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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.283
 細分化する「学問」 学位に付記される専攻分野の名称

研究員 森 利枝(大学評価・学位授与機構准教授)

《大学設置基準の「厳格化」議論》
 この5月中旬、文部科学省は大学設置基準の一部を来年度から改正する方針を明らかにした。公表された改正案の一項目には「大学は、授業科目の開設について、必要な教員組織、施設設備を備えた上で『自ら』授業科目を開設するものであるとの原則を明確化するもの」という解説が付されている。一部新聞報道では大学設置基準の「厳格化」とも呼ばれているこの案であるが、カッコ書きされた「自ら」に、万感の思いを読み取るのは決して深読みではないだろう。平成3年の大学設置基準の大綱化以降、構造改革特区における株式会社立大学の参入を経て、とくに近年になって表面化したのは、大学の授業が、必ずしも「自ら」構成したカリキュラムに沿って、「自ら」の構成員として採用した教員によって行われるとは限らないという事態である。そもそも大綱化にあたっては、大学が「自ら」ある一定の規範を維持することが期待されていたはずである。つまり、「大学」を名にし負う教育機関には、規制がなくても結果的にある規範を維持する何か―それをここでは大学の文化的同質性と呼びたい―が共有されていると思われていたが、事実はそうではなかったということであろう。
 大学設置基準の「大綱化」と「厳格化」は、それぞれ高等教育のアクセシビリティとクオリティを保証する上で、適正なバランスを要求されることがらである。大綱化によって可能になったいくつかの授業形態は、高等教育へのアクセシビリティを高めるものであり、学生の利便性を向上させていることは言うまでもない。しかし、過度な規制緩和の状態もまた、高等教育のクオリティに疑義を抱かしめ、最終的には学生の不利益になりうるということは衆目の一致するところであろう。来年度の設置基準の一部改正は、緩和された規制の揺り戻しのように見える。
 《学位に付記する専攻分野の名称》
 平成3年の大綱化によってもたらされた変化は枚挙にいとまがないが、象徴的なものとしては学位の表記のしかたが挙げられる。それまでは学位は○○博士、○○修士というように、学位規則により博士19種類と修士28種類が定められ、また当時は学位の位置づけにはなかった学士についても、大学設置基準によって29種類が定められていた。しかし大綱化以降は、各大学において博士、修士、学士の学位を授与する際にはその定めるところにより専攻分野を付記するものとされ、現在見られるように博士(○○学)といった表記が採用されるようになっている。
 筆者が勤務する大学評価・学位授与機構では、学位授与事業を支える調査研究の一環として、平成5年以来、全国の国公私立大学が学位を授与する際に付記している専攻分野の名称について調査している。各大学のご理解を得て調査への回答率はおおむね例年95%程度である。議論を単純化するために学士のみに関して言うと、大綱化以前に称号として定められていたのは前述の通り29種類であったものが、平成6年度に付記された専攻分野の名称は調査できた限りで250種類になっている。翌平成7年度には292種類と大綱化以前の10倍、17年度には580種類を数え、大綱化以前のちょうど20倍に増加している。平成18年度の調査においては、未確定値ながら600種類を越える専攻分野の名称が、学士の学位の授与の際に付記されているという調査結果が得られている。修士、博士の学位に付記される専攻分野の名称の種類は、実態上学士における名称の種類よりも少なくかつ学士における名称におおむね包摂されており、また学士、修士、博士を通じてこの付記される専攻分野の名称以上に大きな分野の分類はない(付記される名称が最も大きい分類である)。従って、我が国の「学問」にはざっと600種類の分野が存在しているということになる。そんなことがありうるだろうか。
 学問の種類といっては大上段に振りかざしすぎであるとしても、学士のレベルで、専攻分野が600種類以上あるというのは事実である。こうなるまでの経緯を振り返ると、そもそも大綱化の直前には、平成3年2月の大学審議会答申「大学教育の改善について」においてもみられるように、学士の種類29種類は当時の学部の種類91種類に比して少ないという議論がなされている。そして翌年度から、修士、博士の学位の種類に関する規定を廃止することと、新たに学位とされた学士の種類も定めないこととされた。つまり学位は学士、修士、博士の三種類とし、各大学が個別に専攻分野の名称を付記することとされたのである。ただし、社会的通用性を確保するためにその種類を過度に細分化しないようにすべきであるという議論も同時になされている。
 現実には、先述の通り昨年度わが国で授与された学士の学位に付記された専攻分野の名称が600種類を越えている。ではこの数字は「過度の細分化」にあたるだろうか。
 そのことを考えるには、やや詳細に実態をみる必要があるだろう。そこでこれら専攻分野の名称のうち、どれだけの名称が複数の大学によって「学士」に付記されているかついてみることにする。たとえば「工学」は154の大学で専攻分野の名称として付記されており、「文学」は150大学、「体育学」は12大学、「水産学」は6大学で付記されている。このような見方で、少なくとも2大学以上が用いている名称の種類を調べると約220種類ある。すなわち残りの約380種類、6割を超えるものが、特定の一大学でしか付記されていない、いわばオリジナル・ブランドの「学位に付記する専攻分野の名称」であるという調査結果になっているのである。
 《学位の機能とはなにか》
 学位の機能がなにかということに関しては議論の余地があるかも知れないが、少なくとも学位は資格であるという考えに基づけば、資格である以上学位にはコミュニケーション・コストの低減という機能があるはずである。すなわちある個人がどのような分野でどの程度の学習を了えているかという情報を、長々しい説明や付加的な試験などなしに、簡潔に明示する機能が期待されているはずである。しかし学位に付記する専攻分野の名称が600種類を超え、かつそのうち6割以上が一つの大学でしか用いられないという実態をみるに、学位に専攻分野の名称を付記することによってコミュニケーション・コスト低減の機能が果たされているとは考えがたい。
 もちろん単一の大学でしか用いられていない専攻分野の名称の中にも、伝統的な学問分野の名称を反映したものもあり、それらが、いわば偶然に二つ以上の大学に採用された「斬新な」名称よりもコミュニケーションの機能は高いということは考えられる。また専攻分野の名称に大きな影響を与える学部や学科の名称に関して、一時期文部省が決然として、大幅な多様化を促進する指導を行っていたという経緯を見れば、現状は大学だけが選び取った結果であるとはいえない。しかしいずれにせよ、学位を付記される専攻分野の名称からみたとき、概して、「社会的通用性」が担保されているとは言い難い状況にあることは事実である。
 このような、専攻分野の細分化は、ではいかにすれば抑止できるのであろうか。あくまでも一例としてアメリカでの実践を例に取ると、たとえばニューヨーク州は州内の高等教育機関が授与できる学位の名称として学士25種類、修士41種類、博士34種類(名誉学位を除く)を規定している。また地域適格認定団体であるニューイングランド協会では、アクレディテーション基準において、学位には「米国の高等教育機関の通例に則り、適切な名称をつけること」を要件にしている。また理工学系の専門適格認定団体のABETは、学位の名称ではなく学部や学科の名称に関してであるが、「プログラムの名称の選択は教育機関の特権であるが、プログラム名称が増殖することは、実質上同じ内容のプログラムが異なる名称を持つことに繋がり、学生、入学希望者、雇用者など社会に混乱を来すため好ましくない」という方針を示している。
 もしわが国において、冒頭述べたような大学における文化的同質性がいまだ醸成されていないのならば(あるいはそのような同質性は固より必要でないというのならばなおさら)、学位というものに実質的な機能を負わせるためにはそれに付記する専攻分野の名称の細分化について改めて議論をする必要があるように思う。大学という組織にとっては、学位にどんな名前を付けているかということによって齎される利害得失は見えにくいものかも知れないが、個人にとって自分の持つ学位にどんな名前が付いているかということは、深刻な問題であるべきだからである。

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