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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.425
弥縫策では追いつけない
日本の高等教育を世界水準に

本間 政雄(立命館アジア太平洋大学副学長、国立大学マネジメント研究会会長)


  我が国の高等教育に毎年投入されている国費は、どの位であろうか? 国立大学への運営費交付金が1兆1000億、私立大学への助成金が3000億、科学研究費補助金が1000億、国立大学施設整備補助金が1000億、その他国立大学への教育研究特別経費、国立の研究機関に対する経費や留学生交流経費、GPなどが4000億などで総計2兆円といったところであろう。大学は、法人税や固定資産税が免除されており、私学の行う収益事業には軽減税率が適用されるので、税金から毎年数千億円の補助が行われているのと同じである。高等教育に対する家計負担分(学納金、寄付金など)も巨額である。学納金の総額は、ざっと見積もって3兆円ほどあると推定される。これらをすべて合計すれば、毎年5兆円もの資金が大学など高等教育機関に流れ込んでいることになる。これは生まれたての赤ん坊から高齢者に至るまで、国民一人当たり4万円を毎年負担している計算になる。
 では、日本の高等教育機関は、こうした資金に見合うだけの成果を挙げているのだろうか? 少なくとも納税者や学生の親が、大学はよくやっていると納得する状況にあるのだろうか。あるいは、この5兆円という想像を絶する額のお金が効率的、効果的に配分され、使われているのだろうか? 欧米先進国の大学と比べてどうなのだろうか? 国内外の多くの大学を見てきた筆者には、幾つかの決定的な課題があるように見える。
 国立大学の筋肉質化
 第一に、2兆円の国費の国立大学と私立大学への配分のあり方(現状では8割が国立大学に回っている)が、いかなる理屈を動員してももはや正当化されない状況にある点である。国立大学が、高等教育の機会均等、医師・教員・技術者・研究者などの計画的養成、地域振興、学問の継承と知の創造、先進医療の5つに本当に特化すれば、その規模は現在の3分の1程度で十分であろう。18歳人口が1991年のピーク時の210万人から半数以上の100万人も減少した今、国立大学の学生数も半減させていい。旧帝大は学部を廃止して研究大学化し、旧教養部の解体や教員養成学部の縮小時に教員救済策として無理やり作った国際、人間、地域、文化、総合、環境、情報などを冠した学際的学部は不要である。新学部の名称が、語学から法律、数学の教員までいた教養部の教員に合わせて作られたことを如実に示している。実験学校、教員養成の場としての附属学校の意義も薄れているので半減していい。こうした学部などを明日なくし、国立大学を本来の使命に特化させても、国の将来が危うくなることはない。困るのは、教員だけである。これで浮いたお金は、国立大学の施設・設備の抜本的充実に回し、世界に恥じない水準にもっていく一方、一部は給付制奨学金の大幅な拡充と私学助成の拡大(改革の度合いに応じて、経常経費の1割から3割まで負担)に回す。文部科学省は、今こそ政策官庁として効率化、費用対効果の観点から資金配分のあり方を見直すべきである。
 教育力の強化
 第2に、学生がろくに勉強しなくても卒業できる現状を改めることである。政府は、教育の質の確保を図るためにこれまで大学評価の導入・強化、FDの義務化、GPなど様々な手を打ってきたが、日本の大学教育が変わったという実感はほとんどない。立命館大学の安岡教授によれば、米国の大学生と日本の大学生の学修時間は、良くて8対1、悪ければ20対1と警鐘を鳴らしている。大学教員は研究優先のあまり、教育を手抜きし、そもそも教員としての基本的なトレーニングや研修さえ積んでいない。教育を含む評価にも抵抗する。カリキュラムの体系的な見直しもほとんどしない。政府は、これまで大学の自治、学問の自由に過剰に配慮して、教育改善には奨励的措置しか取ってこなかったが、このままでは国家・社会の未来が危うい。思い切って、法令による規制、具体的には大学教員に資格制度を導入するとともに一定の教育経験を課すること、外部者による学部、専攻ごとのカリキュラム・教育内容・教材の見直しを義務化することである。大学の自発的な改革を待っていたのでは、100年かかっても何も変わらないというのが筆者の実感である。それでは、優秀でグローバル化する世界の国際競争のスピードについていくことはできない。
 大学生の学力調査
 第3に、大学生の全国的な学力調査の実施である。教養、専門知識に加え、汎用的スキルといわれるコミュニケーション力、実践的外国語力、批判的思考力などを見る試験である。これは、国や国の機関が実施すると公平性の担保の名の下にくだらない方向に行くので、あくまで民間の力で実施する。試験の結果は高校生の大学・学部選択、大学院への進学、卒業生の採用の際の基礎資料として応用範囲がとても広いので、それによって裨益する大学、高校、企業の3者が負担する。これにより、ブランドとイメージ、授業料、立地、偏差値という限定的な尺度で大学・学部を選ぶという悪弊(これでは、教育の中身・成果とは関係なく、都市部の有名な大学、税金で授業料の安い国公立大学がいつまでたっても有利)を打破できる。本気で教育に取り組んで成果を挙げている大学が評価され、選ばれるようになるのである。

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