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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.507
オープンエデュケーションの新たな潮流
MOOC(ムーク)の衝撃 ― 上 ―

客員研究員  飯吉 透(京都大学高等教育研究開発推進センター教授)


 「『Oの10年』を経て」
 今から約11年前、アルカディア学報に「MITの挑戦―高等教育の『中身と器』の公開」と題した小論考を寄稿した。2001年にMITが立ち上げた、「同校が提供している全講義の講義教材をインターネット上で公開する」という前代未聞の試みであった
 Open Course Wareプロジェクト(OCW)は、衝撃と共に日本も含む世界中の多くの大学に波及し、現在までに優に100を超える大学や機関によって既に数千に上る講義教材が公開されている。さらに、このOCWの他にも、様々な形でネットを通した講義教材・ビデオの公開やオープンな学習支援がグローバルに展開されてきた。
 元イリノイ大学図書館情報学部長で、現在はブランダイス大学の准学務担当副学長とCIOを務めているジョン・M・アンソワース氏は、2004年にChronicle of Higher Education紙に寄稿した論考「The Next Wave:Liberation Technology」の中で、1990年代を「E(電子化)の10年」、2000年代を「O(オープン化)の10年」と名付け、主として北米における高等教育の急速かつ実質的な進展が「解放テクノロジー」によって段階的に支えられてきたと述べている。その「Oの10年」を形づくったのが、オープンエデュケーションと呼ばれる主として高等教育のオープン化を進めようという世界的なムーブメントだ。その最初の10年を概観・総括しつつ高等教育の未来を展望しようと試みたのが、当時カーネギー教育振興財団にいた私が発起人・共編著者となって世界中の40名近くのオープンエデュケーションの主導者たちと共にまとめた「Opening Up Education:The Collective Advancement of Open Technology, Open Content,and Open Knowledge」(MIT Press,2008)であった。
 「Oの10年」に続くオープンエデュケーションの「次の10年」は、既に快調なスタートを切っている。一昨年の秋、グーグルやヤフーなどの創始者たちを輩出した、スタンフォード大学工学部コンピューターサイエンス学科の三つの授業が、世界中の人々に無償で提供された。中でも「Introduction to Artificial Intelligence(人工知能入門)」は、約190か国から約16万人が登録するほどの人気で、その白熱ぶりは、ニューヨーク・タイムズ紙やウォールストリート・ジャーナル紙などでも大きく取り上げられるほどであった。
 「MOOCの台頭」
 この試みがオープンエデュケーションとして画期的だったのは、MITのOCWのように単に講義教材・ビデオをウェブ上で公開するだけではなく、スタンフォード大学で実際に行われる授業と並行して提供され、世界中の人々がネットを通じて、同大学の学生たちと同じようにしかも無料で受講できるようにした点だ。このようにオンラインで大勢に同時進行で教える講義の形態は、一般的に「Massive Open Online Courses」(MOOC:ムーク)と呼ばれている。
 講義を担当したのは、同大学ロボット工学の権威であるセバスチャン・スラン博士と元NASA(米航空宇宙局)の科学者でグーグルの研究部門ディレクターであったピーター・ノービグ博士で、それまでこの二人が教えてきた「人工知能入門」は、毎年200人ほどの学生が受講する同大学としては規模の大きい人気コースだった。両博士は、全ての講義と演習課題を入念にデジタル化し、視聴しやすいよう一コマ75分の講義を15分ごとに切り分け関連教材と共に提供し、さらにオンライン上で学生の質問に答えるためのシステムも開発した。当時スラン博士は、オンライン受講者の心構えについて、同講義のウェブサイトで次のように述べている。
 「この授業をオンラインで受講すれば、スタンフォードの学生たちと同じように成績評価が受けられます。選び抜かれたスタンフォードの学生たちも含めた他の受講生たちと比較して、あなたの成績がどのようなものであったかを示す修了書を手にすることができるのです。しかし、これはあなたへの挑戦でもあります。これは真剣な授業です。課題は八つあり、試験も二つあります。締め切りは厳しいですし、週に最低10時間は勉強しなければ、この講義をパスできないと考えてください。私たちのスタンフォードの学生は、これらを全部こなしています。私は、あなたに挑んでいるのです」
 ここで説明されているように、通常MOOCでは、課題や試験を通じて一定以上の成績を修めた受講生に、「修了書(certificate)」と呼ばれる一種の「学修証明」を(担当教員の所属する大学ではなく)担当教員の責任において発行している。この「修了書」は、その講義が提供されている大学に学費を払っている正規の学生が取得できる単位や履修証明とは異なるが、そのような単位や履修証明を取得するのと同じ評価基準で成績が認定されている、という点に大きな意味がある。
 ここで興味深いのは、MOOCが結果的に「単位の実質化」「厳格な成績評価」「学修時間の増加・確保」「主体的・能動的な学生の学び」等、我が国の高等教育政策における重点テーマ・課題の多くに応えているという点だ。勿論、オープンエデュケーションにおいては前提として当たり前である「世界中でできるだけ多くの人々に受講してもらう」という観点から、授業が英語で提供されることのメリットが大きいのは言うまでもない。さらに、シラバス・教材・授業プロセス・評価方法などが全てオープンにされているので、教育に関わるステークホルダーに対するアカウンタビリティ(説明責任)や教育情報公開の履行という点でも、模範的な実践であると言えるだろう。
「MOOCを牽引するもの」
 私がここで強調したいのは、このような試みが決して政官学による「政策主導」で進められ活性化されているのではない、ということだ。同講義サイトに掲載された紹介ビデオの中で、担当教員の一人であるスラン博士は、このように述べている。
 「今から何年も昔、まだ私がドイツで若い学生だった時、私が受講できる人工知能の講義はなく、この分野を理解するのは本当に大変でした。ピーター(ノービグ博士)と私がこの講義を(MOOCとして)始めることについて発表した時、私たちは一体何が起こるのか分かりませんでした。私たちは、こんなにも多くの人々がこの大変な講義を受講しようと思い立ってくれたことにとても興奮し、今秋このオンライン講義を教えることを心待ちにしています。是非あなたも今すぐ受講を申し込み、奥深く魅力的な人工知能分野への旅の準備をしてください」
 ここからも読み取れるように、このような教員個人の教育に対する情熱や思いが、世界有数の名門大学が提供する最新の講義を、世界中の十数万人の人々に送り届けることを可能にしたのだ。スタンフォード大学で、これまでは年間200人程度にしか受講されていなかった「人工知能入門」という講義が、これだけ多くの人々に受講されることで、単に興味を持ってこのような学問領域を専攻したいと考える人たちが増えるだけでなく、ひいては「人工知能」という分野そのものの進展やそれを通じた世界への貢献を加速する可能性も大きく広がる。先に述べた本講義をMOOCとして受講した「約190か国から約16万人」のうち、約2万人が修了書を手にできたという。
 このような多くの可能性を持つMOOCには、現在世界の高等教育界から大きな関心が集まっており、アメリカ国内だけでもCoursera、Udacity、edXなど、既に複数のMOOC関連の組織・機関が立ち上げられ、主として世界のトップクラスの大学数十校に所属する数百人の教員がMOOC形式での講義を提供している。さらに、MOOCの修了書を大学の正規の単位として認証したり、MOOCの受講生の成績評価などのデータを通して個々人の知識や技能、社会的通用性などを判定し、就職・転職・昇進などに繋げるようとする試みも始まっている。
 次回は、MOOCに代表されるようなオープンエデュケーションの新たな潮流が、グローバルな高等教育の在り方をどのように変え、日本の大学や教員にどのようなインパクトを与えるのかを予見し考察する。


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