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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.344
中教審への新たな諮問に想う 過去の政策の検証が先決課題

 私学高等教育研究所主幹 瀧澤博三(帝京科学大学顧問)

 〈諮問への戸惑い〉
 9月11日、中教審に新たな諮問が行われた。テーマは「中長期的な大学教育の在り方について」であり、これは大学に関する包括的な諮問としては平成13年の諮問以来である。
 諮問理由では、中心的な審議課題を、@社会や学生からの多様なニーズに対応する大学制度及びその教育の在り方、Aグローバル化の進展の中での大学教育の在り方、B人口減少期における我が国の大学の全体像、の三点に整理して提示している。
 21世紀は知の時代であるとの認識から、知の拠点たる大学への社会の期待は極めて強くなっているが、反面で大学は、大衆化・ユニバーサル化の進む中で教育の質の維持について多くの難題を抱えているのが現状であり、各界からは様々な改革提言や要望、苦情が投げかけられてきた。そういう中での諮問として、提起されている問題自体については全く異議を挟むことはない。しかし、こうした従来の延長線上の課題について、いま改めて包括的に諮問をする意味がどこにあるのかは理解しにくい。
 この10年は、まさにわが国高等教育の大改革時代と呼んで誰も異議はないと思う。国立大学の法人化に始まり、設置認可制度の大転換、第三者評価制度の急進展、高等教育計画の放棄、財政支援の競争政策化など、これまでの高等教育政策の基本軸が軒並み揺らぎ、戦後の大改革以来の地殻変動期となって、各大学とも将来の方向を掴みがたく苦悩を続けてきたのである。
 こうした中にあって、平成17年1月に中教審から「我が国の高等教育の将来像」の答申が出された。この答申は、市場化の激しい潮流を受け止めつつ、わが国高等教育の積年の課題にも応えるべく、中長期的な見通しの下に高等教育の全体像を描こうとしたものであり、激動の中で自らの進路を模索している各大学にとって唯一の海図となるべきものであった。
 10年来の激しい変化の波に翻弄されながら、この17年版の海図を手がかりにそれぞれの進路を模索している―いま各大学が置かれている状況はこういう姿ではないだろうか。「中長期的な大学教育の在り方について」という包括的な諮問が改めて行われたと聞いて、この海図はどうなるのかと戸惑いを感じている大学人は少なくないだろう。今回の新たな諮問に当たって関係者がまず知りたいことは、これからの審議において17年答申がどのように位置づけられるのかということだと思う。

 〈17年答申と諮問との関係〉
 今年7月、教育への財政投資を巡って大バトルが演じられた教育振興基本計画がようやく閣議決定された。この計画では、平成20年から24年までの五年間を「高等教育の転換と革新に向けた始動期間」と位置づけており、これを受けて今回の諮問理由説明では、大学教育については「転換と革新のための議論が必要」であり、「先行する議論との関連性を念頭に置きつつ、中長期的な大学教育の在り方について、ご検討いただきたく」としている。激動の10年の後にまたしても大転換なのだろうか。しかし、具体的な検討事項の説明から理解する限り、諮問理由に示された大学教育の在り方に関する基本的な問題意識は、17年答申の当時と特に大きな違いはないと思われる。
 諮問理由に挙げられた、社会や学生のニーズの多様化、グローバル化の進展、人口減少期における大学の全体像という三つの課題は、17年答申の当時の問題意識と基本的に変わるところは見当たらない。そうだとすれば、17年版の海図に描かれた将来像である「計画の時代から政策誘導の時代へ」「機能的分化による個性・特色の明確化」「事前評価と事後評価の分担による質の保証」という高等教育政策の基本的方向性は新たな審議においても大きく変わることはないのではないだろうか。「転換と革新」という言葉の意図するところは何か、諮問理由説明からは読み取れない。過去の10年はまさに「転換」の時代だったが、これから始動しようとする「転換」は一体どこを向いているのか。

 〈過去の政策の評価が先決課題〉
 基本計画では、「これまでの教育政策では、目標を明確に設定し、成果を客観的に検証し、そこで明らかになった課題等をフィードバックし、新たな取り組みに反映させるPDCAサイクルの実践が必ずしも充分でなかった」としている(第三章(一)基本的考え方)。まさにその通りであるが、過去の政策を肯定、否定含めて率直に評価するということは、官庁の文化には無かったことであり、中教審でも新たな包括的な審議を始めるに当たって、過去の政策を全体的に評価するという作業を行ったことはないように思う。
 これについては、平成13年に制定された「行政機関が行う政策の評価に関する法律」に基づいて実施される政策評価に触れる必要があるかも知れない。この法律による文部科学省の16年度の「実績評価」を見たが、ほとんどの項目について、政策の進捗状況は「概ね順調」であり、目標の達成状況は「想定どおり達成」などとされているが、いかにも形式的の感を拭えず、本当の問題点が説明されているとは思えない。説明責任ということが強く求められる今日では、過去の政策の成果を公正に評価し、その問題点への考え方を明らかにしなければ、関係者はじめ国民の理解を得て新たな政策展開を図ることは難しくなるだろう。
 ここ10年の高等教育政策は構造改革の強い影響の下で正に「転換と革新」の連続だったが、この流れは大学審議会を中心として教育界が政策論議の主体性を保ってきたそれまでの十年の政策の流れとは異質のものであった。多様化、個性化などキーワードの共通性はあっても、それは「教育」からの発想ではなく「経済」からの発想であり、この発想のズレは大学の現場に大きな歪みを生みつつある。「小さな政府」を目標とする構造改革・規制改革の潮流は、教育をはじめ、医療、福祉、雇用等多くの分野で国民の生活を脅かしつつあるだけでなく、いまや経済自体が世界的な規模で危機的状況に見舞われている。
 いま改めて中教審で大学教育の在り方の包括的な審議を始めるのであれば、この規制改革化した高等教育政策の枠組みを基本から評価し直すことから始める必要があろう。
 「事前規制から事後チェックへ」という規制改革の原理原則に沿って改革された質保証システムの在り方や、大学教育の規模・配置における需給バランスの問題なども、今回の諮問による具体的な審議事項として提示されているが、これらの問題を審議するためには、10年にわたって進められてきた規制改革政策の意義と限界を明らかにし、規制改革の原理主義的な呪縛を解きほぐさない限り審議は前に進めないのではないかと思う。
 参入規制となる政策は適正な市場機能を阻害するものであり、すべて原理的に不合理、非効率であるとする市場機能偏重の考え方が大学教育に何をもたらしたかを、まず充分に検証することが、今後の正常な審議のための前提条件である。今回改めて「中長期的な大学教育のあり方について」諮問が行われたのもそこに大きな意味があるものと考えたい。

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