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教育学術オンライン

平成26年1月 第2548号(1月1日)

2014年 新春座談会
 設置形態を超えた 高等教育のパラダイムシフトの実現めざす
 ―私立大学のアクションプランを推進― 


●出席者
▽大沼 淳氏=日本私立大学協会会長 文化学園大学理事長・学長
▽黒田壽二氏=日本私立大学協会副会長 金沢工業大学学園長・総長
▽佐藤東洋士氏=日本私立大学協会副会長 桜美林大学理事長・総長
▽水戸英則氏=日本私立大学協会監事、二松學大学理事長
▽古田勝久氏=日本私立大学協会常務理事、東京電機大学学長
▽小出秀文氏(司会)=日本私立大学協会事務局長、日本私立大学団体連合会事務局長 

 平成26年の新春を迎え、本紙では「“設置形態を超えた”高等教育のパラダイムシフトの実現をめざす〜私立大学のアクションプランを推進〜」をテーマに、日本私立大学協会の大沼 淳会長をはじめ、別掲の6氏による新春座談会を開催した。私立大学は、学部学生の約8割の多様な人材育成を担っており、その振興こそが、次代の日本を支えると言っても過言ではない。昨年、日本私立大学団体連合会(清家 篤会長)は「教育の質の転換」「グローバル化の推進」「地域共創」など六項目にわたる『私立大学アクションプラン』を提唱しており、各私立大学が率先してアクションを起こし、改革を推進することによって、社会の信頼を得なければならないと決議した。その上で、長年にわたる国私間格差是正へ向けた高等教育のパラダイムシフトを訴えていく。高等教育を巡る諸課題をテーマに、今後の取組みのあり方などについて議論していただいた。〈敬称略〉

全私立大学が自ら改革に取組む 私学振興の諸課題の解決に向けて

○小出(司会) 明けましておめでとうございます。
 昨年1年を振り返りますと、政府における様々な検討が進みました。デフレ脱却のスローガンのもとに、アベノミクスの3本の矢という政策が文字通り、矢継ぎ早に発せられましたし、教育改革・大学改革という点からは、教育再生実行会議・与党の教育再生実行本部の各種提言が次々と発せられ、具体の議論は中央教育審議会で審議が始まりました。同時にまた、大学改革にかかわる私立各大学の取組みもいよいよ活発化しています。本協会にありまして、東日本大震災の復興支援、大学教育の質的転換の促進、高等教育政策のパラダイムシフト(構造的大転換)の推進等といった重点目標等々が、日本私立大学団体連合会を統一的窓口として精力的に推進されて参りました。私立大学を巡る課題は山積の状況ですが、本日は昨年の高等教育情勢を俯瞰しつつ新年の抱負を賜り、今後の私立大学振興の基本的な方向を模索する座談会にして頂ければ幸いです。
 まず、大沼会長先生からご発言をお願いします。
○大沼 明けましておめでとうございます。
 昨年は、安倍内閣が新しく発足しまして、安定した政権の運営がようやくできたという感じを大変強くした年ではなかったかなと思います。
 文教政策も、新しい文部科学大臣のもとで、教育再生実行会議をはじめとして色々な改革の話が審議されて、今年はその方向に流れてきているということになると思います。

産業構造の変化に対応した人材育成

 一方で、教育機関としてあるいは大学として、大きな産業構造の変化等にどう対応し、どういう人材を育成していくかが問われるのが今年1年になるのかなという感じがしております。
 従って、昨年はアベノミクスの大きな流れの中での改革があって、その具体的な実現が今年になり、我々もそれに対応する体制を整えていくのが今年の大きな課題ではないかと思います。
○小出 大局的な観点からのご指摘、いろいろありがとうございました。
 続きましては、黒田先生お願いします。
○黒田 明けましておめでとうございます。
 昨年は、政権が自由民主党になって、中央教育審議会の議論が本格的に始まり、矢継ぎ早に提言・答申を出した年でした。その中で一番問題となったのは、大学教育の質の向上・保証をどうするか。これは教育再生実行会議の第3次の提言の中にもありますが、大学の教育の質の保証の問題を実質化するために、大学分科会大学教育部会で議論を深めて、まとめ上げていったということです。
 進学率が50%を超え大衆化された各大学がアカデミックな研究者養成の大学教育から、良き一般社会人をも養成できる大学への質的転換を図らなければならない。それと同時に、知の時代に対応できる人材をどのように養成するかという問題が大きな柱だったと思います。
 社会人を養成するための大学教育は、研究と同時に教育の質的充実が非常に重要になってきます。日本の大学で問題になるのは学位システムです。その学位システムが組織的に作られたプログラムの中で運営されているかどうかが問題になるので、各大学では、そのプログラムを作り上げてくださいという答申でした。「学生の学修時間が少ない」という提起は、学生をどのようにして系統的に勉強させるかというシステム作りへの別の切り口からの提言ですが、学士課程教育の答申から始まって、学士課程システムを如何にして大学の中で取り込んでいけるかということが大きな問題となったと思います。
 それと同じ時期に始まったのが組織運営部会です。大学改革のためには、組織のあり方を再検討する必要がある。学校教育法の中で「重要な事項を審議するために教授会を置く」ことになっていますが、その教授会の置き方が問題になっているわけです。これは特に国立大学の運営が教授会万能になっています。人事権はじめ予算決定も、教授会の決定なくしては動かない。国立が法人化されて学長に最終決定権限やリーダーシップが移っているにもかかわらず実行されない。その辺のことを改革する必要があるということで始まったのが組織運営部会です。
 私学にもそういう大学がないとは言えませんが、ほとんどは理事長が中心となって大学のガバナンスはでき上がっている。あとは私学の場合は、理事長のマネジメント力、学長のリーダーシップのとり方、権限の移譲のあり方、そういうことで解決ができるのではないかと思っているのですが、国立大学と私立大学のことを一緒に議論しているものですから、12月5日に審議まとめ「大学のガバナンス改革の推進について」が組織運営部会から出ましたけれども、その中では、学長のリーダーシップのあり方、ガバナンスのあり方が中心に書かれているのですが、「学長の」と書いてある中には、私学にとっては「理事長の」と読み替えなければならない部分も多少あります。できるだけ修正はしてもらっているのですが、その辺の読み替えが必要になってくると思います。
 次に、国際化、グローバル化に社会が対応していくためには、大学教育の質保証が重要な鍵を担っています。大学進学率を50%ぐらいから70%まで上げなければならないとしています。すると、多様で多彩な人達が大学に入ってくることになり、そういう人達をどのように教育して社会人として送り出すかが非常に重要になってきます。これは私学の建学の精神を踏まえた多様性や重層性を生かした多彩な教育こそが一番重要な方向性を示すのもであると私は考えていまして、大学へ入ってからでも、足りないところを補いながら学士の実力をつけてもらう。金沢工業大学では「教育の付加価値」と言っていますが、それを高める方策が私学には求められます。
 ですから、相当の労力はかかりますが、それをやらないと、日本は国際社会の中で太刀打ちできる人材を養成できない。特に最近ではグローバル化が進み、地方の大学でもグローバル化を無視した産学連携はあり得ないわけです。地方へ行けば行くほど、中小企業との連携を実施しています。その中で大学の役割としてグローバル化を見据えた連携をしていかないと、その企業はその地方で生き残っていけない。ですから、ますます地方私立大学の役割が重要になってきます。
 そういう意味でも今年は、昨年までの答申や提言を受け入れながら改革を進めていく年である思います。
○小出 続きまして、佐藤先生からお願いいたします。
○佐藤 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
 昨年は、年明けから大学設置のあり方の検討会でまとめをすることになりました。そもそもは田中眞紀子前文部科学大臣の大学設置の不認可発言から出て、それに付随して、大学数が多過ぎる、大学の質の低下という指摘があったわけですが、議論が終了したところで政権交代が行われて、結論は新政権の文部科学大臣が出席をされた会合でまとめることとなりました。
 また、3月末には在籍者がいるまま大学法人に解散命令を出した初めてのケースが出た年でもありました。これも様々なことを検討する端緒となりました。

大学設置に関わる諸制度の見直し

 そういう中で、私立学校法改正により学校法人の解散はきちんと法的整備をすることが決まり、大学設置のあり方を検討する会では、設置基準や審査体制の見直しの問題が議論されました。
今年は、昨年の様々な検討を踏まえながら、大学設置分科会、学校法人分科会、中教審のそれぞれの段階での手続きを踏み、従来手が付けられなかった大学設置にかかわる諸制度の見直しが実行され、整理がなされていく年になると思います。
○小出 次に古田先生にお願いしたいと思います。
○古田 明けましておめでとうございます。
 まず一昨年の科学技術関係の素晴らしいニュースは、京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞でノーベル生理学・医学賞をお受けになったということ、特にこれが、日本の科学技術政策の下で研究が進められてきたこと。医学に工学が協力して成果が得られたということで、これまでの科学技術政策関係者が努力されてきたことが実を結んでいることに対して、敬意を表しています。
 ただ、理工学という、日本のものづくりを下支えをしている基盤の教育に対して、これまでどおりでいいのかなという反省も出てきています。先ほど来、黒田先生も仰いましたが、日本の大学進学率が欧米諸国に比べて低いと。中でも修士、特に理工系修士以上の研究者を含めた数が非常に低い。特に工学が減ってきています。政府は今後、日本の技術的なカムバックが産業再生には必要と考えているわけですが、やはり工学修士の減少にも目を向けて頂くことが必要になっていると思います。
 大学については、工学に対して興味を持つ若者が増えているのではないかと思います。本学も志願者の数は順調に増えているということのもとには、やはり工学あるいは理学等に関する社会の需要が増えていると思います。
○小出 水戸先生、ご発言を頂きましょうか。
○水戸 明けまして、おめでとうございます。
 昨年の大きなトピックスは、安倍総理が「大学力は国力である」という旗印の元で、大学改革を我が国の成長戦略との絡みで捉えたことです。
 日本経済再生本部の産業競争力会議の下に、教育再生実行会議を位置づけ、教育改革部署が官邸に置かれたことは、画期的なことではないかと思います。
 すなわち、下図でも示しているとおり、18歳人口の減少に従い、労働人口は平成9年、6800万人位をピークに、減少傾向となり、それに連れて、わが国国力を示すGDP(国内総生産)が横ばいになってきています。今後労働人口は15年間で更に800万人位減少していく予想で、このままでは、GDPが更に減り、国力が弱体化していくという懸念があります。従って、今後労働人口の主力を占める大卒者を量・質ともに引き上げる必要があるということです。
 これら大卒層の7割強は私立大学が育成しているということ、これを先ず念頭においておくことが必要です。
教育再生実行会議は、その提言において世界的に、わが国の高等教育に対する公的財政支出が少ないこと、低進学率、修士・博士の取得者数が少ないこと、グローバル・イノベーション創出人材が育っていないこと、また、勉強しない学生を鍛え上げて社会に送り出す大学機能をどう強化するか、大学経営基盤強化のためのガバナンスの問題などの課題とその対応を提起しておりますが、議論の足りない点もあり、この件は後ほどお話したいと思います。
 私自身、10年前に金融界から教育界に入りましたが、今回の実行会議の提言を見ますと、今から20年前、平成3年にも「大学設置基準の大綱化」という同じような大学改革論議があったと記憶しています。日米構造協議により、当時日本の大学進学率が40%になっているにもかかわらず、進学率10%のエリート時代の教育を展開しており、問題だということを米国から指摘され、設置基準の大綱化を施行したのでした。
 その時点で既に単位の実質化、シラバスの充実、グローバルやイノベーション人材の育成の必要性が提言されていました。しかし、現在に至るまで大学教育は変わっていないわけです。わが国の経済は、バブル崩壊後、失われた20年といわれましたが、大学改革も、失われた20年という言葉が当てはまるのではないでしょうか。

アクションプラン実行の正念場の年

 従って、このほど日本私立大学団体連合会が、平成27年度までを、大学改革集中実行期間と位置づけ、六つのアクションプランを打出したことは誠に時宜を得たものと評価しています。本年は、私立大学が、このアクションプランに従い、諸課題を克服し国公立大学を上回る改革を実現、その実績を示して行く正念場の年になるだろうといえます。
○大沼 それはもっともな指摘でして、絶えず人口が増えて進学率が上がり、教育をどうやって拡張して質を高めていくかというのが、明治政府の近代教育が始まって以来永遠の課題として続いて、その傾向は全く改まっていなかったのです。例えば昭和22〜24年に生まれた第1次ベビーブーム、それから18歳人口がちょうど平成3〜4年に大学に入ってくるようになった第2次ベビーブームですね。18歳人口が最も多い昭和41年に249万人で、平成3〜4年に204〜5万人。それでもなお傾向は変わらなかった。
 ところが、平成20年から、今まで増加していた大学進学率はほぼ47%でぴしっと止まった。人口が120万人から100万人になってくる分だけ、入学者が減少することになりました。
 同時に、短大は7%の進学率だったのが何と5%台にこの5年間で減少しました。その減少分は4年制大学ではなく専門学校に行っています。教育自体が多様化してきているし、専門学校の見方もそこに非常に大きな変化があらわれてきて、日本の明治以来の進学動向で初めて起きてきた現象です。これがパラダイムシフトの変化になったと言っていいと思うのです。
○小出 ご出席の先生方から、それぞれのお立場やご専門の角度から貴重なご発言を頂きました。ありがとうございました。
 さて、ここ数年来、私どもは「高等教育(政策)のパラダイムシフトの実現」を提言して参りました。
 昨年7月には、私立大学団体連合会として、「私立大学は日本の知識基盤社会を先導する」のスローガンを掲げた「私立大学アクションプラン」を公表しました。これは時代の創造に寄与貢献する私立大学のアクションを大きな方向として共有し、それぞれの大学がそれぞれの地域や専門においてその役割を発揮して参ろうとする、いわば、私学の自主性発揮の取組みとしてまとめたものでした。
 キーワード的には、上図に示すとおり、六つのプランを掲げてあります。その一つ目が私立大学の自主性、多様性に関するものです。二つ目が、建学の精神に基づく教育の質的転換を進めるもの。三つ目がグローバル化の推進。四つ目が、大学と地域はよきパートナーであるという「地域共創」。五つ目が、研究力の向上ということでイノベーションの促進。ここまでが私立各大学の取組です。六つ目は、公財政の拡充でちょっと異質です。つまり、私立各大学の取組を進めていく上での環境整備としてのもので、私立大学団体としては全私立大学の力を結集して、その整備に努めるという構造になっています。
 だから、この動きを早目に打ち出していることと軌を一にして、教育再生実行会議が同じようなキーワードで、教育の質的転換、社会人の学び直し、グローバル人材の養成、イノベーションの創出、地域の再生をキーワードとして提言してきました。時代の変化や政策動向に先鞭をつけた我々のプランが証明されたわけで、今後はいよいよその強力な推進が待たれます。
 私立大学は606校あって、全国に多様な展開をしていますから、日本の高等教育の八割を占める私立大学の動きが、この国の将来を決しているということは、極めて当然だと思います。
 ですから、今後このアクションプランに関しては、一層各私立大学団体の協議会とか研修会とか、機会あるごとに各大学にご推奨申し上げて、お取り組みを鼓舞激励して参りたいと思います。
 そこで、この中で私どもがきっちりスタンスを定めておくべき話題が幾つかあります。大きく言いますと、「今日の大学とは何か」とか、あるいは「私立大学は今後どのような役割を果たしていくべきか」という大きな基本的課題です。
 社会一般や国民の間では、まだまだ議論が別れている話でもあります。このあたり、この座談会でも先生方のご高見を伺っておきたいと思います。
○大沼 本格的にいろんな意味のことを考えないといけない時代になってきているので、我々の提言その他も非常に重要な意味を持つのだと思うし、我々の提言をこれからどう日本の社会の中で生かしていくかが必要になってきます。
 これから、間違いなく様々な問題が出てきます。昭和15年の統計では、初等教育で終わった人は約8割で、社会に出ていた。高等教育段階に進んだ人は4.5%しかいないんですね。当時の高等教育の中の大学と名のつくところへ行った人は1.5%。今日まで拡大したのは、戦争中に国立学校がたくさん増えたのです。そこで戦中、戦後、そして高度成長期と、どんどん進学率が上がったのです。それから専修学校制度ができた昭和50年代にはいると、専門学校、短大等含めた大学進学率は約38%にまでなり、40%近くに迫ってきました。
 その中で、当時から高等教育の質の低下ということが言われているわけです。制度を変えないといけないと。それで、進学の抑制策をとるわけです。それでも増えていくことをどうやって抑えたらいいかが大きな課題でしたが、今や高等教育は自由に誰もが入れるようになりました。この状態における高等教育のパラダイムをどうするのだということが今問われている。そのことが非常に大事な事項なのですね。そういうことを確立するために、全体の政策をどうするかの見解をきちっとしていかないといけないと思います。
○小出 パラダイムシフトを申し上げるときに、グローバル社会の到来とか急速な少子高齢社会の出現とか高度情報社会の到来など社会構造がいろいろ変わってきたという現実、それに伴って高等教育のニーズも変わってきたという側面、それを支えるためのファンディングを初めとする政策は、これからどうあるべきかという根本的な議論が一層強力に組み立てられていかなければなりません。
 今後の高等教育の財政支出はどうあるべきかという議論が昨年末、私学高等教育研究所の公開研究会でありましたときに、明治維新以降、エリート型の教育が延々と続いてきた、これからはマス、あるいはユニバーサル段階の進学率になったのだから、それに見合う形の高等教育の型と国の財政政策のパラダイムシフトが必要だという提案がありました。
 一方で、今日の高等教育について、「フンボルト型の大学でなければ大学じゃない」とか、「定員未充足の大学は統廃合すべき」とか現象面から見た一方的な話を数年前の行政仕分けの中などで言われたけれども、時代錯誤も甚だしいだろうという思いを持っているのであります。
 ここのところはしっかりと、時代が高度化してきている中で国民の高等教育への要求があるということに、私立大学はダイナミズムを持ってどう応えていくかというところこそ、大事に育てていかなければならないと思います。
 このあたりのところに関連してご発言をお願いできましょうか。
○水戸 私立大学のパラダイムシフトは、私立大学の存在がわが国の国力を維持する上で、どのような役割を果たし、今後はどうかといった点を、整理しておく必要があります。現在わが国労働人口に占める大卒の割合は約3分の1弱です。今後15年後、現在の進学率50%が続いた場合、労働人口の半分弱が大卒となり、この7割強が私立大学卒ということで、この層無くしてはわが国の国力は維持するどころか、引上げることも出来ません。これを前提にすることが、私立大学のパラダイムシフトを果たす出発点になります。私立大学なくしては日本なしということが言えるわけです。

高等教育への財政支出OECD平均並へ

 先ず、国は、高等教育への公的財政支出をOECD平均並に引き上げた上で、次に国・公・私立各大学の役割・意義など各々のミッションを再定義し、その上で公的財政支出についての配分の見直しなどを議論する必要があると思います。
○大沼 要するに国立と私立とに分ける必要が本当はないのです。むしろ高等教育の役割とは一体何なのか、私学でできることを国立にやってもらうのは困るわけでして、国立は国立として今までの権益はしっかり守る、国立のやらないところだけ私学がやれということではなくて、日本の国家を将来的に支えていく本当の高度な人材育成をどうするのだということは、国家的な目的でやる必要があります。
 人間社会は、様々な職業があり、職業によっては高等教育を受けなくていいなんていうことの発想に問題がある。従って、誰もが高等教育を受けて、そして、あらゆるコミュニティ社会の仕事に就いていくことが、国民所得なり国の全体のレベルを上げる所以なので、そういうものに高等教育がどう寄与するのか、その中の国の役割は何なのか、私学の役割は何なのかと問うていかないと、いつまで経っても同じ議論の繰り返し、解決はつかないのではないかと思います。
○水戸 教育再生実行会議では、そういう大枠の議論は行われていないと思われます。
○古田 先ほど出てきた産業競争力会議における公開資料でも文部科学大臣から、国民所得の伸びた国と高等教育を受けた人材数は、比例して伸びていると報告されています。スウェーデンのようにGDPが伸びている国は、それなりに高等教育を受けている人数が増えている。ですから、やっぱり大卒以上の人材を増やしていかなくてはいけない。大沼会長が言われましたように、昭和35年、あの当時池田内閣が所得倍増計画、それとともに工学部の人間を増やしている。それまで大学卒の技術者はいわばエリートで、生産現場に出ていなかったものが、日本の技術者が非常に増えたもので現場に入ってきたと言われている。それから日本の製品がすばらしい品質になってきた例が事実あるわけですから、今後これから日本再生をするならば、多くの人材を育てていかなくちゃいけない。特に世界では、理工系においては学部卒ではなくて、その次の段階が要求されているわけです。だから、多くの修士以上の高度専門職業人を輩出すること。これは今の国立大学だけではできないわけですから、私大からも多数輩出していかなくちゃいけない。これがなくしてはこれからのグローバル化に対応した人材を供給できないのではないでしょうか。
○佐藤 高等教育のパラダイムシフトを考えた場合、日本あるいはグローバルなレベルで、誰でも希望する人が高等教育を受けることができる世界を作ろうという発想に転換する必要性があるといえるのではないでしょうか。
 国連のアカデミック・インパクトの取組みで、原則4では「高等教育に必要とされるスキル、知識を習得する機会を全ての人に提供する」と定め世界中で1000を超える大学がこの活動に参加をしています。21世紀の大学像を考えるときに、高等教育は特定のエリート育成を目指すのではなく年齢にかかわりなくすべての層の知的関心を満たすための場となるように変わらざるを得ないのです。 考えてみると、一昨年の2012年のわが国の出生者数が104万人。遅くとも来年は100万人を切る段階に入るということですから、要するに進学率というレベルではなくて、誰にでも教育を受ける機会を与える、年齢も特に18歳から22歳にこだわらないで高等教育は対応するという考え方をするのがよいと思います。
 もう一点は、1980年代終わりのころ、国連の移民に関する報告書が出て、その中で、日本が1985年の経済活動を維持するためには、たしか年間60万人の新たな移民を受け入れないと達成できないと報告されていた。当然のこととして1985年とは経済活動そのものが量的にも質的にも変わっているとは思うのだけれども、先ほど黒田先生から、中教審の委員の中に、質の悪いものは落としていけばいいという指摘があったとありましたが、この落とす人たちも含めて、じゃあ今までの日本を支えてこなかったのかというと、そんなことはない。それからまた、仮に一部分の学生だけ、大学で学ぶ準備ができた学生だけを大学に受け入れるとしたら、高等教育を受ける機会を与えられなかったものを社会がどのように責任を持って面倒を見るかという議論は、そういう人たちはされないのですよ。高等学校が終わって、そういう先生たちのレベルでいう大学に入るだけの力がないから、これは放置すればいいかといったら、就業の機会は作らなければならないし、無責任なことはいってほしくないですね。

国民全員に高等教育への進学の機会を

 私はパラダイムシフトというときに、現在の段階で取組むべき様々なアクションはそれとしても、将来を見据えたときには、国民全員が高等教育の機会を受けていくということによって、人口減少した中でも国力を維持していくのだという哲学が必要だろうと思います。その中で国公私立という枠組みの中で考えると、最近、公立大学が非常に増えている。本来公立大学は、地方自治体の機能からいうと、幅広くすそ野が広がった学生を大いに吸収してもらって、アメリカでいえばコミュニティカレッジみたいな役割を担ってもらう。国立大学と同じ行き方をしようとするのは筋が違うと思います。公立大学は、その地域の幅広い層の教育に役に立つ存在となることが必要です。
○大沼 おっしゃるとおりです。日本における大学という概念は、ドイツのベルリン大学の古い系統の体系が入ってきているわけです。
 従って、いわゆるフンボルト型でなければ大学と言わないとか、職業教育だったら大学ではないとかということだけど、今一番大事なのは、ポストセカンダリー教育をどうするかということです。
 要するに、18歳で中等教育を終わったそれ以後の教育をどうするのかがパラダイムシフトの最大の問題点なのです。、従って、従来の大学をその中で構成するのではなくて、黒田先生が仰っているように、それこそ多様な能力に応じて多様な教育がある、それが大事なのだと、そのとおりだと思うのですね。
 ですから、そういう教育システムを大胆に認めていけばいいし、それが高等教育の構造になって、それは高等教育の進学者として数えていいわけですね。今日本が抱えている、人口が減少して国力が弱まっていく、それを何とかしなければならない時に、方法は大きく分けて三つ。一つは、国内で産めよ増やせよと、もう1回そういう政策をとるのか。もう一つは、外国人を受け入れるのか。大学側からすれば、募集する地域を世界に広げる。もう一つは、25歳以上の受け入れも増やす。欧米へ行ったら大体10%を超えているわけです。
 古い教育の概念でポストセカンダリー教育を論じてしまうから問題が起こるのであって、そういう新しい教育システムをきちっと受け入れる形で多様なことを自由にやらせれば、相当考えが変わってくるし、先進国といったら高等教育進学率が70%を超えているわけです。日本だけが約50%台です。ところが、実際は17%の専門学校の進学者がいるわけですから、それを加えればほぼ70%になるのです。日本が遅れているわけでもないですから、専門学校も高等教育と認めればいい。
 もう一つ大きな問題は、外国人を受け入れる体制は相当前からしているのに、ほとんどわが国は整ってない。要するに、外国から帰ってきても勉強する場所がない、学校ができてない、受け入れるシステムがない。いまだにうまくできないことが大きな問題になっている。それもこのパラダイムの中に入ってくると思います。
○小出 もう一つの問題として国の役割があります。私は、このパラダイムシフトのときにはファンディングの問題を指摘するのですが、いつまで国立大学に大学生1人当たり209万円、文科省データでは、確か190万円でしたかな、私立大学生1人当たり15万円とされている。せめて教育費の部分は一緒にしてもらうことが、同じ競争条件ができる基ではないかと、パラダイムシフト論では言っているのです。
○水戸 高等教育に対する公的財政支出は現状、GDPの0.5%、GDPが約480兆円ですから2兆4000億円位です。国立が病院会計も入れると1兆6000億円位であるのに対し、公立が3500億円、私立は3300億円と、圧倒的な格差があり、これは変わっていないわけです。この格差を是正することが一つのパラダイムシフトです。その考え方として、私立大学は、その使命として、グローバル化や知識基盤社会化に対応し、ものづくり日本を支える中核層人材、地域を支える人材、教員・医療・介護等専門職人材、芸術・スポーツ分野の人材等多彩で重層的な人材を育成し、あらゆる分野に供給し、国力の土台を形作っている。こういう人材なくしては、わが国は成り立たないわけです。
 もう一点は、前述のとおり、大学改革は20年間変わっていないということ。では、なぜ変わらないのか、この背景や理由をきちんと解きほぐす必要があります。すなわち、大学進学率は、今や50%になっており、進学率10%時代と比較すると、当時の中卒・高卒が大学に進学していること、偏差値教育が進み、偏差値で自分の能力に限界を設けて、それ以上努力しない層が進学していること、また大学進学生の7割は、不本意入学生であることなどから、大学教育において、以前よりはるかに、手間がかかる傾向があることなどです。加えて、知識基盤社会化、グローバル化など社会が目まぐるしいスピードで変化しており、教育内容・方法を時代の変化に応じて変えていく必要があることなどが挙げられます。従って、教員も、こうした環境の変化をよく認識し、意識を変えて、教育方法を双方向授業、課題解決型、体験型の授業に切り替えていく努力が必要となってきます。
次に、学長のガバナンスの強化です。学長の統制が堅固でない原因は、いくつかの私立大学で、学部長が教授会構成員で選ばれ、学長が全教員から選ばれる形になっており、改革をやり過ぎると外される場合があるからです。この点をどうするかです。現在文科省は、学校教育法93条の教授会の審議する重要事項について、カリキュラム作成や学生の身分異動などに限定する方向で法改正を検討していると聞いています。このあたりから変えていかないと、また失われた20年になる恐れはあります。
○佐藤 片方では、教員も労働者だと言って組合を構成して権利を主張するのですけれども、学校教育法でいうところの教授会の重要審議事項もやはり変えないといけないのではないか。教授会は、これを盾にずっと議決権を主張してきているのだから。それから、学生の学籍に関わる事項は教授会の議を経なければならないと言いながらも、学長の責任になっているのですね。ですから、権限と責任をきちんと整備する。

教授会に権限を与えた教育公務員特例法

○黒田 教授会に権限を与えていたのは、教育公務員特例法なのです。その法律がまだ生きているのですよ。各大学の学則から始まって、諸規則の中に今でも改正されず書き込まれています。それを変えないと、学校教育法だけを変えても動けないのです。だから、そこを変えて下さいと今度の審議まとめにも記載されています。
○古田 私立大学もそうなのですか。
○黒田 私立大学は、国立から来られた教員がその大学の重鎮であった時代に作られた規則がそうなっています。
○古田 結局、色々な問題の大本はカリキュラムですね。カリキュラムの内容をどこで決めるか。学部長も手が出せないというか、学科、あるいは担当の教員が決める現実がある。
○黒田 学部教授会に学長が出席できない規則がほとんどです。だから、学部長が学部運営を握っています。学長は外にいることになりますから、学部の改革は、学長がしようと思ってもできませんね。それを改善してほしいといったのが、一昨年の「質的転換」答申です。組織的にカリキュラムを作って下さいといっています。つまり、一人一人の教員が持つ権限が強過ぎるので、全学的に学長の下でしっかりとした学士課程プログラムを構築し、カリキュラムを作って科目を決めて、その科目を教えられる教員を割り当てて下さい、という内容なのです。それをやれるように、学長のリーダーシップをどう強めるかが「大学ガバナンス」の審議まとめになってくるわけです。学長の権限と教授会の権限、この二つがうまくかみ合ってこないと改革はできないのです。
○佐藤 でも、今の関連法の中でも、私学はやろうと思ったらできますよね。
○黒田 現法律の中でも何の制約もなくできるようになっているのです。
○古田 でも、各大学の学則と規定とかでは……
○黒田 学則には昔の慣習が含まれていますから、それをまず各大学が個別に変更してもらうことが必要です。
○大沼 日本のリーダー論、リーダー像は大体江戸時代に作られるのですね。江戸時代の物の考え方が圧倒的に強くて、日本のリーダーの選び方の典型例は、恩田木杢(もっこう)(江戸時代中期の松代藩家老)の「日暮硯(ひぐらしすずり)」という本に書かれています。それによると、松代藩の話なのですが、殿様が、このままだと自分の藩が傾いて破産するから建て直さなければならない、どうしたらいいかと聞いたら、みんなが「あいつにやらせたほうがいい」と答える。恩田木杢は「とんでもない、私はそんな器ではありません」と。断ると、またみんなで「今こういう状態だから、とにかくあなたがやってくれ」と。みんなが推薦すると承諾するわけです。そうすると、すぐに立ち直る。要するに、みんなの意見が一致し、この人をリーダーに、みんなで助け合おうという合意ができる。それが日本の経営の基本的なパターンです。それは今でも変わってないのです。
 ですから、狩猟民族みたいに、俺は優れているのだ、俺についてこい、という欧米のやり方は日本では通用しないのです。農業が中心の国ですからね。リーダーシップ論の根本が基本的に違っているものをどう考えていったらよいか。教授会の問題もまさしくそうで、逆に言えば、日本の学校はワンマン的にやることを嫌うのです。歴史的に見てもそうです。ワンマンの総理大臣はみんな叩かれている。良い悪いは別ですよ。
 海軍兵学校は徹底したリーダーの養成機関です。近代は科学技術が発達していますから、専門が無数に分かれている。1人が全部専門を持つなんて100%不可能です。全て複雑になっているから、専門家が絶対的に大事になります。一人前の専門家になるため10年、20年かかる。しかし、それがいるから成り立っている。従って、リーダーはその人たちを100%信用せよと。「おまえがこの学校を出て艦長になったって何もできない。まず、自分が何もできないということを自覚することがリーダーとして一番大事なことだ」と教えるのです。部下の専門家を全部信用しなさいと。1人ですべての専門の勉強をしたら、100年、200年かかっても、そんなことできる人間なんて絶対いないのです。
 そのリーダーの要件で何が一番大事かというと、それぞれの専門が出してくるものを総合判断すること。軍艦だったら、敵の弾が飛んでくる、飛行機がこっちから来る、向こうから敵艦が来る、大砲の弾が飛んでくる、あらゆる条件を判断して、どこで舵を切るか、どこで引き金を引けと命令するか。どういう信号をどう受けて、どういう情報を伝達させていくか。これらが判断できない人が上にいたら、どんなに優秀な専門家がいても駄目です。だから、そういう総合的な判断力のない人は人の上に立つな、辞退しろと教えます。
 従って、本当のリーダーには「リベラル・アーツ」が重要であることを教えるのです。専門家になってはいけないと教えるのです。専門家の道とリーダーの道は別だと昔の教育は分かれていたのです。リーダーになることを教えたのが国立大学の東京大学だったのです。
 ですから、海軍兵学校の教育というのは、実は軍事学も何も教えません。英語とリベラル・アーツだけです。一番最重点が英語でした。
 日本の今の教授会の成り立ちは、日本的な風土の中で出てきた教授会です。ですから、教授が頑張っていて言うことをきかないのではなくて、みんなの合意を得てやっていくと学校の運営がうまくいく。
 また、特に国立大学で学部が強いのは、国立大学のいきさつを見ればわかります。例えば、東京大学は開成学校・大学南校と東京医学校と昌平黌と合併している。元々全然別の学校が一つの東京大学になっているわけです。信州大学では、上田蚕糸専門学校と長野師範学校と松本医科大学と松本高等学校と下伊那高等農林と長野高等工業、全部別な官立学校が一つの大学になっている。これ、どうやって統括するのですかということです。全く別に育ってきた学校が一つの大学になっている。だから、学部が絶対強いんです。
 それをどうするか、歴史的ないきさつをどうするかをきちんと踏まえてリーダー論とかガバナンスをやらないと、いくら言ったってそんなことできっこないし、日本の社会の中で通用しないリーダー論をいくら言ってもだめなのです。それを議論しないで、個人的な考え方の中でいくらやったって変わりっこないです。
○水戸 前述の大学設置基準の大綱化は、大学の自治を尊重するあまり表現が抽象的になり、具体的な改革の指針を示せなかったと思います。当時の大学審議会は、教育研究の高度化や高等教育の個性化を謳いましたが、その後、多くの大学で、初年次から専門課程に入る教育課程が開始される反面、教養部や一般教養課程はほぼ消滅しており、これがグローバル化の遅れの理由になったのではないかと言われています。
○佐藤 そういう意味では、今の高大接続といって補習教育・復習教育的な教育まで大学入学後にしていますが、高等学校教育まで遡ってきちんとしないと。ゆとりある教育なんて言っていたのではだめです。
○大沼 高等教育の構造は前期と後期と二つに分けて、前期はリベラル・アーツだけやる、足りなければそれだけをやる教育機関がある。アメリカはそう。コミュニティカレッジがそうですから。リベラル・アーツだけやるのと専門をやるのと分かれています。リベラル・アーツをやったのが、州立大学に進学できるわけです。
○水戸 フランスもほぼ同様の制度で、大学本体が第1課程、第2課程と分かれていて、最初の3年間はほぼ教養課程で、その後専門課程に進むか、高等師範、建築、ビジネス系、理工系など専門高等教育機関に進学する形になっているようです。
○佐藤 東大駒場の教養学部も、教養で残って縦に延ばすこともできるという形ですからね。そういう形があってもいいし、専門課程としてまた別な分野に出ていってもいいし、ということだと思います。
○大沼 高度で工学的なノーベル賞を狙える専門と、コミュニティを支える専門があっていいのです。ですから、とんがってうんと高いのを、世界一強いものにしていくという重要性もあるけど、コミュニティの中で働く人たちの専門という形も大事にしていかなければならない。
○佐藤 ガバナンスにしても、産業界に求められているガバナンスと大学が必要としているガバナンスは違うのではないか。黒田先生が発言してくださったように、「学長のガバナンス」も、国公私立みんな混ぜたような議論だから、私学は私立学校法による学校法人として「学長のガバナンス」だけでは学校は動かないということで、今度は「大学のガバナンス」と言葉が変わってきたのだと思います。
○黒田 話していてもかみ合わないんですよね。そこが違うものだから。特に「ガバナンス」という言葉は、いまだに日本語に訳せないのです。
○佐藤 本質的にはプロセスのことでしょう。意思決定、リーダーシップに関する過程のことを「ガバナンス」と言うわけです。語源はギリシャ語のgubernareから、動かす、舵をとる、運転するという意味ですから、それだけの話のはずなのです。そうすると、日本の大学全体がガバナンスと言っているけど、そんなことは従来から身についてやってきたのではないか、今さら何言っているのという感じがしてしようがないのですよ。
○小出 ありがとうございます。重要なご指摘ばかりでありますけど、二つほど、ご意見など伺っておきたいお話があります。
 先ほど黒田先生から、グローバルな視点を持った地域リーダーも必要という話がありました。グローバル人材育成と日本の高等教育という視点と、地域に根差す私立大学ということで先生方のエールを送っていただけると幸いです。
○黒田 グローバル人材の話が出るたびに「英語ができればグローバル人材なのか。国際的に活躍できる人材は、まず、日本人なら日本の文化、伝統をわきまえて、日本の歴史が語れて初めて国際的に出ていって通用するのだ、そこを外して英語だけできればいいという書きぶりはよくない」と言っています。その後、「日本の文化を理解しながら他国の文化も理解する」という表現になってきています。そういう意味で、グローバル化に進むならば、高等学校段階までに基本的な日本の文化伝統をしっかり教え込んでもらうことが必要ですね。そうすれば、大学でやることがもう少し変わってくると思うのです。そのための入試改革はあってもよいと思うけど、誰でも行ける時代になってまだ点数だけで学生を入れるという時代は終わったと思うのですね。
○古田 日本のある企業、小さい企業ですが、90%は外国で製造していると聞きました。あとの10%はそれを造る機械とか開発のために、仕方なくて日本で造っている。そこへ勤めれば、当然外国へ出ると言われています。技術者としては出なければならない時代ですから、行くということが前提になれば、やっぱりそういう教育をしていかなくちゃいけないと思っています。
 それと、グローバル化の動きを見ていると、昔卒業した学生の方がはるかに外国に出ている。なぜかと言うと、昔は外国に出るのは魅力があったのです。例えば、給料が非常に低い時代、我々のころは1ドルが360円ですけれども、そうでなくても、250円位の80年代中頃に外国に出ると、修士を出ても年に3万6000ドルぐらいもらえた。そういうところなら出たいという意欲を持つ学生がたくさんいた。外が魅力的だったからゆえに、私が若い時に教えた卒業生で、外国の大学の教授になったり、国際的に活躍している人がいます。あるいは留学する人なんかもたくさんいたのですが、最近は、日本が恵まれ過ぎていて、そういう意味で外国に魅力がなくなったのかもしれません。
○黒田 日本にいる方が居心地いいですからね。
○古田 何か新しいことをやらないと、さっき言ったグローバル人材にはならないのではないかと思いますね。
○黒田 先ほど水戸先生がご指摘になられた「失われた20年」は、大学も同じです。平成三年の改革は、私学にとってはものすごく恵みの改革だったのです。うちは教養教育課程を廃止せずに、教養課程の姿を変えながら持っていますが、ほかにカリキュラムを自由に変えられたわけです。そうやって今の姿に改革したのです。
○水戸 黒田先生のように、当時の大綱化の本来の趣旨を捉えることの出来る方が経営層に居られて、的確な施策を展開された学校と、そうでない学校とでは、その後の大学力に大きな差が出てきていることは、否めない事実だと思います。
○黒田 したがって、現在の大学での基がしっかりできている大学は平成3年の大学設置基準の大綱化を最大限利用して大学改革をしてきました。平成16年にもう1回改革がありましたが、これは日本の大学をだめにしましたね。
 学校の敷地が1人10uでいいとか設置基準を満たしていれば後の施設は借用でも良いとかの改革で大学設置段階で私学経営を弱体化させてしまった。あれは行き過ぎの改革だったのですよね。
○小出 グローバル人材の育成に果たす大学の役割ということで、6月の国際会議開催のご紹介を含めて、佐藤先生、思いも込めてお願いいたします。
○佐藤 今年の6月11日から14日まで、横浜で世界大学総長協会(IAUP)の3年に1度の総会を開催することになっています。そういう機会に世界中から多数の学長が来てくれるということは、日本の大学にとっても国際的な交流を進めさせる意味でプラスになると思っています。
 今までの皆さんの議論から言うと、グローバル化を言ったとしても、それぞれの学校の教育の質が大学教育としてしっかりと担保されることがとても大切なことです。つまり外国の大学長たちが日本に来たときに、日本の大学教育はしっかりとしているんだと認めてもらうことがグローバル化の第一歩だと思う。

世界に認められるグローバル化めざす

 私が自分の大学の組織変更をしたときに、なぜ改組するのかという疑問が教員間にあって、当時の経済学部の教員が、「うちの経済学教育の特色はどこに置くのだ」ということを言ったので、「経済学を教えるという上では、国際的に共通に理解されている原則があるのではないか」と主張しました。つまりカリキュラムを編成する際に、経済学入門、原論を基礎としてマクロ経済、ミクロ経済を教え、経済史を教え財政論等々と、順序立てた教育をすべき体系がある。受け入れた学生に合わせて難易度は変わるが、経済学の教育という意味では普遍的なのでないかと言った記憶がある。
 最近色々な設置申請を見ていても、自分のところの特色、特色と言って、教育課程の原則が十分に整備されてない例が散見されます。教育課程の原則を整備するということがグローバル化の第一歩なのだろうと思う。語学がいくらできても教育課程の原則に裏付けされた語るべき内容を持っていなければ全くどうにもならないことです。うちの学生も外国に多数行かせますが、日本のことをいろいろ聞かれても、何もわからない。それで初めて自分が無知だと気づく。「コミュニケーションができる」ということと、「国際的な人材として対応できる」ということは全く別な問題です。
 そういう意味では学長会議と並行して、国連のアカデミック・インパクトのプロジェクトの一端として、学生も加わる部分も一部分準備しました。そういう中に日本の学生が加わると、内容を持って喋らなければならないということにはなりますから、それが第一歩かなと思います。グローバル化即外国語を教えることではないから、それぞれの大学が国際的に通用する教育課程の原則に基づいた教育をすることに尽きるのだと思います。
○大沼 まさしく黒田先生がおっしゃるように、大学のグローバル化というのは、大学が国際的に特色を持って、それを世界が評価してくれて初めてグローバル化なのです。ですから、英語を教えたらグローバル化したわけではない。
 文化ファッション大学院大学を作ったら、何と65%が外国人です。日本人はたった30〜35%しか入ってこないのです。あとは外国人が入ってくるわけです。
 この間、サウジアラビアの文部次官がうちへ見えたんですね。うちみたいな大学をサウジアラビアにつくりたいのだけれども、どうしてこんなふうに大きくなったのか、その秘訣を聞かせてほしいと。私が、日本では自然発生的に私学はできているのです、これだけの土地や建物があっても、国は1銭も出してくれません、民間企業も寄附はしてくれません、ここで働いている人たちが爪に火をともして、長年歴史をかけて積み上げてここまで来たのです、と言うと、「奇跡だ」と言われた。我が国では国がやる以外ないのですと。従って、国でやる場合にどうしたらいいかを聞かせてほしい。それから間もなく、サウジアラビアの王妃様が見えた。うちの学生と話し合いをしたいと言うので、学生数名を出した。そのとき、11人のうち3人だけが日本人で、あとは全部留学生でした。クウェート、イタリア、イギリス、シンガポール、ブラジル、チリ、ロシアからの八人です。
 そのときに、留学生がその王妃様に何を言ったかというと、異口同音に、日本のファッションを見ていると非常に特徴がある。非常にきちっとしているし工夫を凝らしているから、これは日本には何かあるに違いない。ロンドンにない、ローマにないものが日本の東京にある、その秘密を勉強しに来たのですと言うわけです。これはフランスのデザイナーのピエール・カルダンも「羽田へ降りるとわかる」と言う。何がわかるのですかと聞いたら、日本人の女性のファッションのセンスのレベルが非常に高い。ただし、パリに次いで2番目だけどねと(笑)。
 これらの話からもわかるように、何か日本の特徴を持たないとグローバル化には対応できない。要するに、日本の中の競争ではなくて国際的な競争ができるようにならなくてはならない。
○水戸 大沼会長の言われるとおりだと思います。本学は、「日本漢学研究の世界的拠点の構築」で21世紀COEプログラムに採択されました。これを海外発信すると、漢文学科のあるイタリア、ハンガリー、ドイツ、フランス、イギリス、米国、ベトナム等の著名な大学から、講義の依頼が相次ぎ、中国文学科の教員が、定期的に各大学で巡回講義をしているほかネットによるテレビ講義などを行っております。またこれらの大学から教員が、本学を訪問するなど自然と内外交流が行われ、現在各大学と、教員のほか学生交流、シンポジウムの相互開催などを内容とする交流協定を締結し始めており、先行き単位互換制度も検討する予定です。漢学という特色を、海外発信すると、自然に内外交流が生まれてくるというのも一つのグローバル化じゃないかなと思います。
教育再生実行会議が提起しているグローバル人材の育成に関しては、大学設置基準の大綱化以降、教養課程が廃止され、英語を教養として学ぶ機会が無くなっているのが、英語力の弱さの一つの原因になっています。今回教育再生実行会議で英語を含む教養課程をカリキュラムの中に入れ込む必要があると提言されています。
○古田 今、大沼会長の言われたのは、まさにそうだと思うのです。ファッションというのはグローバルなのです。エンジニアリングもそうなのです。我々の論文を出すところは、今日では国内の学会でも全部英語になっています。そうでないとリファーされないし、誰も読んでくれないのです。私自身もIEEEの制御システム学会のボードメンバーもやりましたが、論文発表するのはこういう国際的な学会でないといけない時代です。学生が修士課程に入ると研究がグローバルなのが分かってくるのです。事実、外国の研究者が滞在していると、英語を勉強しなくちゃいけない。外国人の留学生とか研究生とかいる環境の中で育つと自然に国際的になります。
○小出 ありがとうございました。
 東日本大震災の復旧・復興対策と大学の役割という課題につきましても、私どもは決してその取組みを風化させない、という信念の元に被災学生への継続的支援を含めて、強力に推進して参りました。昨夏には盛岡で国公私立大学のコラボレーションで、第3回目のシンポジウムを盛会裡に開催致しました。この取組みは、あの大震災が提起した日本社会の今後のあり方、私共の生き方・価値観についても多くの示唆を与えてくれました。更に付言すれば、私共の呼びかけに応えて、全国の私立大学がそれぞれの特色、専門を生かして、例えば、ボランティアの派遣・地域再生計画への提案などなど大きな支援が継続していることは、大学人の良心をみる思いです。日本の新時代の原動力は、規模は小さいかもしれないけれども、あるいは地方に位置しているかもしれないけれども、そこに存在する高等教育機関の力に依るものであると実感する具体事例です。
 その事柄に関連しまして、全国の私立大学に大いに頑張れという意味合いでのエールを先生方から頂戴をして、今日の座談会を締めさせてもらおうかと思いますが…

学生の80%を担う私大に財政支援を

○佐藤 今、日本の私立大学全体の中で、学生数規模順で並べて上から63番目の大学で50%の学生を抱え、残り515大学で残り50%の学生を抱えています。国の高等教育への財政支出に対する考え方を根本的に変えないといけない時期に来ていると思います。収容定員100〜200人の学生を持っている特色に溢れた大学に、大規模大学と同じような構造でもって運営をしろといったって無理ですよ。ですから、どういう策があるのかわかりませんが、50%を目指すということでスタートした私学助成が、今まだ10.3%でしょう。それを伸ばす議論ももちろん必要ですが、それは財源との闘いになりますから、発想を転換することも必要ではないかと思います。つまり助成というより、80%の学生を教育している私立大学に対して、国は国立と同様に応分の財政支援をすべきだと思います。
 もう一点は、授業料の負担が高くなっていますから、私立学校は寄附行為によって成り立っているのだから、授業料も寄附行為であると見做して税額控除ができるぐらいのことをしないと、解決がつかないのではないかと思います。そういう意味では、私立大学団体連合会でも公財政の拡充のための理論武装をして、ぜひ今年は1歩先に踏み出してほしいと思います。
○水戸 私学振興助成法の目的に、学校の教育条件の維持・向上、保護者の経済的負担の軽減、学校経営の健全性アップの三つがあり、佐藤先生の言われた事項はもっともなことです。そのほか、現在の定員未充足の場合の補助金の扱いが、国立と同様に未充足90%からカットされ、以下、50%削減が下限となっています。私立大学は、もともと地方所在校が260校と多く、現在定員未充足先が、264校、45.8%に上っております。また一方、先ほどの振興法の意義に照らしても、国立大学は、多額の交付金を国から支給されており、定員未充足は厳しくチェックされるべきであり、国立大学と同じ取り扱いは、廃止すべきであると思います。定員未充足校でも良い教育を展開している大学はたくさんあります。
 定員の考え方については、国立大学は、ミッションの再定義で教員・工学・法学系などは、定員削減の方向で見直す必要があります。これを、スケジュールどおり進め、削減財源を、私立大学補助金の充実に充てることを検討して頂きたいものです。
○小出 一つの物差しで切られてしまうというあたりは根本的なお話ですね。
○古田 先ほどの授業料の件ですが、私立大学においては、経済的な問題が起こったがゆえに途中でやめなければならない学生がいる。大学としてもその対応に苦慮しているところがあります。先ほどの税額控除の他に、緊急に対応できる貸付制度みたいなものを、例えば日本学生支援機構が柔軟な制度を作って頂けると有難い。
○水戸 高等教育費の家計負担は、私立と国立では段違いの格差がありますから、支援機構では私立大学向けの柔軟な奨学金制度を、検討して頂きたいものです。
○佐藤 あれだって、償還するということは必要だとしても、ペナルティをつけてまで取ろうというのは、国は金貸し業をやっているのかと言いたいぐらいですから。育英資金については、利子補給を国がすればよいのですよ。原資については返してくれと。
○小出 奨学金のあり方を巡りましても、たくさんの問題が出ていますね。黒田先生、いかがですか。

COC等の地域活性化支援は大きなインパクト

○黒田 地方の私大にとっては、規模が小さいだけに財政支援は非常に大きなインパクトがあるのです。ですから、先ほどから話が出ているように、多少の定員割れで補助金をカットするということではなしに、しっかりした支援をして頂くと助かります。昨年、「地(知)の拠点整備事業(COC)」は、地方私学に配られるものだと思っていたら、大手国立大学が取ってしまい、私大にはほとんど来なかった。昨年の私立大学振興大会で苦情が出ていましたが、結果的にああいうことになったので、今年はそういうことのないようにやっていただきたい。その地域で連携しながら活性化しようとしている大学には、支援の手を差し伸べて頂きたいですね。
○大沼 今日、いろいろ議論がございましたけれども、最後に出た学校の財務問題、学生の授業料問題、政府がそれに対してどういう補助を与えるべきかについては、私も全く同感です。先ほど来、金利を取るとはけしからぬと言ったように、その点がみみっちいのですね。国立と私立との補助金の格差をどう是正していくかということと、今、皆さんが言われているように、経済の変動があったり合理化が行われると親が所得を失う。そうすると学業を継続できない。今、それが非常に多いのです。そういうものに対する支援をどうしていくのか。
 ちょうど水戸先生は、前職で日本銀行におられたという話がありますけれども、我々の時代のときはフルブライトという奨学金がありまして、日銀だとか大蔵省にいた相当大勢の人たちが、みんなフルブライトでアメリカへ渡って、ハーバードのビジネススクール等を出てきて、日本の戦後の再建をやっているのです。それに限らず色々なアメリカの育英奨学金があって、それで日本の知的レベルが高められたということがあるので、日本もそれをやらないといけないと思います。人材育成に大きな金を出すのだったら、それを充実させるのが緊急課題だと思う。特に東北の大震災で被災した人だけではなくて、それらの影響が各所に色々な問題を引き起こしているわけですから、そういうものに対する継続的な支援が可能です。そうでないと本格的な人材育成もできないと思いますので、今年の課題は、そういう意味で教育の大きなパラダイムの転換と同時に、そういった財務的な再建、要するに学校だけではなくて学生に対する奨学金の拡充が非常に大事なファクターになる、それをしっかりやっていかなければならないのではないかなという感じがしております。
 したがって今年は、また新たなる視点から私学のパラダイムの転換と進展について取り組んでいく必要があるのかなと思いますので、お互いにこれから協力し合って頑張っていきたい。どうぞよろしくお願いいたします。
○小出 本日はどうもありがとうございました。

(おわり)


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