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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.46
トップ30選別の意味―「遠山プラン」と私大政策

私学高等教育研究所主幹  喜多村和之

 国立大学の再編・統合、大幅な削減、民間的経営手法の導入、第三者評価による競争原理の導入等をテコとして、「国公立を問わずトップ30の大学を世界最高水準に引き上げる重点投資」(文部科学省『大学(国立大学)の構造改革の方針』)を行うという、いわゆる「遠山プラン」が6月に発表されて以来、大学間にさまざまな波紋を呼んでいる。トップ30に入れるのか、それとも切り捨てられるのか、期待とあきらめと疑心暗鬼が入り交じった思惑が、国公私立大学関係者を支配している。
 強硬な反対論もあれば、よくここまで踏み切ったと文科省を肯定する論もあれば、国立大学の庇護者であるべき政府が大学を威嚇するなとの主張までさまざまである。しかしこれは99校の国立大学を画一的な基準で資金を賄い、全体を管理すると同時に庇護していくという、従来の政府による護送船団方式は、行政的にも財政的にも、さらには政治的にも、もはや維持できなくなったことの意思表明なのではないか。このような唐突ともみえる政策変更は、文科省を取り巻く外圧、つまり国立大学の民営化論や文科省自身の在り方の見直しにすら発展しかねないという危機感に基づくものと想像される。
 とりわけ今回のように文科省みずからが政策を公表するということは、文科省がその実行と成否の責任を負うということである。事実、その後の報道によれば、文科省は早くも来年度から「トップ30」に資金を重点配分するための特別予算枠を設けるという。そして全国約650校の国公私立大学から30校を選別するため、公私立大学向けには「専門家委員会」を新設し、既存の国立大学対象の大学評価・学位授与機構と「2本立て」で全大学の評価を行っていくことになるという(日本経済新聞、2001年8月18日付)。
 詳細はまだ明らかではないが、もしこの報道が正確であり、文科省の方針が実施に移されることになれば、この「遠山プラン」は国公私立大学を巻き込んだ大学選別評価と資源獲得競争の時代の公的な幕開けとなるだろう。
 大学や高等教育機関の淘汰・縮小・再編・統合・合併といった変化は、戦後の学制改革期に新制大学制度の成立時に日本は経験している。この時期は旧制の専門学校、高等学校、師範学校等々の統合再編が、今日の規模とははるかに大規模かつ徹底的に強行された。戦後50年余の歴史を経て、いまやその新制大学の編成原理そのものが問われている時期に達しているともみられるのではないか。諸外国をみても、1980年代から90年代にかけて、アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア、中国等々において、国公立高等教育機関の大幅な再編統合が行われている。
 重点的に国際級の大学を形成していくという政策も真新しいものではなく、多くの政府がしばしば採用してきた常套手段である。中国や韓国の重点大学政策はつとに著名であるし、一部の研究および大学院を重視する研究大学(リサーチ・ユニバーシティ)を重点的に強化し、他機関には研究大学への昇格を認めないカリフォルニア州のマスタープランも、重点大学政策の一例といえるだろう。その理由は世界的に競争力をもつ研究大学をつくっていくことはコストがかかるのみならず、一般の大学に無原則的に研究大学への昇格を認めていくことは資源の拡散を招き、既存の研究大学自身の水準の低下を招く、と考えられているからである。したがって有限な資源を有効利用するためには、全体にひろく浅く配分するよりは、一部の強力大学にしぼって重点投資する方が、政府にとって合理的かつ効率的だからにほかならない。そこで諸外国では、いかにして数ある大学のなかから強力な研究大学の質を評価し、他者に納得いくように選別し、資源を効率的に配分するかという評価システムの研究・開発が進められてきた。
 文科省がどのような理由から「遠山プラン」を策定するに至ったのかは不明な点が少なくないが、いずれの国の政府も高等教育と科学技術は21世紀を生き残る最重要拠点と考えていることは共通している。そしてすべての大学を国際級の研究大学にしていくことは不可能だから、その数の妥当性は別として「トップ30校の重点大学」という限定が出てくるのは、限りある資源の制約のもとでの資源の有効活用という政府の論理からすれば当然出てくる帰結である。したがって政府にとって次に緊急に必要とされるのは、重点大学の選別を合理的かつ他者に説得できるような形で行えるような評価の内容・方法の研究・開発である。国立大学に関してはさし当たって第三者評価機関として新設した大学評価・学位授与機構がその役割を求められることになるが(但し同機構の評価事業が、教育外の世界からの厳しい評価の要求に十分応えられるか否かは不透明である)、問題はまだ評価システムの確立されていない公私立大学の評価をどうするかということである。報道では公私立大学には同機構とは別に評価機関を新設する意向のようである。もしそうなるとすれば、まさに私学も国の評価の傘下に位置付けられることになる。
 日本の私大にとって、トップ30校の重点大学はどういう意味を持つのだろうか。文科省によれば設置者の違いによって区別せず、領域ごとに日本の大学の質の評価によって決められることになるという。大学の質といっても、それはまず研究の質によって決められるだろう。というのは文科省にとってさし当たって緊要な課題は、国際競争に対抗しえるような研究・開発の質を維持・向上させること、つまり研究と大学院を重視する研究大学に関心が向けられ、教育面には十分な配慮が向けられていないようだからである。
 したがって多くの私大にとって、とりわけ学部課程の教育の充実に迫られている多数の私大は、少なくとも現行の「遠山プラン」の直接的な対象とならないかもしれない。しかし大学院や研究の重視は、その基盤となる学部課程の教育の質の充実と、なかんずく学生数や機関数の大半を占めて日本の高等教育の裾野を形成している私大の充実なくしては達成できない。私大関係者は、こうした教育重視の視点から、はたして「遠山プラン」は、21世紀の日本の高等教育と研究を真に活性化することになるのか、またそのなかで文科省はどのような私大政策を考えているのかを問いかけていくべきではないか。

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