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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.464
教職協働は大学の特性に応じて 役員・教員・職員調査結果からの示唆

客員研究員 山本 眞一(広島大学高等教育研究開発センター長)


望まれる職員の能力開発
 近年の職員能力開発の中心課題の一つに「教職協働」がある。この意味するところには、さまざまなものがあると考えるが、私なりにこれを定義すれば「教員と職員とが目標を共有しつつ協働して業務を遂行すること」となる。つまり、単に教員と職員とが役割分担すれば済む話ではなく、お互いの能力や特質を活かしつつ、溶け合うような関係でさまざまな仕事を行うような密接な関係でなければならないと考えるのである。
 職員は教員と机を並べて一緒に仕事をすれば、それだけで教職協働が成り立つものではない。目標共有を前提とした実質的な教職協働を行うには、職員はその案件について教員と同等の知識や見識を持つことが望ましく、そのためには企画力や構想力を含め格段の研鑽が求められる。もちろん、これは教員の真似をしてアカデミックな能力を磨くべしということではない。あくまで、大学の諸業務に関してのことである。
 それにしても、国立大学の実情にはかなり問題がある。私がかつて1980年前後に経験した国立大学事務局では、教員主体の学内委員会で職員が内容に関わる発言をすることは、もってのほかという雰囲気があった。仮に職員側に発言するだけの能力があったとしても、それを表に出すことがはばかられていた時代であった。職員の能力開発が市民権を得た今日、そのような不文律はもはやないのではないかと考えるが、逆に委員会で職員に原案づくりを頼んでも、それは先生方の仕事だと言わんばかりの消極的な態度を示す職員がいる。霞ヶ関の審議会では、原案づくりの主導権を事務局が握って離さないのと比べると何と違いが大きいことか、と思わないでもないが、逆に職員の能力開発が、事務能力の向上などテクニカルな側面に偏っていて、内容を伴う実質的な能力開発にはまだまだ問題が多いからではないかと心配している。
役員や教員の視点からも検討
 教職協働に関しては、私が2007年に全国の事務職員1400人から回答を得た意識調査のデータがある。
 これによると総務系や財務系の業務(教育・研究に直接関わるものを除く。以下同じ。)については、職員の過半がこれらの業務は職員主体でやることが望ましいと答え、残りの職員も教職協働を選択し、教員主体で企画立案して職員が従うべしとする回答はほぼ皆無であった。また、教務や学生系の業務については、教員主体で企画立案して職員が従うと答えた者は、1〜2割程度に留まり、残りの多くは教職協働を選択していた。つまり、大学の諸業務の多くは職員主体あるいは教職協働で行いたいというのが大方の意識であった。
 ただし、これは職員側の意識であって、教職協働の相手方である教員の意識を調べたものではない。このことの不十分さを痛感していた私は、たまたま科研費による調査研究の機会を得たので、2011年2月、今度は職員だけではなく、役員や教員をも調査対象にして全国の国公私立大学を対象にアンケート調査を行った。その結果、約2300人から回答を得たが、内訳は役員が約600人、教員が約800人で、残りは職員であった。結果の詳細は現在なお分析中ではあるが、この機会に教職協働に関係するいくつかの項目について、とりあえずの結果を紹介したい。
 大学の業務遂行のための能力開発が必要かどうかという基本的な問題については、役員に関しては回答者の7割が、そして職員に関しては6割が「とても必要」と答え、これは教員に関してのそれが3分の1程度に留まるのに比べて対照的であった。しかも教員自身が教員の能力開発の必要性に賛意を示す割合は、役員や職員の回答に比べて一番低かった。もっとも能力開発の中味については、役員に関しては企画力や構想力、職員に関しては新たな業務の処理能力を挙げる者が一番多く、教員に関しては大学改革の現状や知識を挙げる者が多かったから、単純に比べることはできない。
教職員の意識の相違をどう考えるか
 印象的であったのは、教職協働についての意識が教員と職員とでかなり別れる傾向が見出されたことである。総務系の業務処理について、職員の3分の2は職員主導を挙げ、教職協働を選択する者は3分の1に留まったのに対し、逆に教員の3分の2は教職協働であり、職員主導という意見は3割程度であった。また、教務系の業務処理については、職員の8割近くが教職協働という意見であったのに対し、教員のそれは6割弱に留まり、残りの4割強は教員主導でという意見であった。
 もっともこのような対照的な結果は、教員と職員の対立の証拠だと単純に割り切ることはできない。相手の領分の仕事に関心があるということは、逆に教職協働を進める前提としては良い傾向であるかもしれない。ただ、教職協働についての意見を国立大学と私立大学とに分けて分析すると、教務系では大きな意見の相違はないが、総務系については、職員主体という選択をする教職員が私立大学に多く見られる。これはなぜかと考えると、実は教員も職員もそのバックグランドが国立と私立とで相当に違うことが分かる。
 教員と職員との学歴を比べると、私立の方が国立より両者の差が小さく、また出身大学と同じ大学に勤務している職員は私立の方が遥かに多い。また、現職までの経歴を比べると、国立では教員は教員として育ち、職員も職員として育ってきた者がほとんどであるのに対し、私立では教員も職員もさまざまな経歴を経て現職についている者の割合が多い。このことは、教員と職員の数の比率の差異に加えて、教員や職員の意識に何らかの影響を与えているに相違ない。
 それでは具体的にはどのような対応をとればよいだろうか。現状を容易に修正することはできないから、教職員のバックグランドの特性に応じた教職協働を考える必要がある。さしあたり、私立大学の方が職員の経営参画意欲が旺盛のようであるから、これを積極的に活かしつつさらに能力開発を進めることが効果的であろう。これに対して、国立大学では職員の能力開発の基本から見直し、教職協働が実質的に成り立つよう、さまざまな業務を主体的に行うにふさわしい能力開発を早急に始めることが望まれるのではないだろうか。

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