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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.196
なぜいま韓国特集なのか―日本の高等教育の近未来を予見する

リクルートDカレッジマネジメントE編集長 中津井 泉

 《4年前に最初の特集》
 3月に発行したリクルート「カレッジマネジメント」誌の最新号では、韓国の高等教育事情を特集した。年明け早々に現地取材をしたばかりの最新レポートである。
 韓国についての特集は4年前の2001年3月発行の107号でも「問題は日本と同じ、先を行く韓国の高等教育改革」というタイトルで掲載した。その当時の韓国は大学進学率が68%(現役)。増え続ける大学の定員数と減り始めた高校卒業者数がちょうどクロスして、数の上でいよいよ大学全入時代に入るという状況にあった。
 じつは、最初この企画は、馬越 徹先生(当時名古屋大学、現在桜美林大学)が1年間ソウル大学に客員教授として滞在されるので、その間に、あまり知られていない韓国の高等教育事情を現地からトピックス的にレポートしていただこうというものだった。アメリカの高等教育事情はしばしば紹介されるが、日本に一番近い韓国の情報は極めて少ない。日本語修学人口は世界一だし、来日する留学生は中国に次いで多いのだから、そこの高等教育の状況を日本の教育関係者に知らせる意味はあるだろう。その程度の考えだった。
 ところが、馬越先生から話を伺ってみると、18歳人口のカーブと減少、私学の生き残り競争、国立大学の法人化、首都圏と地方の地域間格差などなど、日本と韓国の高等教育の類似点が極めて多く、抱えている問題も共通することがわかってきた。試しに「朝鮮日報」や「東亜日報」の日本語サイトを覗いてみると、教育関係の記事タイトルは驚くほど日本と似ている。これは面白いと直感して、連載記事を送っていただくのではなく、現地インタビューを含む特集にまとめることにした。私自身もソウルに行き、ソウル大学学長インタビューに同席した。そして、そのときの私の実感から特集タイトルを冒頭であげた「問題は日本と同じ、先を行く韓国の高等教育改革」と決めた。このときの韓国の状況から日本の近未来を予見することができると思ったからである。
 それから4年、日本はいまちょうど韓国の当時の状況にある。予想したことはかなり当たったように思う。では、先を行っていた韓国のほうはどうなったのだろうか。それが気になりだした。
 おりしも「韓流ブーム」が巻き起こり、ごく一般的な日本人にとって韓国はより身近な存在になり始めた。韓国のテレビドラマが次々と放映され、ごくごく日常的な生活ぶりや人間関係をそこに見ることができるようになった。私も興味があって韓国ドラマを次々と見たが、受験や大学にまつわる挿話や場面が多いことに驚いた。大学入試の大変さ、苦学生の学業と仕事の両立、予備校や大学の授業風景、留学というように、ドラマの中には高等教育が日常生活の一要素として描かれていた。特に「留学」は、恋愛ドラマでは男女の別れの定番で、あの「冬のソナタ」でも使われていた。留学先はアメリカのほかカナダ、ヨーロッパ、オーストラリアなど多方面で、しかも長期間にわたっている。ドラマで見る限り、海外留学は韓国の若者にとって、ごく普通の進路選択肢のように見えた。韓国は日本以上に少子化が進行している。マーケットが縮小するなかで、さらに海外へ流れるとしたら国内の大学はどうなってしまうのか、仕事柄ドラマを見ていても気になって仕方なかった。

 《前回のその後を検証する》
 そんなこともあって、このいまのタイミングで2度目の韓国特集を企画した。レポートは前回に引き続き馬越先生と新たに長崎大学の井手弘人先生、高麗大学の韓 龍震先生にお願いした。
 今回の取材は4年前の状況のその後の検証という視点からスタートした。4年前と比較すると、高校卒業者数は減少してきたが進学率は81.3%とさらに上昇していた。これは恐らく世界一の大学進学率である。大学と大学院の数は増え続け、大学入学定員は高校卒業者数をはるかに越え、数年前から全入時代に到達していた。馬越先生の表現を借りれば「超ユニバーサルアクセスが現実化している」わけである。その結果として、ソウル、釜山、大田などの大都市では大学定員を充たしているが、地方大学や専門大学(2年制、3年制)では恒常的に欠員が生じ、統廃合が始まろうとしていた。政府もここに来て大学の構造改革を進める腹を固め、大胆な大学統廃合と定員削減案を含む「大学競争力強化のための大学構造改革方案」(試案)を発表した。この方案が、この先どのように実現化していくかはまだわからないが、日本の中央教育審議会が出した「我が国の高等教育の将来像」と読み比べてみるとなかなか興味深い。特集ではこのほかに、有力私学である高麗大学の改革事例と、地方の国立大学と専門大学の生き残りをかけた動きをレポートした。100周年を迎える高麗大学の改革事例は、『「民族の高大」から「世界の高大」へ大転換』とタイトルを付けたが、これをそのまま日本の大学名に置き換えても構わないと思うほど、その方向性や施策は日本の大学の参考になるものだった。

 《超ユニバーサルアクセスの結果》
 これらの詳しい内容は、本誌を見ていただくとして、2度の特集を通じて私が感じたことをいくつか記してみる。
 1つは、欧米に比べれば社会構造や教育意識が似ている韓国は、日本の社会と重ね合わせやすいということである。試験に対する絶対的な公平性、教育意識の高さ、親子の一体感、師弟関係など通じ合う面が多く、大学のキャンパスの雰囲気もよく似ている。逆に似ているだけに違いも目につく。大学がこれだけ入り易くなっているのに、何故受験競争は沈静化しないのか。何故入学後も勉学態度が緩まないのか。何故留学が盛んなのか等など、様々な両国の差異が疑問として浮かび上がってくる。そして、その疑問の中にこそ、日本にとってのヒントがあるような気がしている。
 2つ目は、日本を凝縮して極端にしたようなことが、そこで起こっているということである。国土は日本の4分の1、人口は3分の1だから、人口密度はざっと1.5倍になる。大学入試や就職だけでなく、あらゆる面で競争は日本以上に熾烈となる。その熾烈さ故に、それは日本で起こっている同様の問題の増幅された姿であり、これから日本が行き着く先を示唆しているような気がする。
 3つ目は、経済界の高等教育への反応である。これだけ進学率が高く、勉学意欲や上昇志向が強い学生をかかえ、語学や実践的教育を強化して、生き残りをかけた改革を強いられている韓国高等教育界でありながら、経済界からの評価は厳しい。国際的に通用する語学力と実践力の強化という一方で、もっと基礎教育を重視しろとか、人間教育をしっかりしろとか、注文は日本の経済界の言うことと一緒だ。
 4つ目は、この超ユニバーサルアクセスの結果である。この状況がもたらす結果はもっと先にならないとわからないわけだが、どんな人材を生み出し、どんな力を作り出し、どんな社会や国家を作り上げるのか。これからも先に走る韓国を注目したいと思っている。

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