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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.293
学校法人は誰のものか 私学のガバナンスを考える −下−

 私学高等教育研究所主幹 瀧澤博三(帝京科学大学顧問)

【マネジメントとガバナンス】
 前回は、トップ・マネジメントの強化を論ずる時は、同時にマネジメントを制御する力としてのガバナンス論が大事であることを述べた。今回は、私学のガバナンスのあり方について幾つかの視点を提起し、これからのガバナンス論の進展に期待することとしたい。最初にマネジメントとガバナンスの概念を改めて整理しておこう。
 マネジメントは「経営」と訳されているが、この「経営」は「経営」と「管理」に分けた方が分かりよい。この場合の「経営」とは、組織としての最高の意思決定機能であるが、それには組織全体を視野に入れることと目標の実現に向けた戦略性を持つことが求められる。そのような全体性と戦略性を備えた意志決定に向けてリーダーシップを発揮して行く機能が「経営」だと考える。また、「管理」とは、意思決定した事項の執行を管理することであり、マネジメントの概念には、通常、この経営と管理の両方が含まれる。
 そこでガバナンスとは何か。ひとことで表現すれば、経営の意思決定を制御する組織的な仕組みである。どういう目標に向けて制御するのかと言えば、会社の場合は一般に「効率性」だとされている。およそ一定の目的を持った組織体であれば、その目的の実現に向けた経営の効率性が求められるのは当然のことであり、学校法人の場合も経営の効率性が求められることは同様であるが、それだけでは不十分である。学校法人の事業の基本的な性格は「公共性」であって、学校法人のガバナンスの目標としては、効率性とともに公共性を掲げる必要があり、会社のガバナンスとの基本的な違いはこの点にある。
 近年は、会社でも経営に社会的責任(Corporate Social Responsibility-CSR)の理念が強調されるようになった。会社も社会の一員であるとの立場から、環境、人権、福祉、教育、雇用など公共的な課題に貢献すべきだということであり、これに倣って、最近は大学についても、大学の社会的責任(University Social Responsibility-USR)ということが言われるようになった。しかし、CSRとUSRは、内容は類似しても、基本的性格は全く異なることに注意する必要がある。企業が社会貢献活動を行うのは、企業の持続的発展のために社会的信頼を得る、あるいは企業のイメージアップを図る等を目的とするものであり、それは経済活動の範疇に属する。本来的に公益を目標にした事業ではないはずである。なぜなら営利目的の法人である以上、その事業には経済合理性が求められ、会社の利益を度外視して公共の利益のための活動をすることは株主への背任行為になるからである。
 一方、大学の教育と研究の事業が本来的に公共の利益を目標にしていることはいうまでもないが、大学の資源を活用して行う社会貢献活動も大学の第三の使命であるとする観念が定着しており、大学の本来的な公共性の事業である。
 したがって、大学のガバナンスに関しては「公共性」が最重要の目標になるが、会社の場合はいかにCSRが強調されようとも、それは経済活動であり、経済効率性が求められる問題であるから、公共性はガバナンスの目標たりえない。この点が、ガバナンスの在り方を考える上で、会社と私学の間に基本的な違いを生む。私学の場合、大きく捉えれば「公共」そのものが最も重要なステークホルダーである。そのほか個々の私学の特性に応じ多様なものがありうる。次に若干の例示をしてみたい。
【誰が私学のガバナンスを担うか】
 ・「公共」によるガバナンス― 学校法人には株主がいない。学校法人は誰のものか。学校法人は私人(または法人)による財産の寄付行為によって設立される。この寄付行為は相手方のない単独行為であるが、この行為によって寄付財産は私的な目的には使えないという意味で公共の財産になるのであり、「学校法人は誰のものか」と言えば、それは「公共のもの」ということになる。したがって、学校法人のガバナンスを確立するためには、公共の立場が経営の意志決定に適切に反映される必要があるが、このためには2つのチャンネルがある。
 1つは、国民あるいは地域住民の意思を反映するはずの行政の関与である。私学の場合は設置審査や補助金を介する関与、法に基づく監督等があり、認証評価もこの範疇に入るだろう。しかし、このような行政の関与は、「私学の自主性」の理念に基づいて、例外的、抑制的に用いられるべきものであるから、私学のガバナンスとして大事なのはもう一つのチャンネル―私学が自主的に構築するガバナンスの仕組みである。
 これは、理事会、評議員会、監事など学校法人の管理運営機関の構成や権限等に工夫を加えて、公共の意思が経営に反映されるようにし、それによって経営責任者の専断と独善を抑制し、公共性・効率性が適切に維持されるようなメカニズムを自主的に構築することである。平成十六年の私学法改正は、このような工夫を促すものであるが、その内容は既述のように現状に配慮した最小限のものであり、個々の法人の実情に即して更に先進的なガバナンス改革に取り組むことが期待されていると言うべきであろう。
 まだ稀な例であるが、理事会メンバーの殆どを外部理事とするとともに、意思決定の権限については、基本的事項以外は執行役員会(常務理事会)に委ね、理事会は業務執行の監視機能を重点としている学校法人もある。アメリカ型の理事会と言えると思うが、公共性を重視し、社会各層の意志の反映を図ったガバナンスの在り方として一つのモデルを提供するものであろう。しかし、日本の組織風土の中で真に公共の立場から発言できる外部理事をどこまで確保できるのか、それが難しければかえって理事会を無能化する恐れもある。
 また、大学の関係者や社会各層を代表する人々で構成される評議員会は、ガバナンスの観点から重要な機関である。その委員構成や運営については、個々の大学の特色、個性に即して私学法を超えた工夫を検討する必要があろう。
 ・創設者(寄付者)によるガバナンス― 「建学の精神」が私学の理念として重視され、尊重されるのは、それが私学の持つ「教育の自由」の発現だからである。国公立学校は公費で維持されるところから普遍性が必要であり、その教育事業には公平性、中立性が厳しく求められる。
 私的に維持される私学は、その意味での制約が国公立より少なく、一定の公教育の枠組みの中で個人の教育理念の実現が可能であり、「宗教教育の自由」はその重要な一つである。そのような「教育の自由」を持つことが私学の特色であり、存在意義である。だからこそ私学には独自の特色と教育理念が期待されるのであり、大学の設置に当たって「建学の精神」を定める慣行もそこから生まれたものと考える。
 これが経営の基本軸として、また教職員の行動規範として維持され、実現されていくためには、これをより具体的な使命・目標として策定するとともに学内に周知し根付かせる普段の努力が不可欠である。そのためには、創設者または創設者の意志を理解し引き継ぐ人材が経営に一定の影響力を持つことが必要な場合もあろう。
 俗にオーナー系と呼ばれる大学は多いが、それがこのような意図に出たものであれば、それは私学の公共性を高め、社会の信頼を維持する上で有意義なガバナンスの仕組みになる。反面で、単に経営の閉鎖性と不透明性につながるようなものであれば、それは私学に対する社会の信頼と支持を危うくするものでしかないだろう。
 ・教員によるガバナンス― マネジメントには全体性と戦略性が必要と言ったが、これは伝統的な学部教授会中心の大学運営が最も不得意とするところである。そのため、最近の大学改革の論議では、教授会は改革の足かせとして否定的に論じられる運命にある。しかし、教育研究の主役は教員であり、大学の教員集団が持つ専門的な知識・経験の集積は大学の最も貴重な資源である。大学の経営にこれらが十分に活用されないことは大きな損失であり、トップ・マネジメントが強化されればされるほど、経営と教学とのコミュニケーションの密度を高め、ボトムアップの活性化を図る必要があろう。
【私学のガバナンスの多様性】
 私学のガバナンスはどのようにして構築されるべきか。まず大前提は私学の自主性と公共性の理念を基盤とすることである。その上で、私学のどのような関係者が、どのような仕組みを通じて経営とコミュニケートすることが、適正な経営の意思決定を保ち、効率性と公共性を高めることに貢献できるか、これが課題であろう。
 経営におけるガバナンスの理念の重要性は会社であろうと大学であろうと変らない。しかし、どのような関係者か、どのような仕組みか、と言う問題になると、株式会社と大学とでは共通性が少ない。ステークホルダーと言う幅広い概念も私学のガバナンスにとってどこまで有用であるのか疑問である。私学の特性に即したガバナンス理論の構築が待たれるが、私学の特性は個性・特色の多様性にある。まずは個々の学校法人が個性・特色を生かしたガバナンスの仕組みを工夫し、優れた事例を積み重ねていくことが大事だと思う。(おわり)

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