的に連関している。これを筆者は「流動性―可視性連関仮説」として提示する。「知識労働者」は、組織特殊的な暗黙知のみならず、組織を超えて通用する「知」、すなわち、普遍的知識技能(明示知)を必要とする。そして、個々の企業等の組織の壁を超えた「知」の交流・融合が新たな価値を創造し、活力を生む。そのためには、知識労働者の流動性(転職の容易さ)が不可欠である。逆に流動性の低い閉鎖的な企業社会や官僚組織においては、組織内の「人間関係」や組織特殊的な「暗黙知」が個々人にとって死活的に重要(ありていに言えば出世や地位保持に役立つ)となる一方、組織を超えて通用する普遍的な「明示知」の重要性は相対的に低くなる。
 閉鎖的な組織が創造的知性を押し殺す社会風土は、世界的な知識経済への移行に遅れをとることに繋がり、日本の閉塞感の大きな要因となっている。グローバル化時代において、日本は、学歴社会の再構築と知識労働者の流動化によって再チャレンジを可能にする知識社会を目指すべきである。2007年9月に辞任した安倍首相が「再チャレンジ」支援を政策課題の一つに掲げていたことも、今や多くの人々にとって記憶の彼方に去りつつあるのかもしれない。だが、再チャレンジ可能な社会の青写真作りは、たとえ首相や内閣が幾度変わろうとも、日本の閉塞感を振り払う上で重要な政治課題として残るべきものである。
 1990年代以降、人件費削減と雇用調整の手段として、パート・アルバイト・派遣・契約等の非正規雇用の拡大と正規雇用の縮小が急速に進んだ。政府もこれを後押しする規制改革を進め、今日、全雇用者の3割以上を非正規雇用が占める。フリーター等の雇用問題が閉塞感の一因であることは、格差社会論争に見られる通りである。ところが、論争は迷走気味である。改革論者と批判論者はともに、「雇用の流動化」が終身雇用を崩壊させつつあるとし、米国型の競争社会をモデルに見立てて論じる。前者はこれを肯定し、後者は批判する。だが、両者とも誤っている。米国型に向かう「雇用の流動化」など起こっていないのである。「正社員の転職率は過去15年間ほとんど変わっていない」(『平成18年版国民生活白書』)と政府が認めるように、各種調査からも正規雇用の流動化は見られない。非正規雇用という不安定な職の割合が増大しただけの「擬似流動化」である。
 問題は、正規雇用の非流動性にある。欧米の若者が就くパートタイムや有期雇用の職は、将来のフルタイム無期雇用の職につながり得る経験だが、日本の非正規雇用から正規雇用への転換は容易でない。雇用形態の差異というより、社会的身分と化している。正社員も転職は困難で、「就社」した会社の檻の中の成果主義で閉塞している。閉鎖的な身分社会は、人材や企業の活力を奪い、経済・社会を澱ませ、談合や不祥事の温床ともなっている。求められる政策は、負け組の「再チャレンジ支援」という次元にとどまらず、労働法制、社会保険、公務員制度その他を総動員して、大企業正社員・官僚等の勝ち組まで含めた真の雇用流動化を推進し、チャンスとリスクを公平に開くことである。
 勝ち組・負け組を問わない再チャレンジにおいては、大学院教育が大きな役割を果たすべきである。社会人の院生は、企業派遣がなくとも自発的なキャリアアップや学位・資格の取得等のために入学する者が多く、近年、急速に増大してきた。文科省の学校基本調査のデータによると、修士課程において、1987年度には815人にすぎなかった社会人学生が、2000年度には7264人、07年度には1万9784人にまで大幅増している。
 しかし、国際的にみれば、その規模はまだまだ非常に小さく、日本の社会人大学院ブームには楽観できないものがある。大学院修了によって得られる学位や学修成果が、企業等によってあまり評価されない、処遇にほとんど活かされていない、という現実が立ちはだかっている。その最大の要因は、外部労働市場が発達しておらず、正規雇用が非流動的なことである。外部労働市場が発達している場合、学位は一定水準の明示知の保持証明として機能し、市場における通貨のような性格を持つが、流動性の低い所ではそもそも通貨の必要性も低いわけである。要するに、「流動性―可視性連関仮説」が適合するのである。社会人になってから取得する学位が雇用システムにおいて評価されないので、雇用側から大学に対する学位取得者の質保証の要求は弱く、大学側にとって社会人の大学院入学者の質の維持に腐心するインセンティブに欠ける。他方、学生定員充足のために選抜を緩やかなものにする逆方向のインセンティブが働いている。すると、企業等は社会人の取得学位をますます評価しなくなる。こうした負のサイクルが成立してしまっている。
 非流動的な雇用システムと大学院規模の小さな高等教育システムは、相互補完的で安定性を有しており、いわば均衡状態にあると言えよう。この複合システムが内発的に急速な変化を遂げることは期待し難い。これを変えるには、知識労働者の雇用を流動化するとともに学歴社会を再構築する政治の意思が必要である。また、システム変化を促す具体策がなければならない。これを詳細かつ緻密に論じることはこの小論の目的を超えているが、例えば国家公務員T種試験を基本的に大学院修了者向けの試験とするといったレベルの具体性を持った方策が必要である。エリート官僚の採用の在り方の変革は、大企業を中心に民間セクターにおける採用の在り方にも影響を及ぼすであろうと考えられる。
 これはあくまで例示にすぎないが、政府自身が実施可能でインパクトの大きい政策手段をいくつか組み合わせた政策パッケージが必須であり、これがあってはじめて、民間セクターへの啓発や運動呼びかけ等の間接的手段も意味を持ち得る。審議会答申等にありがちな意識の変化を訴えるだけのお説教では、百年河清を待つだけに終わろう。
 なお、以上の論考については、大森不二雄、2008、「学歴社会の再構築と人材の流動化」『クオリティ・エデュケーション』第一巻、1-17項。で詳述している。

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