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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.287
大学全入時代の高大接続 教育再生会議の視線

私学高等教育研究所客員研究員 山岸 駿介(教育ジャーナリスト)

 教育再生会議の第2次報告が公表された。初等中等教育と比べ、高等教育の部分の改革提言は細かくきびしい。大学教育の質の改革を求めた部分を素直に読むと、これによって日本の大学は「混乱」から「破壊」に追い込まれかねないと不安になる。とくに問題なのは、大衆化した大学の現実が分かっているようには見えないことである。
 教育再生会議の第2次報告は、その冒頭で、「大学入試改革については、第3次報告に向けて検討する」と断っている。だが、「大学教育の質の保証」を求めた改革提言1の中で、なぜか「大学入試の抜本的改革」の検討が入っており、大学の個性、特色を明確にする上での「AO入試の活用」と、「大学入試の多様化、弾力化のための措置など抜本的な改革」を検討する際は、「初等中等教育に与える影響を考慮する」として(大学入学年齢の弾力化、国立大学の入試日分散・複数合格、大学入試センター試験の資格試験化や年複数回実施、高卒程度認定試験の在り方等)と書かれている。
 そこには、センター試験を解くだけの学力がない、平均か、それ以下の低学力の学生の選抜をどうするかという視点がどこにもない。

《学力抜きの入学者選抜が500校》
 「大学全入」時代が来ている。いますぐではなくとも、現在行われているような入学試験ができる大学は、全体の2割から1割5分程度しか残らないといわれている。その他の大学は学力による選抜ができなくなる。そのことは、何を意味するのか。その点を承知している大学人は、きわめて少ない。
 千葉大の学長だった丸山工作氏が、2000年に大学入試センターの所長に就任したとき、その歓迎会に出席した荒井克弘東北大学教授(現副学長)は、同氏に声をかけられた。丸山所長は、千葉大で「飛び入学」の実現に力を尽した人である。才能をどう伸ばすか、に関心が深かった。
 荒井教授は、大学入試センターの研究部に、前後2度勤務しており、高校の学習指導要領と、国立大学の入試制度に精通している。丸山所長は「才能のある若者を、今の入試につぶされないような方策を考えたいので協力してほしい」と荒井教授に言った。しかし、荒井教授は、「これからは大学入学がフリーパスになり、学力がなくても、大学に行ける時代が来ます。そうした学生をどうするか。ボトムをどう支えるかを考え、解決しておかないと、エリート大学の入学者選抜の問題も解決できません」と言って断った。
 しばらくして、丸山所長から電話があり、「あなたの言うことをやりたいので、研究会の委員長をしてくれ」と言われた。この問題を検討する委員会は、平成13年から丸山所長が亡くなった16年秋まで続いた。

《「総合基礎」の登場》
 検討されたのは、センター試験を2種類作ることだった。現行の試験のほかに「総合基礎」という易しい科目で、正答率8割、高校1年修了程度のレベルの問題を実際に作り、13高校、4000人を超す3年生に受けてもらい、国語と数学の2科目を1時間でやった。
 「総合問題調査委員会」は2期に分かれて行われており、2回目の調査では、国語、数学のほかに英語も付け加えて行われている。荒井教授は、委員会のたびに、開会より1時間早く呼ばれ、丸山所長の話を聞いている。その際、この研究に文科省は反対していて、所長の考え通りにセンターの職員が動かないことなどを聞かされた。ただ、なぜ文科省が反対するのかについては、何も言わなかったという。丸山所長が急逝すると、この委員会はすぐ解散になった。

《問題多い学力無視のAOと推薦入学》
 AO入試と各種の推薦入試は、学力を問われない。学力試験をしてはいけないという文科省の方針があるからだ。このことが、入試に詳しい研究者の間では、問題になっている。
 5月末に行われた日本高等教育学会で、「大学生の適応過程と学業成績の関係」について報告した濱名篤関西国際大学学長らの研究グループによると、AOや推薦入試など「非学力選抜」で入学した学生と、学力選抜による入学者を、高校1年レベルの英語の学力で比べると、AOや推薦入学組は、20%程度も学力選抜組より学力が低い結果が出た。しかもその程度の学力でも、入学後の成績などとの相関関係が深かったという。易しい試験でいいから、その学生たちの「学力」を見ることで、彼らは自信を深めて、大学生活や学習への取り組みができるという。

《国立大学入試を変える力》
 大学入試センター試験は、元は国立大学すべてに共通した一次試験として始まった。それが中曽根内閣時代に批判を浴び、私立大学も利用できる現行の試験に変わった。国立大学は、協同して従来通りの利用の仕方を続けている。
 ところが、国立大学もこれまでのように、全部の大学が同じ利用の仕方で参加できる状況ではなくなってきた。そのことに気付いている国立大学の学長ら幹部が何人いるのかわからないが、国立大学協会の入試制度の研究に関係している人たちの間では、分かりやすくいえば、荒井教授がかつて考えたような、センター試験を2種類に分けて、Aグループの大学は従来通りの利用の仕方を続ける一方、Bグループの大学は、易しいテストを作り、それを利用しようと考えている。
 「仕組み」テストという言葉を使いながら、国立大学の二極化に対処できる「易しい」試験を探そうとしているようだ。国立大学は、文科省の指導もあり、種別化が進んでいる。財政的にも、運営費交付金でさえ成果主義を強められると、地方にある小さい大学の経営は一層苦しくなり、大学の二極化は促進される。
 今年3月の国立大学協会の総会に出された報告書によると、明快に書かれてはいないが、2通りの試験を考えているようだ。2つ目の試験は、高校1年修了程度の主要科目を組み合わせた易しい内容のようだが、公表されれば、反対意見が一挙に高まるかもしれない。しかし、いくら反対が出ても、B面の大学は、自力で入学試験科目を増やして、受験生を集める力はない。思い切って、本当のところを公表すべきではないかと考える研究者が増えているようだ。

《自信のない非学力選抜の学生たち》
 センター試験ではない、もう1つの、学力レベルを落とした試験という発想は、荒井東北大副学長が「総合基礎」という形で考えた。私大では、濱名グループのように、易しいテストの重要性と、学力を問わないAOや推薦入試のような「非学力選抜」の「学力」を測れれば、学生の自信に結びつくだけでなく、学習指導等にも好影響を及ぼすとして、一刻も早く国が「総合基礎」のようなテストを作るべきだと主張する。ただ、文科省がこの問題をどう扱うかは、明らかでない。それと同時に、非学力選抜組の足場、言い変えると、単に大学の入学試験制度だけの問題でなく、高校での教育との関係をしっかりさせる必要がある。高大接続をどうするかの問題である。
 少子化によって、大学の定員割れが起き、それが外部から見えるようになり、高校などからきびしい目で見られてきた。高校側には色々と主張があるようだが、高大接続に対しては批判的なようだ。しかし、いくら大学教育に必要だからといって、すべての問題を、大学が受け入れていたのでは、修学期間を1年ぐらい延ばさない限り無理である。やはり高校にも相応の協力を求めて、高校と大学が協力し両者の教育を接続する必要がある。

《入学試験をやればよいという時代は去った》
 いうまでもなく、大学入試は、これまでは、高校がやってきた教育を評価するという意味があった。入学試験をやれば、高校がやってきたことが、試験の結果によって判断されるという考え方である。ところが今求められていることは、試験をすることではなく、高校に大学の注文を伝えて、協力をしてもらうことである。
 大学は、学力の低い高校生を受け入れて教育をするから、高校も大学教育の一部を下支えするつもりで、大学の要望を聞いてほしいという注文が実現するかどうかで、平均かそれ以下の学力の高くない学生層の幸せは決まる。
 実際には、大学側が求めているのは、荒井教授が作った「総合基礎」のような易しい試験である。センター試験の資格試験化とはまるで違う。それができれば、200校程度の大学以外の大学に入る大多数の学生たちは、それなりの自信を付け、AOや推薦入試組の学生の学力もチェックできる。
 教育再生会議の報告書では、センター試験の資格試験化がいわれている。そんなことになれば、過半数の高校3年生は、大学に進学できなくなり、社会は騒然となるだろう。何をすることが、今最も重要なことなのか。再生会議も大学人も、同じ問いに直面していると見て間違いはあるまい。

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