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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.421
今こそ基本に戻って経営戦略を
少子化時代のビジョンづくり

研究員 岩田 雅明(共愛学園前橋国際大学大学運営センター長)

 7月31日、日本私立学校振興・共済事業団は2010年度の私立大学の入学状況を発表した。少子化に伴う18歳人口の減少により、数年前から私立大学の入学状況は厳しいものとなってきていて、定員割れ私立大学の比率は2008年度47.1%、2009年度46.5%と、半分近くの大学が定員を確保できない状況になってきていた。ところが今年度はこの状況が改善され、定員割れの比率は38.1%と最悪だった2008年度に比べ9%も減少している。翌日の新聞記事によると、厳しい就職戦線を回避した高校生が大学進学に進路を変更したことが、定員割れの私立大学が減少した理由として挙げられていた。しかし実際の高校現場に接してみて感じ取れる主な原因は、家計状況の厳しさから地元進学希望者が増えたということ、そしてそのことにより、従来、定員割れの比率の高かった地方の小規模大学の定員が充足されたということにあるのではないかと思われる。
 2010年度で見ると全国の私立大学の入学定員は45万783人(通信教育部のみ設置の大学除く)、国公立の大学の入学定員が12万3629人(夜間主コース除く)で、合わせて57万4412人となっている。2010年度の18歳人口は約122万人なので、これに2010年度の大学進学率47.6%(通信教育部・定時制は除く。過年度卒除く)を乗じると大学進学者は約58万人となり、大学の入学定員とほぼ同じ数となっている。このように全体で見ると進学者と大学側の受け入れ定員は均衡がとれているのであるが、実際には減ったとはいえ38.1%と、4割近い大学が定員割れとなっているのである。ここ10年間は18歳人口が横ばい状況で推移するが、2021年度になると現在より18歳人口が10万人程度減少することになる。仮に半分が大学進学者としても、5万人の入学者が減少することになる。そして、この5万人は当然ながらすべての大学から均等に減少するのではなく、その時点で受験者にとって魅力の乏しい大学から減少していくことになるのである。5万人といえば、地方の中小規模の大学の入学定員から考えると100から200の大学の入学定員に相当する数である。加えて情報化の進展により、通学型でない大学という競合の増加も十分予想される。このため、各大学ともこの先10年間の18歳人口安定期に、それぞれの存在意義を高める方策を企画し、実行していく必要があるといえる。
 大学の状況を改善していく場合に、まず必要なことは何であろうか。社会的ニーズの高い学部や学科の増設といったことも効果的な対策の一つではあると思われるが、ニーズに合わせて学部増等を継続して行うことには限界があるといえる。また、情報化に伴う新しい広報活動の活用も大切なことではあるが、単なる対処療法になってしまうおそれがある。初めて大学業界が経験する少子化という構造的な課題に対しての、目先でなく中長期的な視点での対応には、その大学が自分の顧客に対して与えられる価値は何かということを踏まえた、経営理論に従った戦略の再構築が求められているのではないだろうか。そして大学がその方向に進んでいくことで、学生にとって有用な形での各地域における大学の共存が初めて実現できるのではないだろうか。
 それはイノベーションといわれるような革新的な戦略である必要はなく、むしろ基本に忠実な戦略であることが求められよう。そのためにまず必要なことは、その大学のあるべき姿を決めること、すなわちゴールビジョンを描くということである。それにより、初めて大学組織のメンバーのベクトルを合わせることが可能になるのである。ゴールビジョンを描くためには、その大学の現状の認識と、顕在的、潜在的な顧客のニーズを把握する必要がある。大学の現状については、いわゆるSWOT分析を行うことで認識することができるであろう。その大学が組織として持っている強みや弱み、その大学が置かれた環境の中でチャンスといえる状況や逆に脅威といえる状況、といったことをきちんと分析し、現状を正確に認識する必要がある。
 次に顕在的、潜在的な顧客のニーズの把握であるが、前者については対象者に対してのアンケート調査が適していよう。その大学に関心を持った理由を知るためのオープンキャンパスでのアンケートや、受験・入学を決定した理由を知るための新入生へのアンケート調査は不可欠なものである。また潜在的な顧客とは、その大学に関心を持ったが何らかの理由で受験、または入学に至らなかったグループのことである。この層のニーズを知るためには、何らかの形で大学へのアクセスはあったが受験に至らなかった者、受験し合格したが入学には至らなかった者に対してアンケートを実施し、どのような条件が備われば潜在顧客を入学者として取りこめるのかを把握する必要がある。
 大学の現状認識と顕在的、潜在的な顧客のニーズの把握ができたならば、それらをもとに大学のゴールビジョンを描くことである。具体的な手法としては、まずは組織の強みとチャンスといえる環境を組み合わせた、積極的な形でのゴールビジョンを描く方法が考えられる(積極化戦略)。また、現在のように大学を取り巻く環境が厳しい状況においてはチャンスといえる状況は少ないといえるので、逆に組織の強みと脅威といえる状況を結び付けて、他の大学との差別化を図る形でのゴールビジョンの描き方も考えられる(差別化戦略)。そしてゴールビジョンを描く際には、顕在・潜在顧客の現状のニーズに加えて将来的に有用なメリット(大学がこれからの社会の中で期待される役割といっても良い)を与えることのできる大学像、言い換えれば、そのような大学を創ることが社会的にも意義のあるものであると感じられる大学像とすることが重要である。そうすることにより、マーケットにおいて長期的な優位性を獲得することが可能になるし、ゴールビジョンの実現を目指して行動していく教職員にとっても、意義の感じられるものとなるからである。
 このように策定された戦略を実現に移していく段階で課題となるのが、教職員の意欲である。組織の戦略と個人の意欲を連動させることが難しいのは、大学組織に限ったことではない。ある教育研修機関がアメリカのビジネスパーソンに対して実施したアンケート結果によれば、業務上の目標達成に意欲的に取り組んでいる人の割合は19%しかいなかったということである。これはサッカーでいえば2人、野球ならば1人ないし2人しか、勝とうと思ってプレイをしていないという状況である。日本の大学の教職員に関するアンケート結果は残念ながら存在しないと思われるが、アメリカの企業よりも良いと判断できる材料も、同じく残念ながら存在しないであろう。
 きちんとした戦略づくりと、その戦略を着実に実現していくことのできる組織づくりが、これからの大学経営にとっては極めて重要な課題となるであろう(組織づくりについては稿を改めたい)。

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