Home日本私立大学協会私学高等教育研究所教育学術新聞加盟大学専用サイト
アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.526
クオリティ・テスティングが導く学力観の未来
ボリューム大学からクオリティ大学への移行を支援する

研究員  田中 義郎(桜美林学園・桜美林大学総長補佐、総合研究機構長、教授)

 「量による競争を超えて、ミッションに根ざした質に寄る協奏へ」の革新が期待されている。この革新が達成されるには、入試開発の質的検討が必要である。量を測るボリューム・テスティングから質に寄り添うクオリティ・テスティングへの移行が重要である。「学力とは何か?」の検討から始める。大学生の学力の議論では、中等教育の学力観の検討が大切である。我が国の学力観を見渡して見ると、大きく三つの学力観があるように思える。(1)政策に導かれる学力観、(2)ミッション(理念)に導かれる学力観、(3)市場(マーケット)に導かれる学力観、の三つである。政策に導かれる学力観は、学習指導要領に沿った学力観として広く全国に展開している。ミッションに導かれる学力観は、その多くは私学に見られ創立の理念の具現化と呼応した学力観である。市場に導かれる学力観は、いわゆるステークホールダーの影響を強く受ける学力観である。
 質的診断が量的評価を超える。クオリティ・テスティングのモデルは、これまでは欧米にあるとされ、ドイツのアビツーア、フランスのバカロレア、PISA、IB(インターナショナル・バカロレア)などが候補に挙げられてきたが、灯台下暗し、日本国内にもモデルは存在する。実際、ミッションに導かれて、自由度の高い入試開発を行っているのは、大学入試ではなく,高校入試でもなく、私立中学の入試である。最近、麻布学園(中学校・高等学校)、武蔵高等学校・中学校,桐朋中学校・高等学校といった日本のリーダーを数多く輩出してきた私立学校を訪ね、学力観について意見交換する機会を持った。麻布学園は、入試は可能性の発掘である、と言う。武蔵は、入試は未来(その後の六年間)からのメッセージである、と言う。事実の再現ではなく、子どもたちが事実の背景を探る姿勢に関心がある。もちろん小学校での学習指導要領や教科書で扱われている知識を超えて問う事はない。入試開発の過程では、まず、普通の小学生が知識として持っていることが前提となり、その上で、彼らが、閃き、創造力、論理的思考などにチャレンジすることを期待する。開発の前提として、「きっと困難に直面するかも?」、「この問題ではおそらく困難に直面するに違いない!」が、でも、自分自身の課題として考え、閃き、創造力、論理的思考などで乗り切ることにチャレンジして欲しい。そのためには、大設問開発が中心となり、ストーリーの中に様々なヒントを散りばめ、丁寧に読み解けば、自らの結論が導き出せるに違いない。現実社会の情勢を自分自身の課題として咀嚼する力や読み、書き、自分の言葉で表現することが大切である。社会に出た時、重要な判断を担える力を育みたい。詰め終えることも大事だが、詰め進む過程にはもっと意味がある。桐朋は、考えなくても、教えられた通りに解いていくと自ずと解けてしまう様なものよりも、“アレ?!”と思う感覚に着目し積極的に論述することを大切にしたい、と言う。もちろん、知識の量を問う問題もあるが、入試開発が教育理念からのメッセージによって裏付けられる学力観でありたい。日本の私立中学の入試開発は、極めて自立性の高い学力観が活きている事例である。そこには、クオリティ・テスティングが導く学力観の未来がある。
 日本の大学では、Ready to College(RtC)とReady to Future(RtF)の議論が噛み合わなくなって久しい。前者は、「大学入学への準備が整っている状態」の議論であり、政策学力との関わりが深い。後者は、「未来への準備が整っている状態」の議論であり、市場学力との関わりが深い。もっとも、学歴や学校歴の文脈で、大学入学が未来準備であると社会的に認識されたことはあっても、学習の連接性という文脈で、大学入学が未来に繋がるという議論が登場したのは、最近のことである。そこで、入試開発は何を目標とすべきか?という議論を深めてみた。日本では、高大接続問題の新たな展開にむけて、大学の入試開発で目標とされるべきものは何か。今日、高等教育機関は、21世紀に、社会に出るすべての若者たちの準備をする装置となる、との認識が必要である。それは、高等教育の社会インフラ化の検討である。昨今、汎用的能力(Generic Skills)が注目されている。適応性のある専門知識、創造性、批判的思考、メタ認知、チームワークなどである(左図参照)。実際、多国籍企業の人事担当者は、採用に際して、自分とは違うものと自然体で向き合える能力はもちろん、(1)Read:自分の考えと結びつけながら読む(鵜呑みにしない)、(2)Question:自分の考えとの違いに対して質問や疑問を適切に設定する、(3)Analyze:自分の考えと他の考え・視点と比較して分析する、(4)Communicate:比較や分析を通じて行った自分の判断を伝える、といった能力を挙げている。しかし、これらの能力は、いずれも文脈上(Contextuality)で成果を発揮するものばかりである。汎用的能力は行動に影響を与える特性であり、知識、技能といった量的に測定・評価されるものとは違った性質を持っており、社会文化環境格差の影響が大きい。そのため,量的な評価にはなじまず、むしろ成長診断の対象とするのが相応しい。日本では、現在、年齢人口の半数以上が大学・短大に進学する。少子化のなかで受験競争の緩和に伴い、競争の弊害を問う声は後退し、学生の学力低下、進学準備不足を憂うる声がむしろ大きい。今や、大学での学びには知識や技術の獲得だけでなく相応の準備(College Readiness)が必要とされる。
 アメリカでもっとも影響力のある評価の専門家の一人であるUCLA=CRESSTのエバ・ベーカー博士のアメリカ教育研究学会長就任スピーチ(08年)の題目は、The End(s) of Testingであり、意味するところは、知識量による選抜型テスト時代の終わりである。彼女は、「人はバランスのとれた人生を求めるけれども、現代社会では、そのようなバランスは、競争的価値、目前に立ちはだかる責務、満たされない野望、そして、不用意に騒ぎ立てるメディア等の犠牲となっている」、と言う。優秀な生徒と不出来な生徒との間の受入れ難い格差がどの国にも存在し、グローバル化・多様化する社会で、共通の達成度の構築に向けて、組織的な動きがある。公教育は、組織的かつ周到に準備された政策準拠型テストを用いて、個々人の自己実現よりも教育活動に求められる社会的な説明責任(アカウンタビリティ)の構造と密接に関わっている。現代の教育では多くのテストが開発されている。平等性と公平性の実現を目指す測定精度の追求も大切だが、まず、「何に使うのか?」の視点が重要である。問題なのは、GPAや従来型のテストでは、学生個々人の進学適性や学習状況は分からないし、学業達成の予測はできない、という現実に如何に向き合うか、である。今や、大学生活の成功には、社会での成功と同様に、多様で、そして複雑な要素が含まれている。そうした時代には、クオリティ・テスティングが主流となる。大学では、あらゆる場面で、否応無しに、量(ボリューム)から質(クオリティ)へと関心が移行せざるをえなくなるだろうし、その対応が急がれる。


Page Top