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平成18年11月 第2252号(11月1日)

エッセイ@ 健 康

  聖路加看護大学理事長 日野原重明

 最近学生の健康状態や体力が低下していると言われている。そこで私は毎月一回、計六回にわたって短いエッセイを書きたいと思う。
 まず健康(Health)という言葉は、日本語でも、また英語でもわかりきった用語とされるが、日本語も、また英語もそれぞれのユニークな語源的な意味をもっている。
 日本語の「健」は人偏に建てるという旁とでできている字である如く、人間がしっかりした建物のように、外からの刺激やストレスがあってもしっかり不動の姿勢を保っている状態(建物で言えば地震のような不測の事態が起こっても倒れないこと)を示す字である。
 これに対して「康」という字は、稲などを精米する臼を示す象形文字で、これは神に捧げる尊いいのちの表現をも意味している。この字は徳川家康の名に用いられているが、心が清められ、安らいでいる状態をも意味している。
 すなわち、健康とは、一つは逞しく強固な身体と、いろいろのストレス(侵襲)にあっても動ぜず、安泰であるという精神の安定をも示す語でもある。
 この日本語の健康に匹敵する英語の言語は、九〇〇年前のアングロサクソンの英語、すなわちHal由来している。このHalとは、全体的(holistic)とか、聖なる(holy)という意味をもち、これhealthに、さらにhealtheとなり、最後にhealthという現代語となったといわれる。
 最近全人生医療という言葉があるが、これは当人のいのちの価値を尊重してのQuality of Life(略してQOL)の立場から人間の心身両面を尊重した医療で、これを英語ではholistic medicineと呼んでいる。
 人間は精密に検査すれば、そしてより精度の高い診断機、例えば、単純なX線装置でなくMRI(Magnetic Resonance Imaging)、Pet―Scan(Positron emission tomography)を用いると、健康者と思われる人、また正常分娩で生まれた子どもでも、身体的に何かの欠損や傷害を持つ者であり、さらに遺伝子まで調べると、生まれた健康時でも、糖尿病や動脈硬化や悪性腫瘍、諸器官の奇形さえも持つ者である。従って人間は生まれながらに、欠損や傷害を持つ者であり、全く正常者または完全な健康者は存在しないと言ってよいと思う。
 哲学者ニーチェは、病気は人間の属性であると言っているが、心身両面において人間は病む生き物といってもよいと思う。
 そのような運命的な素質をもつ人間に完全な健康という者はあり得ないわけである。そこで誰を健康人と呼ぶかが問題となるが、健康という言葉はたとえ欠損や傷害をもつ人間にも、健康状態は存在することを次回で語りたいと思う。

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