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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.270
アジアの大学が躍進 タイムズ紙ランキングより

私学高等教育研究所研究員 馬越 徹(桜美林大学大学院教授)

 ■はじめに
 年が改まったので昨年10月のことになるが、グルノーブルで開催された日仏高等教育会議に参加した際、某私立大学の学長に随行してきた職員が、会議の数日後に発売される予定のタイムズ紙の大学ランキング結果を学長に報告しなければならないと、落ち着かない様子であった。帰国後、発売されたタイムズ紙を見てその理由がわかった。その大学は、めでたく初のベスト100入りを果たしていたからである。
 大学ランキングには各種あるが、タイムズ紙のそれは、毎年ノーベル賞発表の前後に発刊されるので注目度は抜群に高い。今年のそれは、前年までの総合ランキングとは異なり、ノーベル賞と類似した各分野(理学、工学、医学・生理学、社会科学、人文学)別に、トップ100大学の順位(分野別総合得点:引用頻度数付)が発表された。評価方法は、これまでどおりピアレビュー方式であり、世界の各分野の碩学3703人による評価に基づいている。
 
 ■トップ10にも異変
 これまでの総合ランキングでは、世界最高レベルのトップ10大学は、年度により順位の異動は多少あったが、米英の大学が独占してきた。なかでもアメリカ東部のハーバード、MIT、プリンストン、西部のスタンフォード、UCバークレイ、Cal・Tec、イギリスのオックスフォード、ケンブリッジは、その常連であった。ところが2006年度版では、各分野のトップ10にアジアの大学が名を連ねてきたのである。理学分野に東京大学(10位)、工学分野ではインド工科大学(3位)、東京大学(7位)、シンガポール大学(8位)の3校、医学・生理学分野でも北京大学(8位)、シンガポール大学(9位)、社会科学分野では、わずかに及ばず、シンガポール大学が11位であったが、人文学では北京大学が10位に名を連ね、アジアの大学の躍進ぶりが、ひときわ目を引いたのである。同紙に解説記事を執筆したマーチン・インス記者は「理学の分野でアジアの大学が21校もトップ100に名を連ね、これにオーストラリア、イスラエルの大学を加えれば、英米の優位を当然のように考えることは、もはやできない」。「工学分野でのインド工科大学に見られるように、英米以外の地域の大学は手ごわい競争者となりつつある」と書き、アジアの大学の躍進を、欧米大学に対する「脅威」として警鐘を鳴らしたのである。
 
 ■躍進するアジアの大学
 アジアの大学の躍進は、既にトップ100入りを果たしてきた日本、中国(香港)、シンガポールの大学以外の東南アジア各国(マレーシア、インドネシア、タイ)の大学が、ランキングに名を連ねたことに象徴される。先のマーチン記者は「医学・生理学分野に途上国のガジャマダ大学(インドネシア)73位をはじめ、マラヤ大学、マレーシア理工大学及びインド工科大学、ジャワハラル・ネルー大学が新規に登場してきたことは、研究に多額の資金を投入する英米モデルが必ずしも大学の競争力を決定づける唯一のものでない」ことを示しているとコメントしている。また、人文学分野においても「言語の壁」を乗り越えてアジアの14大学がトップ100入りしたことに関連して「今後、アジアの大学は研究成果を英語で刊行することが多くなることが予想されるので、相当数の大学がトップ100に名を連ねることになるだろう。ヨーロッパ大陸部の大学は、このような傾向に抵抗感があるようだ」と、ヨーロッパの大学の焦りにも似た感情に言及している。
 ランキングの解説記事にアジアの大学が取り上げられるのは、これまでになかったことであるが、分野別・地域別大学数を見ればアジアの大学の躍進は一目瞭然である。理学や医学・生理学などの基礎科学の分野でも25%前後をアジアの大学が占めており、応用科学分野の工学(25%)はもちろん、社会科学(22%)や人文学(14%)の分野でも、アジアの大学の躍進ぶりは目覚しい。これに太平洋諸国(オーストラリア、ニュージーランド)を加えれば、「アジア・太平洋地域」は、ヨーロッパ、北米と並ぶ巨大な学術圏(Center of Learning)の一つを既に形成していると見ることができる。
 
 ■躍進の原動力としての大学構造改革
 これまでの高等教育研究の通説によれば、途上国の大学は、そのインフラ整備状況や学術誌(アカデミック・ジャーナル)で使用される言語(主として英語)等の問題により、先進国の大学との格差は、ますます開くと予想されていた。ところが、今回のタイムズ紙のランキングで見るかぎり、これまでの「常識」は覆されたと言わなければならない。その背景に何があるのであろうか。
 一言で言うならば、冷戦終結後のグローバル化が、学問分野においても特定地域間の従属関係を曖昧化し、時空間を越えた「競争」を激化させたためであると考えられる。1990年代後半のアジア通貨危機は、アジア各国にグローバルな競争への対応を迫ったと言えるが、それ以前から東南アジアの大学は「企業化(シンガポール)」「民営化(マレーシア)」「自治大学化(タイ、インドネシア)」等、さまざまなスローガンを掲げて大学の構造改革(ガバナンス改革)に取り組んできた。また、中国の大学が、建国後最大規模の大学の統廃合・再編を試みていることは周知の事実であり、韓国も競争力強化に向けた大胆な大学の統廃合を含む構造改革を進めている最中である。こうした改革が、資金の集中と研究者の世界的流動を加速させていることは紛れもない事実であり、そのことがランキングの上昇につながっていることは疑う余地がない。
 東南アジア諸国の大学のトップ100入りについては上述したとおりであるが、東アジアについて見ると中国の大学の躍進ぶりが際立っている。ほとんどの学問分野で日本の大学数に肩を並べており、早晩抜き去る勢いを感じさせる。また、ランキング面でも上位校への進出が続いている。これに特別行政区・香港の大学(香港大学、中文大学、香港理工大学等)を加えれば、その影響力はますます強化されることが予想される。この他にも韓国(ソウル大学、韓国科学技術大学)、台湾(台湾大学)の諸大学もトップ100入りを果たし、健闘している。

 ■日本の大学の位置と今後
 それでは、今回のランキングを通して、日本の大学が世界及びアジアにおいてどのような位置を占めていると言えるのであろうか。世界レベルで見ても東京大学及び京都大学は、すべての学問分野でトップ100大学に入っており、20位以上の高い位置を確保している。それ以外の大学について見ると、理学、工学、医学・生理学の3分野に大阪大学と東北大学が名を連ねており、理学、工学の2分野に東京工業大学と名古屋大学がランキングされている。これらの大学のほとんどは旧制大学を前身に持つ伝統校である。今回、社会科学の分野で慶應義塾大学(75位)と神戸大学(88位)が、人文学で早稲田大学(58位)がトップ100に名を連ねたことが目新しいと言えば、言える程度である。
 一方、アジア地域における日本の大学の位置について見ると、トップ100にランキングされるアジアの大学が激増しているなか、日本の大学数はここ数年あまり変化が見られない。つまるところ、アジアにおいて、日本の大学の存在感は相対的に低下していると言わなければならない。グローバルなレベルで展開されている大学間競争を勝ち抜くには、1990年代以後に進められてきた大学改革事業のあり方を、抜本的に見直さなければならないのではなかろうか。
 日本では、この種の大学ランキングを「たかがランキング、されどランキング」と揶揄する傾向があるが、アジアの各国では、タイムズ紙のランキングが実際に優秀な大学人材と財源の獲得にかなりの影響力を持つと考え、トップ100入りにしのぎを削っているのである。日本もトップ100に新規参入する大学を増やす戦略を真剣に考えないと、取り返しがつかないことになると考えるのは杞憂であろうか。

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