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平成21年10月 第2377号(10月21日)

キャリアデザインの時代
  大学生のキャリア、何故いま支援が必要か

立教大学大学院研究科特任教授
日本キャリアデザイン学会前会長 渡辺三枝子

 流行の中で、危機にあるキャリア支援を思う
 今回の企画を伺い、私に与えられたテーマ(タイトル)を見たとき、10年ほど前から幾度となく同様の問いを自問してきたことを思い出した。今ほどこの問いと真剣に対峙しなければならない時はないと思う。
 最初は、バブル経済の崩壊後、大学が初めて真剣に学生の就職指導で苦悩するようになった時であった。就職指導担当の教職員の中で、自分の進路を選べない学生、全く準備のできていない学生の増加に気づき、新たな支援を模索する動きが起きた。
 次に「キャリア支援」と遭遇した時である。キャリア支援は、進路未決定で卒業する学生の増加を軽視していた大学に対する社会の批判や、保護者の就職率への関心の高まり等への対処策として注目される一方で、大学外で学生に直接キャリア支援をする機関や人の出現が、大学の活動に影響を与えだした。学生のキャリア支援が、大学だけの活動ではなくなった今こそ、大学は、やみくもに外部の声に右往左往するのではなく、本来の機能として「今なぜキャリア支援なのか」と真剣に向かい合わねばならない転換期を迎えたと思う。事実、担当者の間では「自分たちの支援は本当に学生のキャリアを支援できているのか」という不安を抱く者も少なくない。他方で、「教職員のおかげで、大学での学習や就職活動に取り組む意味を見出した」といって、主体的で前向きになる姿に接する時、その不安はかき消されることも確かである。
 キャリア支援は「今なぜ必要か?」を問うことから始まる
 すでに新聞等でも紹介されたように、中央教育審議会の一部会では、キャリア教育ではなく、キャリアガイダンス(職業指導)の大学への(再)導入とその授業化の法制化まで話題に上がっていると聞く。学生への影響と現場の混乱を想像すると恐ろしくなる。
 しかし、この話はキャリア支援の流行への警鐘と受け止めたい。今こそ大学は、多様なキャリア関連のプログラムや授業、相談体制の強化等の具体策を一時休止して、「学生のキャリアとは何か」、「キャリア支援とは何なのか?それは大学教育の本来の意義とどのような関係にあるのか」、「なぜ就職指導ではいけないのか」、「真に学生のことを心配しているのか、誰のためにキャリア支援活動をしているのか」などの問いに真摯に答えなければ、そう遠くないうちに、キャリア支援は批判の対象となるだろう。
 大学内の関係者とキャリア支援の意味について話し合ってみると、キャリアの意味、支援の目的、目の前の学生のとらえ方、大学の社会的役割等について、決して一致していないことは歴然とするであろう。キャリア支援は、「人は二人と同じ人はいない」という人間の個別性と独自性の尊重をその活動の理念としていることを思い出せば、担当者が自分のキャリア構築の過程で獲得した自分の価値観や知識、学生への想い、自分の任務に対する関与の程度が異なるのが当たり前である。また違うからこそ、多くの人が協力する価値がある。担当者たちが「学生の成長」という願いを共有して真摯に話し合えば、各大学に独自なキャリア支援の意義を見出し、それに向かって協力体制も生まれると確信している。
 キャリア支援とは
 他の国々のキャリア支援担当者との意見交換で必ず一致するのは、キャリア支援の体制や具体的内容は大学によってみな異なるから、他の大学の模倣は意味がない、ということである。建学の精神や教育の理念、運営方針、学生や教職員の特徴、立地条件、時代背景等の影響を受けるからである。しかし他方で、キャリア支援の高等教育機関における存在意義と教育的役割に関しては共通している。この共通部分を理解するために、キャリア支援の背景は理論的立場があることを紹介しておきたい。
 大学におけるキャリア支援は、「キャリア発達の視点に立って」個々の学生がキャリア構築していくことを支援するプログラムの総称である。具体例としては、キャリア教育という名のもとに行われている諸活動、履修指導、就職指導・相談、進路指導(キャリアガイダンス)・相談、キャリアデザイン関連の授業やワークショップ、インターンシップ等々を含む。しかし、これらの活動が真にキャリア支援となっているかは別問題である。キャリア支援と評価される鍵は「キャリア発達の促進」の理解である。因みに、キャリア教育とは、キャリアについて教育することでもなければ就職の準備を必修にして四年間かけて行うことでもない。キャリア発達の促進という視点に立って教育活動全体を見直す『運動』であり、その方針である。
 キャリア発達とは、「全人格の一側面としてキャリア行動の発達という側面がある」という仮定に立ち、そのうえで、「人みな自己のキャリアを構築する(キャリア)行動という責任を果たすためには必要な能力や態度があること、その能力や態度は他の発達的側面と同様、段階を追って発達させられるもの」という視点である。青年期にある間、学校から社会に移行する時期までは歴年齢を基準として設定された発達課題があり、それらを達成していくことで、漸成的に発達は促されるという考え方が背景にある。
 なお、発達課題は個人の自立に向かっての発達を促すが、人間側の発達とともに社会が課す要請との相互作用で設定されているので、発達課題の達成は外部からの教育的働きかけが不可欠である。そこにキャリア支援の意味がある。
 大学生のキャリアとは
 キャリア発達の視点に立つとき、大学生時代の発達課題は、高校卒業時の暫定的選択(仮の進路決定)という発達的課題の達成を土台とし、選択した進路(専門領域)の中でできる新たな諸体験の価値付けや意味付けを累積するための行動と態度を発達させることで、次段階の課題である「社会人としての自立」に向け、実際に進路選択し、自立していくことである。私は、大学生のキャリアを、「今(大学生時代)という最も現実的な空間と時間の持つ意味と価値に気づき、大学生であるからこそできる体験を意識的、主体的に累積すること」と定義する。大学生のキャリア構築とは、専門領域を自分の視座として獲得し、自己確立することで、学校から社会への移行という課題を達成することと考える。
 おそらく従来の大学は、入学前の発達課題を達成したという前提に立って教育内容を決めてきたし、教育機関の任務の一部として、学生のキャリア発達を促す役割があることを認識していなかった。しかし、入学する学生が、大学教育の土台であったキャリア発達を達成してきているとは言い難いのも現実である。
 一方、社会からは以前にもまして、卒業時には社会人としての自立に必要な基礎的能力と態度の獲得を強く要求されている。ここに「キャリア支援」の必要性が生まれたと思う。大学のキャリア支援の本来の目的である「大学時代独自の発達課題の達成の支援」を遂行するために、多様な学生の発達状態を認識して、入学時からキャリア支援を始める意味がある。
 大学がキャリア支援の意義を問う時、専門教育を通して学生を育てるという使命の現代的意味を再確認することを忘れてはならない。また、大学でなければ実践できないキャリア支援は、各大学の教職員の協力の上に成り立つと思う。最後に、自分の大学生活の価値づけができる(キャリア構築ができる)学生は、就職活動も順調に進み、成果を上げることができるという多くの事例があることを付け加えておきたい。

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