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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.181
私学の政策的課題がテーマ―私学高等教育研究所の使命

帝京科学大学顧問 瀧澤 博三

 10月1日付で私学高等教育研究所の主幹に任ぜられました。初代の喜多村和之先生が卓越したご見識をもって立ち上げられた後を引き継いで、日本私立大学協会をはじめ関係の皆様のご期待に沿えるよう大変微力ですが努力させていただきたいと思っています。まだ全くの不勉強ですが、これからの運営を考えるに当たって前提となる本研究所の使命・目標ということをめぐって思いつくままを述べ、皆様のご助言、ご指導を頂きたいと思います。

《本研究所の使命について》
 今日の高等教育研究の現状を見ると、かつて大学自体における研究の低調さを批判されていた時代のあったことが嘘のように、ブームとも言える盛況である。多くの大学に研究センターの類が設置されたほか、国や民間の研究機関も増え、大学院での研究教育も盛んになりつつある。関係の学会も複数あり活発に活動している。そういう中で本研究所のあり方を考える場合、まず本研究所独自の使命を自覚し、個性・特色を明確にすることが大事な出発点になると思う。
 本研究所は日本私立大学協会が設置者であり、かつ独立の組織として協会に附置されている。このような位置づけからして、まず中心的な使命は、協会がその使命を果たすうえにおいて必要な調査・研究等を行うことであると考える。同時に、調査・研究等の内容、方法等については、協会との密接な連携・協力関係を前提としつつも、独立の研究組織として相応の自主性が認められているものと理解している。
 そのように考えた場合、本研究所の当面の研究テーマとしては、高等教育全体を視野に置きつつ私学高等教育に関する政策的課題を中心とすべきだと考える。政策的と言っても必ずしも明確な定義にならないが、ここでは、私学全体のあり方に関わるものとしての財政を含めた制度的な問題と考えたいと思う。現時点におけるその具体的な内容としては、@高等教育の将来像(多様化の構造と規模・配置、設置形態、私学と行政の関係等)、A質の保証(設置認可制度と評価システム)、Bファンディングシステム、C学校法人制度と経営のあり方、Dこれらに関連する諸外国の事情、政策の歴史、などがまず考えられよう。
 政策的課題を調査研究の中心にという趣旨は、これからは私学団体が、私学のあり方について責任を担う政策集団として国民の認知を得て、積極的に政策提言をしていくことが益々大事になってくるからである。また、このためには私学内部における高等教育研究をもっと盛んにすることが必要であり、各種の事業を通じてそのための促進的な貢献をすることも本研究所の大事な仕事であろう。

《私学高等教育政策の曖昧さ》
 私学高等教育政策とひとくちに言われるが、いったい日本に私学高等教育政策というものがあるのだろうかとかねがね感じている。戦前の高等教育政策は国立学校を中心として運営され、私学は国立学校の間隙を埋める形で補充的な役割を果すものとの理解が一般的であった。戦後は国公私ともに公教育を担うものとして同等に位置づけられたが、国の政策運営の実態はあまり変わらず、国立中心の考えが払拭されずに来たと言わざるを得ない。教員や医師など特定分野の人材養成、科学技術の振興、高等教育への機会均等など国の政策的関心事項はいずれも主として国立大学の整備を通じて進められてきた。こうした国立大学の実績を挙げて、それを国立大学の存在理由だとする論があるが、それは少し筋違いだと思う。これらの国立大学の実績は国立大学中心主義の政策運営の結果に過ぎないのであって、国立でなければ出来ないことではなかった筈である。
 戦後の諸改革にもかかわらず高等教育政策において国立中心主義が続いた理由は2つ挙げられると思う。1つには、文部省(文部科学省)は高等教育全般の監督庁であると同時に国立大学の設置者でもある。国立大学に関しては一般行政の監督庁であると同時に設置者でもあるところから、文部省のメンタリティーとしては一般行政と設置者行政とが混同されがちで、そのことが戦前からの国立中心主義の払拭を難しくしたと言えよう。もう1つの理由としては、戦後の私学行政の大きな柱である「私学の自主性」の理念が、行政の私学への関与に強い抑制的な働きをしてきたことがある。
 こうした理由から、私学は、国の行政からは一定の距離を置き、その結果として、政策よりは市場に、行政よりは政治に、よりかかわるようになったと言えると思う。このような状況は一面で私学に大きな機会を与えた。私学は高等教育への需要の拡大に対して自主的に積極的な対応をすることによって拡大・発展するとともに、政治の支援を得て私学助成の道筋を確立した。しかしその反面では政策的な検討の不十分さがいくつかの問題を潜在させてきており、今日教育の成熟時代に入ってそれらが表面化しつつある。市場任せの拡大がもたらした質の問題、量的な配置の問題、経営の問題等である。私学助成の後退と変質も、国の財政の問題ばかりでなく、政策的な検討が不十分で私学助成の理念的な基盤が脆弱なため、私学助成の必要性と意義についての国民的な理解が十分に固まっていないところに基本的な原因があるようにも思われる。

《誰が私学高等教育政策を担うか》
 個々の私学がそれぞれの創意により個性を生かしながら私学全体として発展できた時代は終わったように見える。いま私学の前にあるものは、志願者の長期的減少傾向と国公立大学の改革、設置者の多様化等による市場競争の激化の予想であり、学費問題をはじめ私学の経営に対する国民の目の厳しい変化である。こういう変化の激しい混沌とした時にあってもなお、国の政策は市場主義を優先し競争による大学の活性化に期待を続けているように見える。こうした現状から高等教育の将来への不透明感が増し、私学の現場には不安と焦燥が満ちている。自由と競争原理も大事であるが、本来高等教育の世界には長期的展望と安定が不可欠であり、そこに政策の役割がある筈である。
 いま中教審では「我が国の高等教育の将来像」のテーマの下に、グランドデザインの審議をしており、来年1月には最終的な取り纏めを予定していると聞くが、これが政策目標としての将来像とそれへ向けての明確な道筋を示し、私学高等教育政策の出動を促すことになるかどうか、なお懸念が消えない。今は「小さい政府」を目指して規制改革と地方分権を進めることが大義であり、これに抵触する論を立てれば直ちに抵抗勢力とされる。こうした空気の中で、あえて市場原理への信奉や短期的な効率の重視に異を唱え、ファンディングシステムの裏づけを伴った実効的な政策を打ち出すことを行政に期待することは難しいかもしれない。これからは、個々の私学を越えた問題は行政に頼るというばかりではなく、私学のコミュニティーの力で解決してゆく努力が不可欠になるだろう。これは「私学の自主性」の重要な一面である。私学の基本理念である「私学の自主性」には、個別の私学の自主性と私学の集団としての自主性とがあるが、これからは後者の意味がより重要性を増すものと思われる。
 日本私立大学協会では、自主的な第三者評価の実施体制を整えるために、多大の資源とエネルギーを注いで日本高等教育評価機構を立ち上げようとしている。これは私学の集団的自主性の大きな前進であり、協会が本研究所を設置したことも、この文脈に沿ったものと理解している。この協会の趣旨と付託に応えられるよう、各位のご協力を得て研究所の運営に真剣に取り組んでいきたい。

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