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平成21年9月 第2374号(9月23日)

鈴木ICU学長インタビュー
  「渡り鳥」が質を保証する
  私大団連報告書の提言を聴く

 日本私立大学団体連合会は、同連合会所属の全私立大学(517校)に“質保証”に関する初の合同アンケートを実施し、去る7月、その分析結果を報告書「私立大学における教育の質向上〜わが国を支える多様な人材育成のために〜」にとりまとめ公表した。その中の第三章で、ユニークな“渡り鳥制度”を提言している国際基督教大学の鈴木典比古学長に、その構想のほか、同報告書の各種提言等の要諦を聞いた。

 報告書を作成した背景はどのようなものでしたか。

 まず、この報告書は、私立大学団体連合会として今後の私立大学の在り方をまとめた、初めての成果だということです。実質は私立大学が担っているにも関わらず、国立大学重視の高等教育政策の中で、私立大学はどういうスタンスで自分たちの21世紀の方向を決めていかなければならないかが求められています。
 これまで、私立大学三団体(日本私立大学協会、日本私立大学連盟、日本私立大学振興協会)の中で、上部団体としての団体連合会はありましたが、実際の三者間の交渉は限られていたと思います。これまでは、三団体が別々に活動していてもそれ程の差し障りのない時代だったのですが、少子化やグローバル化の流れ、平成16年の国立大学法人化など、私立大学を取り巻く環境が劇的に変わった。そのような中で、私立大学団体間で三すくみ状態だと、大きな展望はひらけないのではないかという気がします。この報告書が私立大学三団体加盟の全大学を対象に行った初めてのアンケート調査の報告分析から始まっていることは大変重要なことです(図は調査結果の一部)。
■定期的な学習成果の測定
■点検・評価体制
 この報告書の作成の背景には、そういう危機感と問題意識があったということです。それから、中教審から『学士課程教育の構築に向けて』が答申されたことも大きな理由です。報告書は、ある意味でこの答申への私立大学からの“答え”でもあります。
 教育は、安定した状況の中で展開されなければならないという面があります。例えば、授業科目が毎年のようにコロコロと変わるようでは学生が戸惑うし、ディプロマ・ポリシー(卒業要件)が不明確になる。しかし世の中は激しく動いていて、大学が教育の対象としている学生は「こういうことを学びたい」、社会は「こういう人材育成をして欲しい」という要求があります。ディプロマを明確にしつつ、社会の急激な要求に、一つの大学で応えようとするのは極めて難しくなっています。そうした現状を踏まえ、報告書が提案しているのが、「渡り鳥制度」です。話題づくり的な側面が多少ありますが、この方向で私立大学団体連合会が進んでいくというのはどうだろうかという呼びかけですね。

 鈴木先生は第三章で渡り鳥制度について書かれていますね。これはどのようなものですか。

 報告書で書いてあるのは、たとえ話的でもあります。江戸時代の剣術修行で、剣士を目指す人は、まず一つの流派に入門して、武者修行も含めて他流試合をして、最後に道場主が免許皆伝を出します。同じように、開かれた大学間システムの中で、学生が全国の大学を点々と渡り歩き「修行」するのです。その際には大学だけが教育の現場ではなく、日本各地の文化や歴史にも触れて欲しい。
 ヨーロッパでは、学生にそういう経験をさせて成長してもらいたいということで国を超えた大学間交流を促進する「エラスムス・ムンドゥス計画」が始まっています。教育ルネッサンスが起こりつつあります。日本でも十九世紀まではそういうシステムがありました。もう一度、二十一世紀に今度は私立大学の中でやっていくのは、非常に意味があることです。私立大学は百花繚乱のごとく多様な教育をしていて、いわば雑木林のようですが、ここを学生が渡り歩き、他流試合の中に身を置くのです。
 教員が非常勤等で大学に出張するのではなく、学生に行かせるわけです。ここが、一番の転換です。動くのは教員ではなく、学生。教員が動いたほうが効率が良いかもしれませんが、学生が動くと、教育の質保証や学士課程教育の面からもメリットがあります。

 渡り鳥制度は、教育の質の保証もできるとありました。どういうことですか。

 このたびの報告書では、教育のPDCAサイクルの重要性にも多く触れています。PDCAとは、ご存知のとおり、計画(PLAN)・実行(DO)・評価(CHECK)・改善(ACTION)のサイクルを回して、継続的な改善を図るものです。重要なのは評価と改善です。評価をどう行うかに教育の質の保証が関わってきます。評価するためには、評価が可能な計画を作らなければなりませんから、曖昧になりがちな教育目標は立てられない、ということです。これは後ほど説明しますが、「学士課程」答申の三つのポリシー(アドミッション、カリキュラム、ディプロマ)に関わってきます。
 渡り鳥制度との兼ね合いで言えば、計画(P)・実行(D)は各大学の建学の精神や理念に基づいて教育していくことです。評価(C)の際に、“渡り鳥”学生に各大学の教育評価をしてもらうのです。そして、その評価を大いに参考にしながら改善(A)にいたる。
 様々な大学を渡り歩く学生ですから、いくつかの大学の教育を比較して評価することができます。実際に教育を受けた学生から「あそこの大学の教育はよい」と評価されますから、質を保証する教育評価にも繋がるというわけです。
 学生が一つの大学に在学しただけでは「そこの大学が本当によい教育をしている」という実感ができません。だからこそ他の大学も知ることが大事なのです。学生が大学を渡り歩き、「あそこのこれが面白い」、「これはあっちで学習できる」というように、学生が高く評価すれば、大学側はその科目の質を保証しつつ、ますます延ばして大学改革に繋げることができます。「あそこがすごい、ここがすごい」、などポツリポツリと分かってきて、私立大学全体が底上げになり、学生の満足度を尺度として向上していく。渡り鳥制度の意図はここにあるのです。
 そもそも、大学改革は何のためかといえば、学生のためです。大学改革の評価基準は、大学が提供しているものに学生が満足しているかです。学生がどういう教育を受けたいのか、どういう不満を持っているかを知らなければ本当の改革にはなりません。

 渡り鳥制度は各大学のポリシーや特色とどう結びついてきますか。

 「学士課程」答申で述べられているアドミッション、カリキュラム、ディプロマの三つのポリシーは重要で、一つ一つの大学は、建学の精神から具体的な学習目標を創らなければなりません。渡り鳥制度は、それを否定するものではありません。しかし、学生を一つの大学で囲い込んでしまっては、「この大学の教育しか知らない」ということになります。

 鈴木学長の国際基督教大学(ICU)では、リベラルアーツ教育で非常に有名です。リベラルアーツ教育と学士課程教育、そして、渡り鳥制度の関係は。

 リベラルアーツの観点からは、「学士課程」答申は評価できます。学士力とは、@知識・理解力、A汎用的技能、B態度・志向性、C創造的思考力の四つの力であると明示しています。@の知識を身につけさせる教育は、各大学で大教室の多人数教育でやっているものです。逆に言えば、現在の講義型の教育は主に知識を与えることを目的としており、AからCは身につけることが難しい。
 Aの汎用的技能はディベートやディスカッション等の対話の中で身についていきます。Bの態度・志向性は教室を飛び出して、社会現場や参加型のプロジェクト等で身につく。要するに、学士力はリベラルアーツにおける「ホールパーソンエデュケーション(全人教育)」の目指すところと重なっているのです。四つの力は優劣があるわけではなく、どれも大事です。理系・文系は関係なく、それぞれにあった知識、技能、態度を身につけなければなりません。大学はそれらを明らかにしなければなりません。
 渡り鳥制度との関係を考えると、まさに全ての学士力が養えます。渡り鳥たちは、各大学で教員と対話をしながら、あるいは、その土地で過ごしながら、幅広い知識はもちろん、議論をして自分の考えを組み立てたり、相手を説得したり許容したり、新しいアイデアを考えたりしていくわけです。当然、リベラルアーツ教育にも通じます。

 魅力的に見える渡り鳥制度ですが、課題もあると思われます。例えば、教員の能力の問題。渡り鳥を受け入れる教員には何が求められますか。

 学生に何を身に付けさせるにせよ、まずは教員自身がそれを身に付けていることが前提になります。リベラルアーツ教育を行っているICUなら、全人力を身に付けさせるのに、教員がまずそれを身に付けていなければならないのです。
 渡り鳥制度は、教員の能力の中核に「対話力」を置いています。具体的に必要になるのは、学生と議論をしていく中で、教員が学生に胸襟を開いて、お互いに意見をたたかわせ、学生に最後は「おれも頑張ったが、先生はさすがだ」と言わせることです。教員にこの力があれば、学生の四年間は違ってきます。
 報告書では、学士力と教育力との関係を関数で書きました。学士力=f(教育力)というものです。しかし、対話やディベートになると、それは学生もシャカリキになりますから、学生が教員に向かっていく事だってあり得ます。「学生にしてやられた!」等ということがある。そういう場合には、関数の中の学士力と教育力は逆転して、教育力=f(学士力)になる。お互いに意見をたたかわせていけば、関数関係が不安定になり教員と学生の関係が揺れ動く。しかし、そうした中に大きな学びがありますし、この不安定な関係を意図的に作ることも教育力なのです。学生はそんな教員の想いに乗った振りをしているのか、素直なのか、もっと勉強をして見返してやろうと思っているのか、夢中になってやれば対話力はどんどん付いてくるのです。そういう気持ちにさせる場を作ることを教員ができるかがポイントです。一方的な講義形式では、それはできないのです。

 対話力が学生にも教員にも必要なことはわかりました。しかし、対話力が身についたかどうか、どのように評価をするのでしょうか。

 客観的な尺度と言うと難しい面があります。アメリカでは、学期末の成績の構成は試験が50%、出席が10%、ディスカッションが30%などとなっていて、筆記試験ができてもディスカッションができないと良い成績はとれません。また、ディスカッションの基準としても、「自分の意見を言える」、「他人の意見を聞ける」、「人の意見や合意を受け入れる」など、細かい評価の尺度が決まっているので、なるべく客観的になるような構造にしている。そのあたりを参考にすれば、対話力にも成績がつけられます。学生同士での評価もよいかもしれません。
 ICUの話をします。グループディスカッションでは、必ず不協和音が起こる。「○○君がちゃんとやらない、議論を乱した、勝手なことをする」、など順風満帆にはいかない。これは人間だからしょうがないし、むしろ実際にはこのようなことばかりです。これをどう乗り越えるかが、実は非常に大事なことなのですね。ディスカッションには、全体の中の一人として意見を述べること、そして、全体としてうまく議論を進行させること、二種類のスキルがある。これに外国人が加わるグループだと、更にディスカッションスキルは高度になる。

 こうしたスキルは大学の四年間だけで身につけるのは難しいと思いますが。

 そのとおりです。本来、大学だけで身に付けることではありません。初等中等教育との連携も必要です。しかし、現状では高校までの間に、学生を得意科目や偏差値などで文系・理系に分けてしまう。そして、大学になって学士課程教育やリベラルアーツ教育を、というのは本来逆ですよね。大学の準備という意味での高大連携ではなく、全人教育の観点からの連携がなされなければならない。
 大学では、学士課程教育の構築に向けて大学改革をしていこう、世界に目を向ければ、バイリンガルが大事、対話力も大事、ということが言われているのに、相変わらず高校では文系・理系で、知識偏重型教育で、ということがやられている。そして、高校生本人もそうした実情は知らない。これは問題ですよ。大学だけで一人芝居をやっても駄目ですから、高大連携は渡り鳥制度にとっても大事なことです。

 次に、渡り鳥制度の実行計画を伺いたいと思います。今のところ、まだ詳細は具体的ではないと思いますが、お考えを。

 一定数の参加の意思を表明してくれる大学が出てくることが必要です。私立大学の有志でコンソーシアムのようなものを作って、まずは試行してみるのが第一段階です。
 店舗が集まって一つの商店街が形成されれば、人が集まってくる。同じように、北海道から九州・沖縄まで、このコンソーシアムに参加する大学が集まってくれば賑わってくる。賑わってくると参加数が増えるという好循環が生まれます。そこに達するためには、かなり辛抱強くやらなければならないでしょう。
 この最低限の賑わいが出てシステムが自律的に回りはじめるのが第二段階です。更に、国公立大学まで参加してくるのが第三段階です。当然、初めは私立大学から始めますが、この仕組みは私立大学だけでやるべきではないと考えています。
 国外にまで参加大学が広がり、名実共に国際化していくのが最後の第四段階です。「日本版エラスムス・ムンドゥス」を考えるなら九州と北海道ではなく、中国や韓国にも渡り鳥が飛んでいき、アジア圏での渡り鳥制度としていきたい。
 運営の細かい点、例えば、カリキュラムをどうするか、渡り鳥の滞在期間や学生の宿舎や授業料はどうするか、といった運営面での仕組みも考えなければなりません。しかし、まずは私立大学としてのこの試みを実験的にでも始めていく。非常に壮大な提案であり、とても最後の段階までは無理と感じられるかもしれませんが、日本が欧米に伍していくには、こういう試みを実行していかなければ太刀打ちができないのです。欧米どころか、アジアからも孤立してしまいます。座して遅れるか、立って困難を乗り越えるか。すぐそこに二者択一の時期が迫っているといえます。

 制度を始めていく中で、参加したいと考えている大学に、まず取り組んで欲しいことは何ですか。

 自分の大学は「こういう素晴らしいことをやっているんだ」ということを公言してもらいたいです。「いや、うちはだめです。教員が反対します」という反応は充分に想定されます。「うちは世界を目差していない。地域に貢献できればいい」、「それは大きな大学で、潤沢な資金がある大学だから言えること」、そういうふうに思う大学もあるでしょう。あるいは大半がそうで、計画が頓挫する可能性はあります。
 しかし、多くの私立大学が直面している定員割れという問題に立ち向かうには、この渡り鳥制度に関わらず、まずは大学の特色を磨いて社会に向けて発信しなければなりません。その延長上に渡り鳥制度があります。カラ元気でもいいから、手を上げて自分をアピールしてもらいたい。
 手を上げてくれた大学には、連合会として事前研修やセミナーを行う必要があると考えています。教員には、「自分から飛び込んでいって学生と“格闘”しましょう」と。逆に言うと、今後生き残っていく大学の教員に必要な力になっていくのではないでしょうか。繰り返しますが、教員が一方的に知識を与えるという教育システムとその中で必要なスキル、例えばプレゼンテーションスキルだけでは、もう通用しないのです。危機感を持っている大学や教員はそれに気づき始めています。
 職員も同じです。プロフェッショナルな職員として渡り鳥制度の中で、学生の成長にどう関わっていくかを自分の仕事としていかなければなりません。

 こうした提案の背景には、公的資金の獲得、という側面もあるかと思いますが、お考えを。

 そのことも重要な目的にはなりますが、それが全てではありません。これまでは「私立大学は日本の大学生の七五%を引き受けている、欧米並みに教育費の支援を」と主張してきました。しかし、国公立大学でさえ、中期目標の策定や様々な改革努力が強いられた上で交付金が出ているのに、私立大学だけ何もせずに「下さい」と言っても、これからはますます予算がつかなくなる。私立大学からの言い分だけでは社会は納得してくれませんし、文部科学省も同様のことを主張しています。これからは単に私立大学の存在意義だけを訴えても駄目です。「人材育成のためにこういうことをやる、しかしお金がかかる、しかもこれは私立大学だけのシステムではない、だから予算を付けて下さい」と具体的なことを提案していかないと。繰り返しになりますが、この制度自体が話題づくり的ではあります。しかし、それがあって初めて行動を一つにすると言うか、方向性と動機付けになると思います。
 国立大学法人は、中期目標の策定が義務付けられてもうすぐ二期目に入ります。たしかに一期目の評価は細かすぎて評価疲れが出ているし、評価は建前だけだなどというコメントもあります。しかし、長くやっていけば「やっぱりやっていかないと駄目なんだ」というカルチャーが醸成されます。これが三期目に入ると私立大学は追いつけなくなります。「75%の学生を引き受けている」というだけでお金を下さいといっても、「聞けない相談」ということになります。これからはそういう建前の時代ではないのです。実がないと。自己を鼓舞する、叱咤激励をすることをしないと、今後私立大学はますます厳しい時代となるでしょう。

 ありがとうございました。連合会では、高等教育改革委員会等で今後の展開を具体的に協議していくと聞いています。従来にない私立大学のダイナミックな活動に期待しています。

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