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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.125
高等教育サービスの貿易―教育界に求められる戦略的研究

国立教育政策研究所高等教育研究部総括研究官  塚原 修一

 高等教育サービスの貿易については、佐藤禎一氏の論考が『IDE』の昨年7月号にあり、本年1月15日付(2089号)の本欄には大森不二雄氏(文部科学省高等教育局視学官)が執筆された。大森氏は、この問題はすでにその是非を論ずる段階にはなく、教育の特性を勘案した望ましい方向に交渉が進むよう、世界の教育関係者の声を反映させることが重要であるとしているが、著者もこれに同意したい。そのためには教育界がこの問題を研究し、先見的・戦略的に取り組むことが求められよう。
 この問題が複雑である理由は、第一に、サービス貿易の協定(GATS)が発効して間がなく、内容の解釈が収束していないという法的技術的問題があること、第二に、資金配分、就学機会、認証などの教育政策課題に加えて、高等教育の役割と目的、その公的側面と私的側面の調整など広範囲な政治的倫理的課題を取り扱わなければならないことにある。この協定にかかわる世界貿易機関(WTO)が、紛争解決制度を通して国際ルールを適用させる手段を備えていることにも留意すべきであろう。
 海外文献を参照した限りでは、この問題をめぐる議論は両極化し、反対派は政府の役割、公益性、教育の質に対する懸念などを強調し、賛成派は貿易の拡大による教育の革新、就学機会の増加、経済的価値などの利益を主張する。見解の相違は各国間にあるばかりではなく、各国の内部にも存在している。
 日本は昨年、この問題について、自由化を促進し、交渉は教育の質の維持向上を主眼におくべきだとの基本的立場を表明した。これをふまえれば、理念的考察にとどまらず、事例研究や思考実験などによる実際的検討が必要である。以下、日本を対象とした検討結果の一部を紹介したい。

〈米国大学日本校〉
 教育サービスの貿易は、eラーニング、留学、教員の招聘、海外分校の設置という四形態に区分される。日本における第四形態の先行事例として、1990年頃を中心に30〜40校が進出した米国大学日本校がある。鳥井康照氏(早稲田大学)の調査によれば、日本校には自治体が誘致したものと民間と提携して進出したものがある。学校の段階は、大学院をもつものから英語準備課程を主とするものまで幅があり、当時の経緯は次のようであった。
 まず、自治体が誘致した日本校については、A関係する自治体のほとんどは、日本の大学の誘致をかねてから望んでいたが、その実現が困難とみて米国大学日本校を誘致した。B誘致にあたって、自治体側が多額の補助を提供した。
 また、日本校の多くに共通して、C英語準備課程をまず履修し、ついで本国と同等の内容を英語で履修する日本校のカリキュラムは、当時の日本の教育需要に適合していなかった可能性が高い。D入学者選抜では厳選せず、入学後の経過をみて成績不良者は退学させる米国方式が、いわば文化摩擦をひきおこして父母の反発を招いた。E米国大学日本校には、経営基盤が脆弱であったり、経営体制の不備なものが含まれていた。F結果として日本校のほとんどが撤退した。
 これらの原因のひとつとして、事前調査と相互理解が日米ともに不十分であり、提携機関の選択の誤りもみられた。米国大学日本校は当時の大学設置基準に適合せず、日本では大学と名乗ることができなかった。しかし、以上のことからみて、この事例に関する限り、大学の名で活動し得たとしても、日本市場で良好な成果を収められたかどうかは疑わしい。

〈輸入の候補〉
 一般に、輸入が活発に行われるのは国内の需要に対して供給が不足したときであるが、ユニバーサル・アクセス段階にあり、18歳人口が減少しつつある日本において、高等教育の供給が不足しているとは思えない。こうした飽和状態に近い市場への新規参入者には、価格競争よりも品質競争を行うことが期待される。また、日本では博士課程までの教育が日本語で行われていて、外国語による高等教育の需要は限られる。すなわち、日本の高等教育は日本語という言語的条件によって自然に保護されている。
 とはいえ、特定の領域については、輸入した教育が日本に受け入れられる可能性があると思われる。
 第一に、かつて日本の大学が「レジャー・ランド」と批判されたことがあった。これとの関連でいえば、充実した教育を提供する新規参入者は歓迎されるであろう。
 第二は、国内で十分には展開されていない新分野等の教育である。経営管理学や技術経営論、情報通信やバイオなどの戦略的科学技術領域がその例であろうが、日本の大学の対応が遅れている分野では新規参入者が歓迎されよう。
 第三は、いわゆるグローバル化に対応する教育である。優秀な高校生が、日本の大学を忌避して留学するというニュースがときおり報道される。そうした行動が大きな流れとならないよう、適切な質保証によって日本の大学の水準を他国に劣らないものとすることが強く求められる。
 なお、教育サービス貿易の新しい形態にeラーニングがある。吉田 文氏(本紙6月11日付・新刊紹介『アメリカ高等教育におけるeラーニング―日本への教訓』)によれば、米国では急伸しているが、設備投資や教材作成費用などがかさむという見解もあり、安価な教育手段と言えるのかどうか議論が分かれている。
 また、eラーニングの恩恵を最も受けるのは有職成人学生であるが、そうした教育需要は、現在の日本では外国ほどには顕在化していない。高校からただちに進学する学生にとっては、同級生などとの交際にも大きな価値があり、それが学習の継続を促す点でもキャンパス型大学が有利である。

〈輸出の候補〉
 日本の競争力が大きい教育分野のひとつは、やはりモノづくりの領域であろう。今日の事実上の国際言語が英語であるとすれば、このような内容を英語化した教育課程の輸出を検討するべきであり、それは日本の国際貢献の一形態としても意味があろう。

〈より広い可能性〉
 以上、日本を対象として高等教育サービスの輸出入を検討し、日本に輸入できそうな領域は限られていることを指摘した。しかし、教育サービスの輸入が歓迎される領域は、それ以外にも学校教育と生涯学習にまたがる部分に大きく広がっているように思われる。
 一般に、国家の国際競争力を規定する重要な要因のひとつは人材養成ないし技能形成である。従来、日本では企業と家計がこれに尽力し、企業は企業内教育に積極的な投資を行ってきた。家計は子弟に対する教育費の支出を惜しまず、学校教育と学習塾、大学教育と大学外の技能養成(英会話学校等)への二重投資もいとわなかった。ところが近年の不況で、どちらの部門もこれまでの教育投資を継続しがたくなっている。
 近年、日本企業は、企業内教育の内容を高度化して経営管理者層にまで対象を拡大するとともに、その見直しを進め、競争力の中核となる部分は企業内におくが、そのほかは外部化する傾向にある。そこには、大学院に相当する領域、専修学校などがより適している領域、職業指向の生涯学習にあたる領域などが混在していて、すべてが高等教育にあたるわけではない。
 これらの領域のなかには、米国などの大学(営利大学や企業大学を含む)が提供する職業教育の輸入を歓迎するものがあり得よう。国内の教育投資意欲が衰えて人材養成が滞り、技能形成の水準が低下すれば競争力を維持できるはずがないから、企業と家計にかわって公的な教育投資の拡大が競争力政策として浮上する可能性もある。教育サービスの貿易をめぐる交渉の動向に、教育界は今後とも注目するべきであろう。

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