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平成19年3月 第2266号(3月14日)

地域と大学が教育を真ん中に結びつけば… −1−

松本大学 総合経営学部 観光ホスピタリティ学科教授 白戸 洋

 松本大学(中野和朗学長)は、「地域を活かす、ひとづくり大学」をコンセプトに二〇〇二年に誕生した。松商学園の一〇七年の歴史に裏づけられた地域との信頼関係をベースに、地域に根ざし、地域に貢献できる人材を育成するための教育を展開している。同大学では、「アウトキャンパス・スタディ」という地域に出て実践的に学ぶプログラムを推進するとともに学外から講師を招く「教育サポーター」を定着させるなど、さらに地域社会との連携を強めている。このたびは、同大学の地域連携の取り組みについて、総合経営学部観光ホスピタリティ学科の白戸 洋教授に執筆して頂いた。三回連載。

 「おばちゃん」達に学んだ「地域の教育力」
 「あんたたち、なにぼーっとしているの。人に言われないとやらないの。こんなことでは先生も大変ね」
 一九九九年春、当時の松商学園短期大学(現在の松本大学松商短期大学部)の二年生のゼミナールの一環で、地元・新村地区公民館で婦人会の人たちとの交流を行った時のことである。
 和やかなムードで始まった交流会の雰囲気が変わったのは、婦人会長の一言であった。婦人会の指導の下、菓子作りを学生が行うという予定であったが、なにしろ学生たちは、何がなんだかわからないまま公民館に連れてこられ、元気な「おばちゃん」達に圧倒されていたのである。気が回らないというよりは呆然としていたに違いない。そこにおばちゃん達の喝が飛んだ。
 スイッチが入ったように学生が動き出す。後で学生に聞くと「びっくりしたけれど面白かった」と言う。おいしい手作りのお茶菓子と作品に対する「あんたうまいわね」と言った褒め言葉も忘れないおばちゃん達は、すっかり学生の心をつかんだようだ。「我々教員ではあんな風には学生に怒れないよね。もし怒ったら今の学生はそっぽ向いちゃうよね」と一緒に参加した同僚教員が呟いたが、地域の教育力をこれほど実感したことはない。
 地域と大学の連携は言葉では簡単だが実際には難しい。地域と大学には違った時間が流れ、大学ならすぐにできることが地域に持ち帰れば何日も何年もかかることがある。大学には学事日程があってなかなか融通が利かない。地域となぜ付き合う必要があるのかと疑問を投げかける教職員も少なくない。
 不幸だった地域との関係を乗り越えて
 新村に松商短大が松本市街地から移転した一九七七年には、地元では反対運動が起こり、大学にとっても地域にとっても不幸なスタートであった。二〇年以上の時が経ても大学と地域には深い溝が横たわっていた。長い間、地域も大学もお互いに相手を必要としているとは考えていなかった。しかし、二〇年余が経て地域も大学も環境の変化の中でお互いの関係を見直すことになった。
 新村は水田が広がる農村地帯で市内でも有数の穀倉地帯である。ものぐさ太郎の伝説の地でもある新村は、古くから米作りが盛んで、「米さえつくれば大丈夫」という環境から、新しいことには消極的な風土がある。しかし近年の高齢化や若年層の村外への流出などでコミュニティが弱体化しつつあり住民に潜在的な不安が広がっていた。
 一方で、大学も少子化に直面し、将来構想の中から四年制の大学の新設を予定しながら、新しい大学のあり方を模索し、「地域に育った若者を地域で育て、地域に返す大学」というコンセプトが議論されていた。大学設立には当然地元の様々な支援も必要となる。まして就任したばかりの田中康夫長野県知事(当時)は、少子高齢化の中での大学新設に危惧を表明し、県の補助の見直しを口にしていた。地域に認知されることなしに新しい大学の将来は見えない。将来を案じて悩む大学と地域。そこに橋をかけたのが婦人会の「おばちゃん」達であった。
 「新村の宝はふたつある。ひとつはものぐさ太郎、もうひとつは大学。これを磨いて新村を元気にしよう」を口癖にしていた婦人会長の下、地域と大学の交流が始まった。おばちゃん達との交流の中から地域と連携する「地域交流サークル」がその年のうちに立ち上がり、大学祭でのおばちゃん達の喫茶店の出店や地区の文化祭への学生の参加、吹奏楽部の保育園での演奏、そして地域のおばちゃんが学生とともに毎月開く「とくとく料理教室」が始まった。おばちゃん達が、得意になって教え、学生が得をするというこの教室は学生と地域の具体的な接点となり、現在も続いている。過去の経緯からなかなか踏み出せなかった第一歩を踏み出したのである。
 よってたかって学生を育てていこう
 地域と大学の関係に対する教職員の意識が大きく変わったのは、全国的に展開されたIT講習会での経験からでもあった。当時政府の方針のもと短大も数百名の受講者を地域から受け入れ、教職員が中心となって講習会を開催していた。松本大学の開学前年ということもあって自然と地域へ貢献しなければという意識が教職員に共有されていたものの、多忙を極める中での講習会が大きな負担になっていたのも事実である。来年は続かないかもしれないと感じ始めたとき目についたのは学生の姿であった。講習会には学生がアシスタントとして参加し、受講生からは親切で教え方も分かりやすいと大変好評であった。それにもまして我々が驚かされたのは、普段は講義の予習等に熱心とは言えない学生が、自分が教えるために朝早くからその日の内容を勉強している姿だった。「先生って大変なんだね。人に教えるのがこんなに難しいとは思わなかった。これ毎日やっているのってすごいじゃん」という学生の言葉にIT講習が学生を育てる場になるかもしれないと感じた。
 地域への貢献が大切なことは理屈では分かっているが、日々の業務に追われるとついつい優先度が低くなっていく。したがって、地域と付き合うとすれば、我々の本務たる教育の中で地域と向き合うことが必要なのではと思うようになった。こうして地域と大学が学生を一緒に育てていくということを言葉だけでなく実践として取り組んでいくことを松本大学の基本的なコンセプトとして打ち出すこととなった。
 地域には様々な達人や知恵者がいる。そのような人たちが学生を教職員と一緒に教育してくれれば大学での学びが豊かになる。またこれだけ急激に変化する社会の中で、地域の現実とかけ離れていては大学の学びは机上の空論になってしまう。二〇〇一年から松商短大に先行的に導入された地域の知恵者、達人が学生に教える「教育サポーター制度」、学生が地域に飛び出して学ぶ「アウト・キャンパス・スタディ」は、二〇〇二年開学の松本大学の教育の柱としても位置づけられ、地域密着型の大学としての象徴ともなった。
 変わる教員の意識
 近年、地域との連携が全国的に多くの大学で取り組まれるようになった。しかし、実際には様々な問題に直面しているのではないだろうか。ひとつは教員の意識の問題である。松本大学でも地域との連携に全員が積極的であったとは言い難い。しかし、徐々にではあるがその意義が学内に浸透していることも事実である。地域と繋がり始めた当初、ある学生がボランティア活動に参加するようになった。担当の教員にとっては「手のかかる」学生のひとりであったが、地域の人たちと交流する中で目に見えて成長していった。地域は褒め上手、叱り上手である。教員と学生という関係性の中では、なかなか言えない一言が学生を勇気付け成長させていく。その姿を目のあたりにした時、教員の意識も大きく変わることとなる。
 大学教育に地域が関与していくことは、当初教員にとって抵抗感があるのではないだろうか。大学の教員としてのプライドにも関わる微妙な部分があるからである。しかし、自らの教育の質を上げることに地域が大きな役割を果たすことが理解できれば、教員も自然にそれを受け入れることができる。実際に目の前で学生が地域で育っていく姿をみつめることが、地域に向き合うきっかけになるのではないだろうか。(つづく)

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