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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.290
学士課程教育と研究 大学における教育と研究の関係を考える

 村田 直樹(日本学術振興会理事)

 大学においては教育と研究は密接不可分といわれてきたが、かつてのドイツの大学において、セミナー方式の教育や化学実験を通じて「大学教員が自分の専門分野について、新しい研究成果に基づき、従来より進んだ水準で教え、また技術を研究に必要な方法として教える」という形で成立していた『教育と研究の統合』は、もはや現代の大学においては、一部の研究重視大学の博士課程においてかろうじて生き残っているかどうかであろう。
 しかし、だからと言って、現代の大学教育が研究と全く独立して存在可能であると考えるのは早計である。むしろ、欧米の大学では、学士課程段階において、21世紀型とでも言うべき、新たな形態での教育と研究の連携の重要性が認識されつつある。
 【米国ボイヤー報告】
 学士課程教育における「研究」要素の重要性を指摘した報告として、カーネギー教育振興財団の資金によって1998年に取りまとめられた"Reinventing Undergraduate Education:Blueprint for America’s Research Universities"(「学士課程教育の再構築:アメリカの研究大学のための設計図」)がある。これはニューヨーク州立大学長、米国連邦政府教育長官を歴任し、同財団の会長在任中の1995年12月に他界したアーネスト・ボイヤー氏を座長として編成された「研究大学における学部学生教育に関するボイヤー委員会」(ボイヤー氏の死後はシャーリー・ケニー氏[ニューヨーク州立大学長]が座長役を務めた)の報告である。
 この報告は、米国の研究大学の学士課程教育において、しばしば大学院学生(TA)が教科書を用いて退屈な講義を担当している状況を踏まえて、教員の研究成果や大学院における研究指導の要素を学士課程教育に反映させていないことは大きな損失であると指摘している。その上で、学士課程教育に研究や探求活動の要素を取り入れてカリキュラムを再構築すべき旨を提言している。
 再構築のための具体的方策として次の10の提案がなされている。
 @研究に基づく学習を標準にすること(ジョン・デューイが指摘した知識の伝達よりも対話や助言によって導かれる発見を基礎に置く学習の重要性は今日でも変わらない)、A探求型の1年次教育を構築する、B1年次教育の基盤の上に(専門分野の)学士課程教育を形成する、C学際的な教育の障壁を撤去する、Dコースワークとコミュニケーションスキルを結合させる、E情報技術(IT)を創造的に活用する、F知の統合化で総仕上げとする(最終年次において、それまで学習してきた研究・コミュニケーション技能を最大限に活用できるよう卒業研究等の中核プロジェクトに従事させるべきである)、G大学院学生を見習い教師として教育する、H教員の報酬制度を変革する(研究成果だけでなく、学士課程教育を含めた教育へのコミットメントを評価し、報酬に反映させるべきである)、I学習者のコミュニティーとしての一体感を醸成する。
 ボイヤー報告は、研究大学に焦点を当てたものであるが、この報告に前後して1997年から米国科学財団(NSF)が実施した学士課程教育と研究の連携のためのプログラム開発支援事業(Awards for the Integration of Research and Education: AIRE/RAIRE Program)は、当初、研究集中型大学が対象であったが、翌98年からは学部中心大学が対象に加えられ、多様な大学が、それぞれのミッションの中で教育と研究が連携したカリキュラム開発に取り組むこととなった。
 なお、ボイヤー報告が取り上げた研究大学は125大学で、大学数でこそ全体の3%に過ぎないが、全米の32%の学士号を授与するとともに、理工系分野の博士号取得者(1991年から5年間)の56%が研究大学で学士号を取得しており、米国の学士課程教育において大きな影響力を有している。
 【英国高等教育アカデミー報告】
 英国(イングランド)においては高等教育の大衆化や大学に対する研究資金の集中化などを背景として、大学における教育と研究の関係について検討するために、政府が研究フォーラムを設置し、2004年にはその報告が公表された。この報告は、「研究と教育は、@高等教育を修める学生とA高等教育の場に雇用される教員の活動という2つの観点からそれらが進められる大学にとって、根本的かつ密接不可分の性格を有する」と結論づけている。
 翌05年10月に英国高等教育アカデミー(政府と各大学の資金で運営される組織)が公表した報告書 "Institutional strategies to link teaching and research"(「教育と研究の連携のための組織戦略」)では、教育と研究の連携についての多様な形態を整理している。
 第1は、研究に導かれた教育であり、学問分野の体系的な内容をカリキュラムの基本とし、教育内容が教員の専門的な研究上の関心に基づいて選定される。この場合、伝統的な「情報(知識)伝達」モデルによる教育が行われ、研究の過程よりも結果の理解に重点が置かれる。
 第2は、研究志向型の教育である。確立された知識を学ぶに当たって、当該知識が生み出された過程を理解することが強調されたカリキュラムであり、探求技術及び研究の心構えの獲得に注意深い配慮がなされる。 
 第3は、研究に基づく教育であり、学問分野の内容の獲得よりも探求的な活動を中心にカリキュラムが企画される。ここでは、探求過程における教員の経験が学生の学習に高度に統合される結果、教員と学生の役割分担が最小化する。この形態においては研究と教育の双方向的な関係が意識的に追求される。
 第4は、研究によって活性化された教育とでも表現すべきもので、教育・学習過程自身が系統的な探求を意図的に引き出すように構成される。
 同報告書では、今日の大学においては、教育と研究を組織的に連携させるための戦略が必要であるとして、以下の4項目にわたって18の提言を行っている。
 まず、(1)組織としての意識及び組織としての目標の開発という項目では、@教育と研究の連携が組織の目標の中核に位置づけられることを宣言し、この連携を支援するための戦略と計画を策定する、Aこれをミッションとし、関係者に伝達する、B組織構成員の意識を開発するために、イベント、研究・研修、出版等の活動を主催する、C教育と研究の連携を効果的に行うための組織的概念及び戦略を開発する、Dその概念及び戦略を学生と保護者に説明し、彼らを巻き込む。
 次に、(2)教育と研究の連携を支援するための教育方法及びカリキュラムの開発という項目では、E教育と研究の連携を支援するための教育方針・実践を開発・点検するとともに、そのための戦略を実行する、Fその連携を強化するために戦略的・具体的計画及び機関監査(我が国で言えば認証評価のようなもの)を活用する、Gカリキュラムを開発する、H工程表を点検する、I特別なプログラム・組織を編成する。
 さらに、(3)教育と研究の連携支援のための研究方針・戦略の開発という項目では、J教育と研究の連携を強化するために、研究方針を開発、点検するとともに、戦略を実行する、K研究センターとカリキュラム及び学生の学習と教員の学究の連携を確実にする。
 最後に(4)教育と研究の連携支援のための教職員及び大学組織の開発という項目では、L教育と研究の連携を新任教職員の研修方針や既存教職員の能力開発の支援戦略の中心に位置づける、M教育と研究の連携を昇進や報酬方針の中核に据える、N教育及び研究それぞれのユニット、委員会及び組織の効果的な連携を確保する、O大学の関連する他の戦略に結びつける、P国家的なプログラムに参加する、Q部局レベルの取組を支援する。
 英国政府は2006年度から、これらの報告や報告書を踏まえて、研究に触発された教育環境を開発するための財政支援を行っており、研究資金の過度な集中的配分による副作用の是正に着手した。
 最後に、大学における教育と研究は相互に深い関係にあることは疑う余地のないところであるが、かつてと異なり、その相乗効果を上げるためには、教員個人のレベルから国家的なレベルにわたって、意識的、組織的な取組が必要であり、今回紹介したように、米国や英国では既に政府が積極的に関与して大学の取組を支援している。

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