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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.187
高等教育政策と私学―私学高等教育政策の軌跡を辿る(上)

主幹 瀧澤 博三(帝京科学大学顧問)

 高等教育の普及が「ユニバーサル段階」に達しており、かつその中で私学のシェアが4分の3と、過半を占めている。こういうわが国の高等教育の構造は世界的に見てきわめて特異なケースである。しかし、さらに特異なことは、これだけ成熟段階に達した高等教育の大半を私学が担っていながら、私学高等教育政策については、その目標も政策の大綱も国民の前に明確にされていないことである。
 このような私学高等教育政策の曖昧さを生んだ大きな原因の一つは、戦後の学制改革に際して、私学の自主性という理念の下に、行政の私学への規制・監督は極力抑制すべきだとされ、以来半世紀を越えた今日まで、行政と私学との関係のあり方を時代の変化に即して基本から議論することがなく、曖昧なままにされてきたことにある。またこの行政と私学の関係の未成熟は、国立の学校を中心として運営されてきた戦前の高等教育政策の形を、戦後の諸制度の改革にもかかわらず今日まで色濃く残す結果に繋がったとも思われる。
 本稿では、このような私学に対する行政のスタンスの曖昧さが戦後、今日までの高等教育政策にどのような影響を与えてきたか、またそれによって今日わが国の高等教育にどのような問題が残されてきたか、戦後の高等教育政策の流れにいくつかの大きな節目を作ってきた文部省(文部科学省)の審議会等の答申を辿りながら試論として整理してみたい。

1.私学高等教育政策とは
 私学高等教育政策の柱は設置認可制度と私学助成であるといわれることが多いが、これは政策手段に着目した話であって、政策目標自体に関しては高等教育政策と私学高等教育政策を切り離して論ずることはできない。そこで、まず高等教育政策にはどのような課題があるかを大づかみにまとめてみたい。これには基本となるものとして、およそ次の3つの柱を挙げることができよう。
 (1)高等教育の制度設計
 これには大学、大学院、短期大学、高等専門学校、専修学校のそれぞれ個別の制度の問題と、これら各種の制度が集まって全体としての高等教育システムを形成している、その構造の問題とがある。
 (2)需給の調整
 需給には入口(入学時)の問題と出口(卒業時)の問題とがある。
 (3)質的水準の維持
 まず制度としてのルールの設定がある。大学設置基準など各種の法令等による基準がこれであり、また、第三者評価制度もこれに当たる。次に、行政による各種の規制がある。設置認可制度や行政庁による指導・監督がこれに当たる。
 これら3つの課題は、高等教育の使命にかかわる本質的な課題であり、時代により軽重はあるにしても、高等教育政策の重要課題であることは常に変わらない。高等教育が国家・社会の要請に応えていくためにはこれらの課題に対する対応の仕方について一貫した考えがなければならない筈である。ところが戦後の高等教育政策の流れを俯瞰すると、この3つの政策の柱に対する考え方にぶれが大きく、政策の一貫性が損なわれていると思わざるを得ない。時々の社会・経済の変動によって政策の方向性の修正が必要になることは当然であるが、私学高等教育政策のあり方に対する考え方、特に政策をめぐる行政と私学との関係についての検討が十分に行われず、両者の成熟した関係が構築されていないところに大きな原因があるように思われるのである。
 そのような観点から、上記の3つの高等教育政策の柱について、私学高等教育政策を中心にしながらどのような変化があったかを辿ってみたい。ここでは、新制大学の発足後、10年から10数年のスパンをおいて、高等教育制度全般を見直し、改革の方向性を議論した審議会の答申等をその手がかりとする。昭和38年の中央教育審議会答申「大学教育の改善について」(38答申)、同46年の答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的な施策について」(46答申)、昭和61年の臨時教育審議会の第2次答申、平成10年の大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」ならびに、現在まだ中間報告の段階であるが、近く最終答申になる予定の中央教育審議会の「わが国の高等教育の将来像」などであり、これらの答申は、いずれも高等教育政策の流れの中で大きな節目を作っているといえる。

2.高等教育の制度設計
 ―構造の多元化への試み―
 戦後の高等教育政策の中で、今日まで一貫してその中心的な課題であり続けたのが、この制度設計のうち、特に高等教育全体の構造設計の問題である。新制大学発足後10年を経てその全般的な見直しを行った38答申では、新制大学の機能不全の原因は、「歴史と伝統を持つ各種の高等教育機関を急速かつ一律に、同じ目的・性格を付与された新制大学に切り替えたこと」にあり、これへの対策として高等教育機関の目的・性格に応じた種別化が必要だとし、5つの種別を提案した。この問題は新制大学制度のもっとも基本的な問題として、その後も審議会等における高等教育の全般的な見直しの都度さまざまな提言が行われてきたが、とくに中心的な課題であった「研究的な大学とその他の大学の区別」という問題についての見方の変化を辿ってみたい。
 38答申:この答申では、大学院大学、大学、短期大学、高等専門学校、芸術大学の5つの種別を提言しているが、このうち短期大学制度の恒久化と高等専門学校制度の創設とは、それぞれ個別の問題としてすでに進められてきたことであり、芸術大学は特定分野の問題である。したがって高等教育の構造の問題としての中心課題は大学院大学と大学との種別化であった。
 ところが、この種別化を具体的にどのような方策を講じて実現するかについて、私学についてはおよそ現実感を持った議論はされていなかったように思われるのである。
 国立については、大学院大学(総合大学を原則とし、すべての学部に博士課程をおく)と大学(高い専門職業教育、博士課程はおかない)という区別は全く新しい問題なのではなく、すでに実態としてある区別を制度化するという問題であり、私学の場合と問題の性格に大きな違いがあった。国立のいわゆる旧制大学は新制大学に移行後も講座制を温存し、いわゆる新設大学とは予算上の大きな差別があり、この差別は昭和31年の大学設置基準の制定によって、講座制・学科目制として法令上の根拠を得た。また当時国立の新設大学への博士課程の設置は認められていなかった。38答申の提案はこの実態を大学の種別として制度化しようとしたのである。一方、私学については講座制・学科目制という区別は明確にされていなかったし、新設大学への博士課程の設置もすでにある程度認められていた。
 つまり、「大学院大学と大学」という区別は実態として存在しなかった。「実態」という手がかりもなく、どのようにして私学に新たな種別化を実現しようと考えたのか、中教審の議論は主に国立が念頭にあったと思われ、私学に関しては対応の曖昧さと非現実性を感じざるを得ない。
 46答申:この答申では、高等教育の大衆化と学術研究の高度化の要請に応えるためには高等教育機関の目的・性格による役割分担が必要だとし、38答申の「大学院大学と大学」という種別化に代えて、大学、大学院(修士課程)、研究院(博士課程)という種別化を提言した。38答申が旧設・新設による実態的な区別を拠り所としたのに比べ、より理論的・合理的であり、それだけに実現性からはより遠ざかった感がある。
 しかし、この答申では種別化の提言と同時に、種別化実現への方策として、大学の自主的な改革努力による種別の明確化を可能にするような大学設置基準の弾力化と、改革努力への指針となるべき高等教育計画の策定を提言している。さらに高等教育政策への私学の参加を求めうるように、一定の国の政策への協力を条件とする一種の契約的な考え方による私学助成を提言している。政策目標とともに実現へのプロセスを私学への対応を含めてトータルにまとめた提言であり、理論的な完成度の高い答申であった。しかし結局は、種別化も新しい契約的な助成方式も現実的な政策課題としてフォローされることなく、その後は設置基準の弾力化と高等教育計画だけが具体化に向かうことになる。 (つづく)

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