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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.59
私学から発言する時―沈黙と無関心の時代は終わった

私学高等教育研究所主幹  喜多村和之

 2001年は、ある意味で21世紀初頭にふさわしい年であったとの感慨を禁じえない。あたかも世界最強国アメリカを突如震撼させた、姿なき「同時多発的」テロのように、高等教育の世界でもこれまでの常識や慣行では予想もつかない事態が次々と起こり、まるでこれまで我々が依存してきた文明や経済や科学への「信頼」が一挙に倒壊されてしまったかのような混迷に直面したのである。しばしばテロ以来世界が変わったといわれるが、むしろ我々がその上に立っていた世界の地盤がすでに変わっていることを、テロが顕示させたのだとみるべきかも知れない。
 世界が変わった―少なくとも20世紀の常識でははかれない時代になったとすれば、その世界の価値観や制度や精神という地盤の上に成り立っている大学・高等教育制度もまた、動揺せざるを得ない。そして世界もまたどこへ行くのか混迷しているなかで、大学もまた自分を見出せなくなっているのではないか。本来ならば、こういう時代だからこそ、大学はこれからの行く手を指し示すことが求められている。しかし大学史の示すところでは、大学は未来の方向を示す灯台であるよりは、過去を照らす灯火であることが多かったといわれる。
 この1年間だけに高等教育界に起こった目にみえる変化だけでも、国立大学の「法人化」、「大幅な削減や再編・統合」、第三者評価機関の設置と評価の実施、「トップ30」政策の登場、特殊法人改革、とりわけ日本私立学校振興・共済事業団の見直しや日本育英会の廃止問題、規制改革問題、情報公開問題等々、まことにめまぐるしく新しい変化が、次から次へと起こってきている。
 しかもこうした現象は、一見脈絡もなく、まさに同時的に多発し、しかもこれまでとは比較にならない速度で変貌していくため、筋道立てて理解することがきわめて困難で、その背景や意味をとらえるためには、持続的な追跡と吟味が不可欠となる。そうした混迷のなかで、大学もまた、あたかも灯台の光を見失い、進路もわからずに荒海に翻弄される船に似て、みずからも混乱のさなかにあるかのようである。
 とりわけ今年は国立大学が焦点になり、そのため国立大学関係者をはじめ、政府、政党、産業界からも国立大学のあり方に対して、活発な論争や議論が行われてきた。それに比べると、私学関係者からはあまり意見の表明が盛んでないとの印象を否めない。国立大学法人の問題にしても、再編・統合にしても、第三者評価の問題にしても、第一義的には国立大学の問題であって、私学に直接関係がないとの認識が支配的であったためであろう。文部科学省における国立大学の法人化の制度設計の問題にしても、私学関係者が検討会議に参加してはいても、国立大学が主体のペースで検討され、発言もしにくいとの私学関係委員の感想もきいた。国立大学の内部だけでおさまるような問題ならば、あえて私学関係者が発言するまでもないことが多いであろう。しかし国立大学における変化が私学や高等教育全体に波及するようなものである場合は、これについて私学の側からの意見を表明することは当然であろう。
 たとえば今大きな話題となっている「トップ30」問題は、文科省がここに「国公私」もその対象に含めたことによって、私立も公立も国立の資源配分と威信競争に巻き込まれることとなろう。大学院博士課程や教育研究分野の組織を対象として、トップ30を選んで競争的資金を配分するという方法で大学に刺激を与えるという政策は、政府の意図はどうあれ、資金と威信をめぐる激しい争奪戦を巻き起こさずにはいない。現に国公私大のなかではトップ30に入るための作戦会議や作業が連日行われていると聞く。受験産業のなかでもすでに予想順位まで発表されている。日本の大学に競争への刺激を与えるという政府の意図どおりかもしれないが、これが教育・研究の質を高めるための競争ではなく、いかにしたら研究資金を有利に獲得できるかの戦術やランキング上昇のための戦略や方法の巧拙の競争になったりしたのでは、本末転倒であろう。評価は教育・研究の質の向上・改善の手段にすぎないのに、評価の作業の負担に追われて評価が目的化して、日常の教育・研究がおろそかになるのでは、何のための競争なのか分からない。
 もし「トップ30」がこのような競争に全国の国公私の高等教育機関を巻き込むようなものであるなら、そんな資金は申請しないし、こんなものには協調しないという大学が出てきてもよさそうに思える。にもかかわらず、こうした大学が国公立からも私学からも出てきたという話をあまり聞かないのは不思議である。やはり研究費をもらうためには背に腹はかえられないということだろうか。
 私学にとってきわめて重大な変化は、小泉内閣の目玉となる特殊法人改革の一環としての私学助成事業等を担当する日本私立学校振興・共済事業団の見直しと、日本の青少年の奨学金や財政援助の大半を担っている日本育英会の廃止問題である。結論はまだ出ていないが、場合によっては、これまで私学が主導して営々として積み上げてきた日本の私学に対する間接助成方式は、政府直轄の直接交付方式へと根底からの変更を被ることになり得る。これは大学が政府の管理下に入るという意味でも、大学自治と私学の自由、さらには不況化の学生の援助の促進という観点からも、きわめて重大な変革である。こんな大変なことが行われようとしているのに、私学関係者はなぜ黙っているのかとは、或るジャーナリストからの詰問である。
 かつて本欄でも指摘したように(本紙8月8日、22日、9月5日付)、この助成方式の変革は、助成額の額の大小よりはるかに長期的で本質的な問題なのである。私学関係者、とりわけ私大を代表する機関は、ただちに意思の調整をはかり、私学の立場と信念を堂々と発言すべきではないか。
 今年は大学激動の時代が始まった年であったにもかかわらず、私学からの発言が少なかったように思われてならない。しかし、もはや沈黙と無関心では私学も生きていけない時代が来ているのである。

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