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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.487
【大学教育部会の審議まとめをめぐって】
全学ガバナンスの確立と日本版K16の構築を 求められる能動的参画

研究員  濱名 篤(関西国際大学 理事長・学長)


 中教審大学分科会におかれた大学教育部会の「審議まとめ」が3月26日に出された。タイトルは「予測困難な時代に生涯学び続け、主体的に考え続ける力を育成する大学へ」と非常に長いが、方向性は表現されている。筆者は大学教育部会の審議に参加してきた立場から、この審議まとめについての所見を述べたい。
 この審議まとめは昨年から10か月の審議の成果であるが、学士力答申がその通り実行されているとはまだまだいえない状況であるという認識と、経済を中心とするグローバル化の進展や少子高齢化、景気低迷などの状況にあって、高等教育に対する風当たりは強まる一方であり、大学改革は待ったなしの危機であるという認識から審議は始まった。
 具体的には、ガバナンスの在り方を先に審議するのか、教学マネジメントから審議するのかという議論からスタートしたが、大学の規模や特性によって多様である前者より、共通する側面の強い教学マネジメントから審議するようになっていった。話題の中心となったのは学生の学修の量と質の不十分さであった。審議まとめでは学修時間の少なさがクローズアップされたが、筆者は根本的には週1回の科目を同時に週10〜12種もバラバラに履修し、学修に集中できていないことの影響が大きいと考えている。いずれにせよ、学修量が不足している現状への対応策をどうするかについて多くの時間を割いた。
 教育内容については、専門分野による差も大きく、日本学術会議が参照基準づくりに取り組んでいるのを横目にみつつ、「『答えのない問題』を発見してその原因について考え、最善解を導くために必要な専門的知識及び汎用的能力を鍛えること、あるいは、実習や体験活動などを伴う質の高い効果的な教育によって知的な基礎に裏付けられた技術や技能を身に付ける」という集約がされた。
 それと共に、教育・学習方法や評価を含めた教育の仕組みづくりについての議論が活発に行われた。学生の主体的で能動的な学びを引き出すために、どのように組織的な教育をつくり出すか、どのような教育方法や仕組みが有効なのか、どのように学修成果を測っていけばいいのか等の教学マネジメントが取り上げられた。学士力答申ではこれらの方策は“小道具”と呼ばれていたが、今回の審議まとめでは“仕組み”としてさらに重視している。科目数の削減や週複数回科目の増加といった対策が提案されたのは、同じ学科であっても他の教員の教育内容や方法についての連携や調整を行っていないといった、組織的な教育の未確立こそが問題であると考えられたからであろう。“学級王国”ではないが、ある意味で大学教育は“科目(担当教員)王国”化しているのかもしれない。学部(教授会)自治によって、学長のリーダーシップがうまく機能していないという批判が産業界等から発せられているが、細分化されすぎた科目設定によって担当する教員の教育内容や方法の裁量権が大きいまま(というより未調整)なのかもしれない。
 こうした改革を現実に行おうとすれば、審議まとめの内容をさらに発展させていく必要がある。個人的な意見とすれば、中教審や文科省に期待されるのは、(1)“全学(大学としての)のガバナンス”の確立と、(2)高等教育にとどまらない学校教育全体のマスタープランとしての“日本版K16”の構築である。
 (1)については、学部数の多い総合大学で顕著なようだが、学長といえども歴史的な経緯などもあり、学部の意向を優先せざるを得ないというガバナンスの在り方は大学改革を困難にしている。しかし、学長権限を強化するだけで問題が解決するかといえば、それだけでは学長が交代すれば元通りになったり、方針が容易に揺らいだりすることになりかねない。
 そのためには、二つの対策が必要になってくるのではないだろうか。学部間の共通のガイドラインとして、一つは全学のディプロマポリシー(DP)が、もう一つは大学としてのアセスメントポリシーが必要になってくる。
 現在、各大学には学部・学科等のプログラム単位でのDPは求められているが、全学のものは求められていない。学問や卒業後の進路の違いを考えればプログラム単位でのDPは必要であるが、学位を出す大学としてのDPがなければ、学長といえども学部・学科の教育に積極的に発言しにくい。同じ大学であっても卒業要件単位数も違えば、教養教育の在り方も異なる。こうした状況を改善するには論拠となる全学のDPが必要ではないのか。
 もう一つは、教育活動全体のアセスメントをどのように行うかという方針をアセスメントポリシーとして定める必要性である。DP、CP(カリキュラムポリシー)と並ぶAPといえば、アドミッションポリシーを思い浮かべられるだろうが、学位授与(目標)―教育課程編成(過程)とくれば、学修成果の評価(結果)の方針が並ぶ方が自然ではないだろうか。アセスメントポリシーとは、審議まとめの別表3に記載されているように学修成果といっても、評価対象(学生、授業科目、プログラム等)を、誰がどのような方法で評価するかを方針として設計しておくかである。外部テスト、ポートフォリオ、ルーブリック等を組み合わせ、どのように多元的に測定し、学習成果を検証していくかは学位を出す大学の責任であるといえよう。
 (2)については、現在の高等教育が直面している問題は高等教育単独の問題ではない。アメリカを参考にみると、学習指導要領もなければ、州ごとに就学年齢も異なるにもかかわらず、「K16」と呼ばれる学校教育全体のマスタープランは作成されている。幼稚園から大学卒業までを見通した日本型K16を構築し、すでに危機的な状況にある高大接続の抜本的改善も含めた対応策が焦眉の課題となっているのではないだろうか。“答えのない問題”を考えさせるクリティカル・シンキングを、大学入学後に学び始めるのでは不十分であることは疑いの余地がない。また、大学入試自体の目的も、高校教育の質保証(学習指導要領の範囲内の知識の獲得度の検証)なのか、大学教育を受ける能力の有無の確認なのか、再考していかなければならない。これらの課題を考えるためには、学校段階を超えたマスタープランを中教審や文科省が俎上に上げていかなければならないのではないだろうか。
 この審議まとめには数多くの改善策が盛り込まれている点で個人的には評価している。しかし、6月に国家戦略会議に提出・公表された文科省の「大学改革実行プラン」をみると、審議まとめよりもさらに踏み込んだ内容になっている。現在、全国各地で文科省と大学の共同主催の大学教育改革地域フォーラムが各地で開催され、学生たちの意見も聞き取っている。われわれ私学関係者も、受身的にこの審議まとめを読むのではなく、学生にアクティブ・ラーニングを求めるように、大学改革や学校教育改革の議論と実践に能動的に参画していくべきではないだろうか。


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