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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.301
学士課程教育の再構築 −制度・教育部会小委の経過報告を読んで−

 私学高等教育研究所主幹 瀧澤博三(帝京科学大学顧問)

〈ようやく取り上げられた学部問題〉
 大学分科会制度・教育部会の小委員会による「審議経過報告」を読んで、学部の問題がようやく正面から取り上げられる時がきたかという感を持った。それほどに、この十数年大学改革の関心は大学院に偏り、大衆化に伴う最も深刻な問題を抱えているはずの学部は後回しになってきたように思う。戦後の高等教育改革の歴史を顧みるとき、学部という組織が高等教育の殆どの課題につながり、あるいは抱え込み、その内部は諸問題が混沌として渦巻くに任されてきたような印象がある。短期高等教育機関はさまざまな工夫にもかかわらず容易に独自の安定基盤を確立するに至らず、大学院も学部への依存から脱することが難しく、独自の発展の契機を掴めない。高等教育へのニーズの多様化はまず学部が抱え込み、大学の諸問題も自ずと学部にしわ寄せされる。
 その間に、学生の急増期を経て学部の収容力が大幅に膨れ上がったところへ、18歳人口の長期的な減少期がぶつかって、大学全入と言われる時代になり、学生の資質、志望の多様化は大学理念を崩壊させるほどに進みつつある。
 一方では、グローバル化の進展に伴って、大学の国際的な競争力や通用性の観点から卒業生の質の維持が求められる。この学生の多様化への対応と質の維持という矛盾に富んだ問題、言い換えれば「入り口と出口をどのように繋げるか」の難問は年々その難度を高め、学部の教育システムは機能不全の危機にあるように思われる。
 勿論、各大学でも政府審議会レベルでも、問題は議論され答申等も繰り返されてきた。この問題には二段階の対応がある。一つは、カリキュラムや教育指導方法などソフト面の改革であり、更には、大学の制度や教育システムの在り方などハード面の改革である。このうち、ソフト面の改革は大学審議会の10年の活動を通じて大きく進展した。18才人口の減少と、これに伴う大学の「市場化」という追い風もあって、大学人の教育重視への意識改革もかなり進んだと思われる。しかし、個別大学のソフト面の改革だけでは「入り口と出口」の問題の根本的な対応にはならないという認識が、大学関係者の意識の底辺には常にあったと思う。だからソフト面の改革論と平行して、大学の制度的多様化、種別化というハードな議論が長く繰り返されてきた。この議論は、臨教審時代の「自由化、個性化」を改革のキーワードとした時代を経て、今は中教審の「高等教育の将来像」答申(17.1.28)が提起した「機能別分化」に辿りついている。
〈先行する大学院改革と学部の課題〉
 この「機能別分化」という考え方は、大学の自主性による改革という発想の穏当さと、個別大学のソフト面の改革だけでは学生の多様化に対応しきれないというほぼ共通化した認識を背景として、大学人にも社会にもおおむね受け入れられているように思われる。そうであれば、これを大学政策に具体化していかなければならないはずだが、現在は専ら大学院でその具体的な政策化が進んでいるようである。まず、COE予算「グローバルCOEプログラム」は「世界的研究・教育拠点」の形成を目指し、専門職大学院制度の創設は「高度専門職業人養成」に特化した大学院の育成を狙いとしている。このほか多様なGP予算が、人材養成目標の明確化を通じて、大学院の機能別分化への誘導に繋がっているように思われる。大学院改革の一般問題としては「課程制の実質化」という基本問題があるが、専門職大学院の進展はこの問題の切り口として大きな波及効果があるに違いない。大学院改革は少なくとも動き出しているという実感がある。
 一方で学部レベルの改革はどうかといえば、個別大学のソフトな「教育改革」の範囲に止まっており、ハード面の改革は依然として抽象論議から出ていないようである。しかしいま、ハードな学部改革はいよいよ避けて通れなくなっている。第一に、前述した「入り口・出口」問題がいよいよ深刻になりつつあるからである。入り口を実質的には無選抜にして、出口で足並みを整えるようなマジックは考えられないし、教育の充実と厳しい出口管理で水準を維持するという考えも、全大学一律の議論としては、実態にマッチするとは思えない。第二に、大学院の進展しつつある制度的な改革と量的な拡大は、学部レベルにも、大学院の課程との接続や同じ分野での役割分担などの問題を突きつけてくるからである。
〈今後の審議への期待〉
 今回の審議経過報告は、基本的に従来の「教育改革」論の延長のように思われるが、幾つかの点でそこから一歩踏み込む姿勢が伺える。これまでの個性化・多様化オンリーではなく、「多様性」と教育の「標準性」との調和を強調して、分野別のコア・カリキュラムの策定や「学士」水準の枠組み作りを提言し、更に学士課程の目標とすべき「学習成果」(学士力)の内容を参考指針として示そうとしていることなど、意欲的で示唆に富んだ内容を持っている。しかし、機能別分化等による学部レベルの構造的多元化への道筋が示されずに、学士課程共通の問題として論議されている限りは「入り口・出口」問題への対応の糸口は見出せない。学士の質保証のために、「学位授与の方針等に即して、学生の学習到達度を適確に把握・測定し、卒業認定を行う」ということをすべての大学に同じように求めるのは、現実感覚では受け止めにくい。
 もう一つこの「審議経過報告」で注目したいのは、教学経営のあり方として「目標によるマネジメント」の考え方を強く表面に出していることである。「目標によるマネジメント」は既に国立大学法人が取り入れており、設置基準でも目標の明記を求めていることから、私学経営についても議論としては既にスタンダード化しているようである。しかし、大学の個性・特色を「三つの方針」―ディプロマ・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、アドミッション・ポリシーに具体的に反映させ、それに基づいてPDCAの経営サイクルを確立するということを、教学経営のスタンダードとして中教審が提言することは、結果的に新しいたてまえと実態の乖離を生むことにならないだろうか。
 いま実態としての学部レベルの多様化は進んでいるとしても、すべての大学が、その特色を、入り口から出口に至る教育指導の方針として策定し、これを具体的かつ率直に明文化し、対外的にも表明できるとは思えない。入り口での選抜を実質放棄していても、募集要項の上ではっきりとオープン・ドアーを表明している大学はなく、せいぜい「やる気を重視」というような表現で曖昧な対応をするのではないかと思う。学部レベルで「多様化」というのは、中身の実態としてはあっても、これを教育の目標やシステムの違いとして端的に外部に示せるようなものにはなっていないのが、日本の大学の大方の実態ではないだろうか。
 中教審で「目標によるマネジメント」が方針として示されれば、これは認証評価の基準にも取り入れられ、「3つのポリシー」の日常の実践が評価されるようになるだろう。
 実態を飛び越えて改革の理念だけが先行した場合には、認証評価においても、たてまえと実態との乖離を曖昧な言葉が取り繕うということになり、評価の透明性が損なわれるのではないだろうか。単位制度にしても課程制大学院にしても、制度の発足から半世紀経た今になって、その「実質化」を問題にしている。そのような経験は繰り返さない方がよい。
 大学院の機能別分化による多元化が進みつつある今、学士課程教育の在り方についても、ソフトな議論と平行して、ハードな議論、学部レベルの構造の多元化に向けた長期戦略の議論を進めるべき好機ではないかと思う。

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