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平成25年10月 第2539号(10月9日)

改革の現場
 ミドルのリーダーシップ <53>
 大学名変更・共学化・一学部へ大転換
 至学館大学


 至学館大学は1905年、内木玉枝女史が創設した中京裁縫女学校に始まる。1922年に併設された家事体操専攻科がオリンピック出場者を輩出(1936年)、その後のスポーツに強い大学を形作った。1950年に中京女子短期大学、1963年に中京女子大学を開設した。1964年に中京女子短期大学を中京女子大学短期大学部に名称変更、2005年に附属高等学校を男女共学化して至学館高等学校に名称変更し、2010年には学校法人・大学・大学院・短大・附属幼稚園も現在の「至学館」に統一してそれぞれ名称変更を行った。1979年に学校法人谷岡学園の故・谷岡太郎理事長が学校法人中京女子大学の経営を引き継ぎ、その後、1986年より学長、2005年からは理事長も谷岡郁子学長が務める。
 改革の歴史を岡田敏夫経営管理局長、丹羽一博経営管理局次長、白木正義経営管理局次長、星田紀幸教務課長等に聞いた。
 「分かりました。学校はもう潰しましょう」。2003年、高校の職員会議で、谷岡専務理事(現理事長)から出てきた言葉に一同は凍りついた。特に女子校の定員割れ、一向に進まない改革、労使の軋轢、「教職員の意識が変わらなければ、学校は変わらない」と檄を飛ばした。
 こうして女子高として存続させるのか、男女共学化するかなどを巡る喧々諤々の議論が始まる。そこで男女共学化の方向で基本プランを作り上げ、谷岡専務理事も、「ここまで考えているなら共学化しましょう」と頷いた。「教職員が危機意識を持った当事者として徹底的に議論を行い、現場から今後の経営計画を考えるプロセスが必要でした」と岡田経営管理局長は振り返る。その後、具体的な改革案が教職員により策定され、これに向けた改革をしていこうと教職員の意思が統一された。「近隣の複数の中学校長に学校のイメージや問題点をヒアリングしたり、教員間でばらばらだった価値観や目標を一つにして、制服もガラリと変え、イメージを一新させました」。毎日、松本校長を中心として校長室で何が足りないのか議論してきた結果だった。そして2005年、学園創立100周年を機に、男女共学化を実現し、至学館高等学校と名称を変更した。
 一方、大学はまた別の経緯がある。歯止めが利かない定員割れの中で、1993年、谷岡学長から大学の改組計画案が示された。教職員全員が参加し、今後どう生き残っていくかを議論するSPOC(Survival plan only chance)という会議が転機となった。大学のスケールメリットの拡大をねらいとして「日本初のアジア文化学科を創ろう」という提案が示された。当時の資金繰りが厳しかったため、谷岡学園より法人間の寄附を受けた資金により実現。これが第1期の改革だった。その後、既存の学部・学科は順調に推移したが、アジア文化学科は、学生募集の低迷により定員が充足できない中で、カリキュラム改革や学科名称の変更、教員免許の取得などにより改革を続けたが、結果として学生は集まらない状況が続いた。
 2008年、将来構想検討委員会において、大学の社会的役割と教育の充実を図るため、大学改革をどのように進めるか学内で論議され、アジア学科(アジア文化学科からの改称)は、思い切って廃止の方向に舵を切ること、そして、健康スポーツ科学、栄養科学、こども健康・教育の1学部3学科体制とすることが検討された。しかし、この構想案では、アジア学科の教員からは将来の雇用不安があったので、谷岡理事長は、教員の処遇は責任を持つと言いきった。その後、急ピッチに第2期改革案が策定され、2010年からは高等学校に合わせて大学を共学化し、大学の名称変更、法人名も変更。新大学のもとでは、特に東海四県下を中心に高校校長OBを有期雇用し、指定校の見直し、学校訪問の強化、広報活動等を精力的に行った。そのような取組などもあり志願者はV字回復を果たした。
 大学運営はどのようにしているのか。「理事会と大学の要職者を構成員とする「運営協議会」を置いています。月に2回程開催し、大学の経営・教育・管理に関する重要事項を審議するための協議会であり、理事会と大学との情報共有・調整機関でもあります。教学担当理事と副学長、経営管理局長、経営管理局次長が打ち合わせをして議題を挙げて運営協議会に諮ります」と白木次長は説明する。
 経営管理局の中期計画は、経営管理局長から発案され、運営協議会に諮られた。これを元に目標管理制度を試行的に実施し、平成25年度からは人事考課制度が導入された。谷岡理事長からは、経営管理局のあるべき姿、使命として、何より学生に学生時代を有意義に過ごしてもらうための努力を惜しまないこと、職員一人ひとりの個性や能力を尊重することが強調され、大学の教育の理念「人間力の形成」は学生のみならず教職員にも必要ということで、岡田経営管理局長によって経営管理職員の行動規範も作成し、この行動規範を元にした職場環境の醸成や事務職員の研修活動計画も策定されている。

本格的な職員参画、中期計画による目標の共有で前進
桜美林大学教授/日本福祉大学学園参事 篠田道夫

 至学館大学は、2010年、中京女子大学から至学館大学に名称を改めた。男女共学に転換、また、2学部を1学部に抜本的に再編する大きな決断をした。これが成果を上げ実を結びつつある。
 もともと中京女子大学は体育学部からスタート、母体となる中京高等女学校には大正時代から家事体操専攻科があり、戦前のヘルシンキオリンピックに出場、そして今、アテネで3人のメダリストを輩出するなど高い知名度を持つ。
 体育学部と家政学部を中心として次第に領域を拡大、1995年には健康科学部と人文学部に発展する。この中にある健康スポーツ科学科が伝統の流れを受け継ぐ。一方この時、人文学部の中にアジア文化学科を設置。時代を先取りした学科だったが女子高生に浸透せず学生募集に苦戦する。学科設立後から定員を大幅に下回り、大学全体の定員充足率を押し下げ、財政悪化を招くこととなった。これを一気に打ち破ったのが冒頭の大学名・共学・学部改組のトリプル改革である。
 実はこれに先んずること5年、学園創立100周年の年、附属高校が至学館高等学校と名称変更、男女共学に踏み切り成果を上げた。すでに流れは出来ていたともいえるが、スポーツで築きあげた知名度、中女イズムという強いミッション、女子教育の長年の伝統、これらを踏まえた上で2009年3月の理事会においてこの決断が行われた。改組・名称変更後の学生募集は順調に推移、定員充足率は111%(大学全体)まで上昇した。
 こうした大きな決断と抜本的な改革はいかにして実現したか。
 第1に挙げられるのは谷岡理事長・学長の、理念を大切にしながらもしがらみを断ち切る果断なリーダーシップにあることは確かだ。
 第2には強い教職一体運営である。2005年度からは全国的にも数少ない経営管理局(事務局)の局長、次長、課長までの教授会構成員化(人事教授会は、局長のみ)を行った。現在では、学内に25ある各種委員会、専門部会も全て職員が加わる、しかも進んでいるのは課長のみならず課から選出した職員も加わる点。教職連携で現場実態に基づく改革が推進できる組織体制である。
 基本政策を作る経営・教学一体の大学・短大運営協議会にも経営管理局職員が加わり三者で合議するシステムだ。職員はあらゆる会議に構成員として出席し議決権を行使、教員と対等に意見交換、意思決定に参画することで強い決断を支えてきた。
 第3には、改革の方向や計画を明示・共有しながら進めている点だ。2005年には岡田経営管理局長が自ら執筆した経営管理局中期目標・中期計画を提起、それを基に至学館大学の中期目標・中期計画の骨子が定められ、事業計画もこれに連動する。入試・広報/教育/研究/地域連携/学生支援/施設設備/管理運営および教学組織整備/財政基盤の確立/産学連携・知財戦略の推進/教育後援会・同窓会との連携の10の戦略ドメインごとに目標を掲げ、重点計画を立案・推進することで大学改革を進めてきた。
 第4には教員の教育改革、授業改善である。全教員は全授業科目の相互公開と参観が可能であり、参観後に意見交換や所感文を提出する。学生満足度の高い教員を授業形態別に選任して、授業方法・技術の改善を目的としたFD勉強会も取り組んでいる。学期中での授業改善は「中間アンケート」を実施、学期末には全教員が「授業改善アンケート」を必ず実施する。各設問の得点表、平均点との比較、レーダーチャート、授業満足度との対比など一目でわかる授業評価結果を作り、これへの教員コメントをまとめ発刊、学生に公開する。
 第5に先駆的な事務局改革である。2004年に学園事務局組織を改編、法人本部と大学事務局を統合して経営管理局に改め、法人・大学運営への一元的支援を強化した。課制を全廃し運営を図ってきたが、その後、分掌業務が多岐にわたり業務停滞が発生するようになったため、二〇〇六年から課制を復活させた。現在は、学生サポートセンターとして総合的な学生サービス機能を充実させながら、職員一人ひとりが業務目標を設定して能力開発に取り組んでいる。
 先進的な職員の運営参加を担保する政策提言能力や課題解決能力の育成を徹底して追求する。あるべき職員像を鮮明に提示し、SD職場全体研修、階層別・目的別専門研修、自己啓発研修を実施する。業務目標管理制度、人事考課制度も充実させ、経営管理局職員の使命、行動規範の明示に始まり考課制度と研修制度を結び付け、職場風土作りや意識改革にも継続的に取り組む。評価も職位別に求められる能力を定めチャレンジを促し職員力の強化を進める。
 果断な決断と教職一体による取り組みがこの大学の前進を支えている。


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