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平成25年6月 第2526号(6月12日)

改革の現場
 ミドルのリーダーシップ <45>
 5学部を統合、1学群で特色化
 札幌大学


 札幌大学は1967年の創設以来、札幌市・西岡地区において地域社会の中核をなし、経済学部、外国語学部、経営学部、法学部、文化学部を設置・展開してきた。大学運営は教学自治に長く委ねられていたが、理事会主導の改革が本格化している。この4月からは、5学部を「地域共創学群」に統合する1学群制を導入、アクティブラーニングを軸に主体性の涵養を重視した教育を展開する。改革の経緯について、桑原真人学長、鈴木淳一副学長、本田優子副学長、山田玲良副学長に話を聞いた。
 「1980年代から中期計画等を作成してきましたが、達成状況は中途半端でした。このたびの大幅な定員割れを機に本格的な改革に踏み切りました」。今回の大幅改組の背景を桑原学長はこう切り出した。一般的に「拡大路線」とは、既存学部に手をつけず、新学部を増設することが多いが、厳しい定員割れの下では、学部を圧縮し、収容定員、教員を減らすしか道はない。山田副学長は「沈み始めた船を海面に引き戻す改革」と呼んだが、まさに大学は舵を切ってもなかなか進路が変わらない巨船である。
 こうした改革の中心を担ったのが、理事長を補佐するために設置された政策室だ。教学から上がってきた案件を理事長が追認するのみになるのを防ぐため、良し悪しを判断する材料を整え、意見を付して理事長に上げる理事長諮問機関である。この政策室長に山田副学長が就任した。
 「全学の共通ルールを作成しても学部ごとに解釈・運用が異なるなど非効率でしたから、本当に『学部の壁』をなくしてしまおうと。共通教育等を効率的によりコンパクトに実施するため5学部を1学群にまとめ、その上で多彩に13専攻を展開する改革案でいこうと落ち着きました。学生は1年次で共通科目を中心に学び、アドバイザーと相談しながら2年次に自分の専攻を決めて本格的な学びを始めることができます。その仕組みを『札大マッチング』と命名し、広報戦略の大きな柱に据えました。専攻単位であれば、教育のプログラムを社会の動きに合わせて機動的に組み替えていくことも容易です。これまでは学部ごとにバラバラだった大学の方向性を一本化することにもなります」と鈴木副学長は説明する。更に、教育のメソッドも抜本的に見直し、体験重視、活動重視のアクティブラーニングを中心に据えた。
 意思決定プロセスも大幅に変更した。「これまでは専門委員会、教授会等様々なルートを経て物事が決められていました。変更後は学長が主宰し、副学長、学系長、学類長といった選抜メンバーからなる学群会議(教授会)に各分野の評議機能が集約されました。これにより学群の執行権は、基本的に全て学長の下に集められたことになります。また、教務部長、入試部長等は、相互に守備範囲を超えられるように、全て副学長、副学長補という横断的な役職に置き換えられました」と本田副学長は述べる。
 「理事会の改革案には特に教員サイドから相当の抵抗がありましたので、学部長から代替案を示してもらうようにしました。その上で、財務や社会状況等様々な与件を指摘しながら、代替案の難しさを納得してもらいました。理事会案を先行させたことは、理事長をトップとする運営のガバナンスを再認識させる副次的効果をもたらしました。また、学部長案を出してもらったことで、各学部長にも改革の当事者としての意識が芽生えたことは非常に重要でした。会議の場では辛辣な意見もありましたが、最後はまとめなければ、と言う雰囲気が自然に生まれました」。
 山田副学長は続ける。「改革を推し進める役職者がいるときだけ改革するのでは経営が安定しないので、改革の駆動力をシステムとして生み出し続ける仕掛けを作りたいと思っています」。
 理事会、教学、事務局、それぞれが干渉し合わずに乗り切れる時代はとうの昔に過ぎ去っている。真剣勝負の議論を避けていては真の改革は達成できない。そのためには、本田副学長が指摘するように、「改革に命を掛ける人がいないとダメ。改革に身を投じる人間がいるかどうかが重要」ということであろう。
徹底した議論、説得力ある提案で
全学合意し推進
桜美林大学大学院教授/日本福祉大学学園参与 篠田道夫

 5学部を統合し1学群13専攻に再編した札幌大学の改革が注目を集めている。
 その狙いの第1は、学力や学ぶ意欲が必ずしも高くない学生に低学年からいきなり専門教育を教えることは無理があり、かえって就学意欲の減退から中退者、留年・休学者の増加につながっていた事態がある。リメディアル教育や基礎・基盤教育など全学的教育は、専門教育にこだわりが強い学部体制のもとではどうしても不十分となり、学生実態とのミスマッチが進んでいた。
 高校生に特色を鮮明に打ち出し志願者増につなげようとしても、旧来型の学部名称の中では特色ある教育がかえって隠れてしまう。むしろ大括りな学群の中で専攻を軸に打ち出した方が教育の中身がより鮮明に伝えられ、特色も打ち出せる。
 学部細分化は必置科目の制約が大きく、特色の前にまず学部に最低限必要な基本科目を揃えなければならない。ところが財政の制約もあり設置基準を上回る教員数を確保することは至難の技で、特色ある科目の配置は極めて困難であった。そうなると、平均的な学部が並ぶことになり、高校生から見て魅力ある学部創りはますます困難になる。
 改革がスタートしたそもそもの要因が数年前からの定員割れにあり、とりわけ2011年入試は「激震」と言われ、定員の30%を割り込む厳しいものであった。学部細分化は設置基準上の必要教員数を増大させる。1学群だとより少ない基準で済み、それ以外は自由な配置が可能で特色ある教員編成が出来るようになる。
 もう一つの大きな狙いは教学マネジメントの改革である。5学部の教授会による運営は全学一致の決定が難しく、また学部の独自性の強化は、教育上の全学的連携や一体運営を弱める方向に働き、学生や高校生のニーズに対応した柔軟な教育の改編も困難にした。学群移行に併せ、意思決定の迅速化、学長の責任と権限を確立すべく、学群長、学系長を構成員とする少人数の学群会議を唯一の決定機関とする改革を行った。一方、評議機関として教育組織である専攻に対応する学類会議と研究組織である学系会議を置き、丁寧な意見集約を図りつつ決定は責任を持って行う仕組みに改めた。
 専門委員会も廃止し、副学長、副学長補が全学に係る主要業務を分担すると共に、その下に専攻プロデューサーを置き、これまで専門委員会が果たしてきた学内行政全てに関する企画や業務遂行を担う新たな仕組みを作り上げた。これにより学長が学群会議を直轄し、学群長、学系長を掌握すると共に、全学教学運営も副学長、専攻プロデューサーのラインで動かすことでリーダーシップが強力に発揮できるシステムとした。
 中長期計画がまだ普及していない1984年から第1次基本計画をスタート、政策に基づく改革の伝統で教学充実を進めてきた半面、それが学部の拡大路線に繋がり、環境が激変してもなおこれを転換できずにいた。オーナーがおらず学内各層の意見を尊重する運営や学部割拠がリーダー不在の調整型運営をもたらし、身を切る改革ができず定員割れの大きな原因となったという反省もこの改革の背景にある。
 しかし、学部全廃の大改革は当然ながら教員の中に大きな抵抗や反対意見を生んだ。改革の推進組織である理事会の下に置かれた政策室は、経営診断結果、財政見通しなどの情報を徹底して周知するとともに、反対の学部からは対案の提出を認め、理事会案とその現実性や効果について基本計画委員会の場で徹底して議論、検証することで妥当性を明らかにしていった。また、基本方針は決めるが具体的な教育課程などの成案は教学の意向を尊重することで、学部長の協力もあり、最終的には学部の了解を得た。理事長、学長一体の強い決断、政策室の説得力のある原案やデータ提示、繰り返した粘り強い議論、そして現実の定員割れの危機意識の共有が大改革を決断させた。
 今年の入試で志願者が急増するには至っていない。学群の意義や専攻の特色をさらに浸透させてる必要がある。何よりも整った改革推進の条件を生かして、教育の充実、学生の成長や満足度の向上で結果を出し評価向上に繋げていかなければならない。まだスタートラインとも言えるが、危機に直面する多くの地方私大改革の重要な選択肢になりうる要素を多く含んだ意欲的な挑戦である。


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