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平成21年8月 第2370号(8月19日)

教育工学とFD <4>
 わが国の教育費「高騰」問題
 欧州に解決策を探る―上―

NPO法人 学習開発研究所 代表 西之園晴夫(京都教育大名誉教授)

 日本の大学とヨーロッパの高等教育
 最近、公務員のボーナスカットや月給の一部減額が報道されて、国民全体が年間所得の低下に悩まされている。図1は1995年から10年間の国民所得の推移であり、図2は1975年以来の大学の授業料の高騰ぶりを示すものである。
 教育工学は新しい教育方法の開発を重要な課題にしているが、わが国の教育工学は教育費の高騰問題に取り組んでいない。ところがヨーロッパでは高等教育のユニバーサル化を目指しており、しかも1976年に発効した国連の「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)」にもあるように、高等教育を無償で提供することを目指しているので、教育方法の開発、とくにICTの活用はきわめて重要である。
 日本の大学とヨーロッパの高等教育はまったく異質であるので、OECDの活動をそのままで日本の大学の現状に適用することはできない。わが国では高額の授業料を徴収しているので教育サービスが重視され、質保証も提供する教育者側の努力である。ところが、ヨーロッパでは高等教育(フランスでは26歳未満)も無償であるので学習成果を厳しく要求し、学生が成果についての質保証をしなければならない。高等教育の責任は学生にも大きく課されていて、たとえばスウェーデンのカリキュラムの質保証の査定委員の3分の1は学生である。
 教育基本法の違い
 わが国の教育とヨーロッパの教育の違いは教育基本法にもっとも端的に表現されている。わが国では、
 「第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
 (教育の目標)
 第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
 二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」
 以上のように教育する側の責務を定めているが、フランスの教育基本法では「第一条:教育は、国の最優先課題である。教育という公役務は、生徒及び学生を中心に置いて構想され組織される。それは機会の均等に貢献するものである。
 人格の発達、初期教育・継続教育の水準の向上、社会生活・職業生活への参加、及び市民としての権利の行使を可能にするため、教育を受ける権利は各個人に保障される」で始まっており国民の権利として規定されている。韓国の教育基本法においても「自主的な生活能力と民主市民として必要な資質」の育成とともに第三条では学習権が規定されている。
 教育を教育者が与えるものとして教育方法を開発するのか、学習者の権利を保障するために開発するのかによって同じ教育方法であってもその評価はまったく異なってくる。
 商業活動の教育と福祉活動の教育
 ハーバード大学の学長だったデレック・ボック氏は「商業化する大学」(宮田由紀夫訳)で、アメリカの大学がアメリカン・フットボールでのテレビ放映権で巨額の収入を得ていること、インターネットを用いた遠隔教育もまた商業活動の一つとして大学経営で重要な役割を果たしていることを紹介している。
 一方、スウェーデンがNet Universityを開設するときには、大学でコースの単位取得者のうちで低所得家庭からの学生が含まれているときは、一般学生よりも二倍の給付金が支給されるという方法をとってコース開発を奨励した。スウェーデンでは大学への給付金は入学定員に対してではなく、コース終了時に試験に合格した人数に応じて支給されるからである。このNet Universityでは従来の通信教育では対応できなかった医療などの課程も、実習を近隣の大学などで実施することによって遠隔教育を可能にしている。
 欧州高等教育圏と欧州単位互換制度
 わが国でも大学間での単位互換が行われるようになってきた。京都地域では、大学コンソーシアム京都を媒介として行われているが、全国的な規模でも類似の単位互換が始まっている。
 しかし、欧州高等教育圏や欧州単位互換制度は今に始まったことではない。中世においては大学を渡り歩くことが行われていたし、医学においては自分の大学だけでなく、他の大学でも修行しなければ開業ができないという制度を一般化したのである。従来はラテン語が共通言語であったものが、英語とインターネットによって実現しようとしている。その最大の理由は、最近の変動社会と知識基盤社会への対応として、全ての人に高等専門教育を提供することによって雇用可能性と労働移動性を確保することを目指していることである。さらに少人数教育がもたらすコストの高騰を抑制するために、複数の大学がカリキュラムを共同開発することを重視している。
 このときアメリカで発達している行動主義や教育工学の手法はあまり重視されていない。社会的構成主義なども参照されているが、むしろヨーロッパ独自のものを開発しようとしているといってもよいだろう。
 ヨーロッパでは、教育コストの抑制、貧困問題、多民族問題、ヨーロッパ域内の他地域の労働者(外国人労働者とは呼ばない)への学習機会の保障が重視されている。出稼ぎの人々にも高等教育を提供して、有能な労働力にすることを目指しているのである。
 図3はOECDのデータであるが、わが国はきわめて特異な位置づけにある。今後奨学金などを増やしてアメリカやオーストラリア型に近づくのか、授業料を抑制してヨーロッパ型に近づくのかは、国民が選択するところである。国連決議にもあるように無償の高等教育を実現可能な具体事例として示すことが今後の大学の課題、とくに教育工学研究者の責務であろう。(つづく)

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