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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.65
私学助成と構造改革―理念はどこへ消えた

帝京科学大学学長  瀧澤 博三

 大きな歴史の転換期には、それまでの優れた文化的価値までが、変革の大きな潮流に巻き込まれてあえなく捨てさられる憂き目にあうことが多い。明治の改革期でも戦後の改革期でもそうであった。こういう歴史の無駄は、変革を成し遂げるための必要な犠牲と考えるべきか、時流に乗り遅れまいとあせる日本人の犯しやすい過ちとみるべきか。
 バブル崩壊後の長期低迷から容易に脱出できない日本経済の再生のためには構造改革・規制改革が必要であることはよく分かる。しかし危惧せざるを得ないのは、経済再生のための改革の潮流が日本の社会全体を覆い尽くさんばかりで、経済以外の世界での個別の理念にもとづく主張は「改革に聖域なし」のせりふだけで一蹴されがちなことである。教育には教育の理念がある。大学には「大学の自治」が、私学には「私学の自主性」がある。これらは、国公私の大学がその社会的使命を全うする上で不可欠な理念として大事に守られてきたものであることは今更いうまでもないが、最近の構造改革の潮流の前では影が薄れ、主張することすらためらわれているように見えるのが気がかりである。「改革に聖域なし」を「問答無用」にしてはいけない。
 このところ大学政策策定のプロセスが大変に分かりにくい。分かりにくいというより、このプロセスについての原理原則がなくなったかのようである。大学審議会の1998年の答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」は、立派な内容を持った答申であったが、そのタイトルに対する期待に反して、21世紀の高等教育の全体像は見えなかった。その後突如として、トップ30、国立大学の再編・統合などの構造改革方針が文部科学省から出され、大学に衝撃を与えた。国立大学はにわかに統合の話で持ちきりであるが、国民の目には再編・統合の理念や目標が分かりにくいし、いかにも唐突に映る。この構造改革方針の考え方の基礎となるべき高等教育のグランド・デザインを示すべきだという声が大きくなってきたのも当然のことだろう。そして昨年末になって、教育振興基本計画の策定が中央教育審議会に諮問され、高等教育についても全体的な政策目標の検討が進められることになった。この間の手順のちぐはぐが気になるところだが、もっと気になるのは、このような手順に対して、国民への説明や、大学の自発性への配慮を求める異議申し立てが少なく、あってもごく散発的なことである。
 前記の答申をはじめ10年間にわたって活発に活動し、大学改革をリードしてきた大学審議会も行革の一環としてあっさりと廃止になってしまった。大学人からの胸を張った異議申し立てはなかったように思う。この審議会は、「大学の自治を尊重しつつ…高等教育のあり方を基本的に審議」するユニバーシティ・カウンシルとして創設するよう、臨時教育審議会が提言をしたものであって、その大学審議会が、大学の自治と大学政策策定の手順についての深い議論もなく、行革のかけ声の中であっさりと消滅してしまったことに、個別の理念を押しつぶしてゆく時流の怖さを覚える。
 大学の性格や社会的使命は、時代とともに変化するし、大学自治の形も変わらなければならない。しかし大学が「知の創造」を使命とし、それが社会の期待でもある限り、「大学の自治」は大学の基本的な精神として尊重されなければならないし、大学政策策定のプロセスにおいても慎重に配慮されるのが当然であろう。
 以上は前置きで、本題としたいのはもう一つの「私学の自主性」の方である。「私学の自主性」という理念は、行政からの私学の自律性を意味するものであり、私立大学についていえば大学の自治の理念とも重なるものである。補助金政策をはじめ私立大学政策の策定に当たっては、この理念をめぐって憲法解釈も含めた慎重な検討と判断が求められるのであり、戦後私立大学の許認可制度や補助金政策を巡っては多くの議論が積み重ねられてきた。その成果が現在の許認可制度と私学振興助成法による助成制度に結実しているのであって、この現行制度の基本を変更するためには、これまでの議論を振り返りつつ、国民に開かれた幅広い検討が行われるべきは当然であろう。ところが私学振興助成法の成立からかなりの年月を経た現在、毎年の予算への「理念より現実」の対応が繰り返された結果として、私学助成の考え方は基本的な議論を経ずしてなし崩し的に大きく変質しつつある。
 1つには、私大の設置抑制とワン・セットで表明された2分の1助成の政策目標が、国民に分かるような明確な政策論議を経ずして消滅しつつあることである。補助比率は漸減を続けて今や1割強にすぎないという状態になり、2分の1の目標などは昔話のようになったが、ここへ来て「機関補助から個人補助へ」という声さえ行革筋から出されているようである。
 もう1つは、経常費助成の中で、一般補助を減じ、特別補助の比率を高める方向が定着しているが、これも問題が大きい。私学振興助成法は、その目的として、教育条件の維持・向上、学生の経済的負担の軽減、大学経営の健全化の三つを挙げており、この幅広い目的からするなら、使途を特定しない一般補助が本筋であることは論をまたない。また、特別補助は、大学改革を促すという効果がある反面では、大学改革を画一メニュー化し、改革の自発性と個性を損なうというデメリットもある。それに、特別補助は「特定の分野、課程等にかかる教育の振興のために特に必要があると認めるとき」に一般補助に上乗せして補助することができるとされているものであり、付加的に認められているにすぎない。したがって、限度を示さずに、政府の特定の政策意図と結びついた特別補助を重視する方向を続けることは、この法律の趣旨からして疑問がある。
 以上の2点に加え、14年度予算原案には更に重大な問題が含まれている。特別補助の中に、政府による政策誘導的意図をより強く持った事項が新規に設けられ、かつ、この特別補助は日本私立学校振興・共済事業団を通ぜず、文部科学省の直接補助とされたことである。
 高等教育の中における私学の存在意義は、独自の教育理念に基づいた教育の「多様性」にあると理解している。だからこそ「私学の自主性」が、私学の基本理念として、戦後確立されてきた歴史がある。私学への補助金を、事業団を通ずる間接補助としたのも、私学への政府の直接的な介入を避けようとの意図から出たものであって、「私学の自主性」と深く関わる。私学助成に政府による政策誘導的意味を強め、政府の直接補助にするという方向は問題が大きい。
 いま、経済財政諮問会議などが、経済・財政構造改革の観点から教育問題、大学問題についても多くの重要な提言をしており、私学助成については、一般補助から競争的な特別補助へ、間接補助から直接補助へ、機関補助から個人補助へ、という方向が示唆されている.ここでは、競争原理、市場原理などを重視する経済界の見方が主流になり、教育界の考え、理念が十分議論され、汲み取られているようには思えない。これらの示唆された方向については、大学政策、私学政策の問題として改めて中央教育審議会等で取り上げられるのだろうか。もし、それがないならば、これらの示唆は今後の毎年の予算編成に事実上強い影響を与えつづけ、予算獲得の現実的な対応の積み重ねを経て、ある時、国民への明確な説明なしに私学政策の基本的な変更が理論を飛び越した不可避の現実となって現れるに違いない。私学としては、「現実」より「理念」に立ち返って、国民の前で正論を戦わせる覚悟が必要な時であるように思われる。

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