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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.4
私立大学の立場からみた国立大学の独法化問題

研究員 濱名 篤

 いわゆる“独立行政法人化”問題を、国立大学だけの問題だけでなく高等教育全体の問題としてとらえ、特に私立大学の視点を交えて考えると、大きく分けて3つの観点から違和感を感じざるを得ない。
 第1に、高等教育に対する“公的資源貧困”問題と“独立行政法人化”議論との混同の危険性である。
 我が国における高等教育に対する公的投資の貧困さは、国立・私立共通の根本問題であり、市場原理の適用が資源の貧困さをカバーするかの風潮(多少の活性化効果は期待できるとしても)には疑問を感じざるを得ない。民間からの寄付金促進も含め、国立・私立の利害は原則的には対立しないともいえる。
 従って、この“独立行政法人”の議論によって主要先進国の中で最低水準の高等教育投資の問題性が、“効率化”や“市場原理”の主張によって隠蔽されるのが最悪の事態である。
 第2に、資金管理と定員管理の観点からみた国立―私立格差を無視した“市場原理”の競争相手として比較されることの妥当性についての疑問である。
 国が設置者として設置者行政によるコントロールを行おうとする国立大学に対し、私立大学も政府によるコントロールを大きく2つの側面で受けている。ひとつは『資金管理』である。私学助成の補助金によるコントロールであり、より多くの補助金を受給しようとすれば文部省の方針に即した運営が不可避となる。もうひとつは『定員管理』である。定員についての許認可(主に大学・学部・学科等の新増設)に関わるコントロールである。従って、私立大学は『資金管理』と『定員管理』によって文部省のコントロールを受けている。
 国立大学が仮に独立行政法人になったとしても、“市場原理”によって私立大学と公正な競争が成立するかのような錯覚があるのではないだろうか。
 しかし現実には、『資金管理』における「学納金格差(採算主義と非採算主義)」や『定員管理』に関する「計画性と自立型財務体質の有無」において国立―私立の懸隔は大きく、到底公正な競争が成立する構造にはない。
 国立と私立の学納金の格差は、保護者・学生の費用負担の公平性から考えても問題である。さらに私学の立場からすれば、“市場原理”が“教育の質”に基づいて公正に機能するとは無条件には考えられないであろう。現状では、国立―私立の専任教員1人当たりの学生数や授業規模(1クラスの受講者数)も全く異なり国立の方が条件が良好であるが、学納金では逆に国立の方が低廉である。国立大学関係者の一部には「国立の方が『優れた教育』『優れた研究』を提供できる」とある意味で傲慢な主張もみられる。私学と同じ教育・研究条件ならばそう言われても仕方がないが、国立では必ずしも要求されない(文部省が予算を認めるか否かより重要)という違いは決定的である。こうした教育・研究環境条件の違いをコントロールしてなお“優れた”などと言えるのかということに疑問が残る。   計画性と自立型財務体質の有無についての違いはより大きな違和感の源泉となる。私立大学では、学部増以上の新増設を行うために「標準設置経費」に基づく「設置経費」を申請前に無借金で準備することが必要条件となる。収益事業収入や寄付金収入を除けば、既設大学・学部の学納金収入の15%を上限に設置経費の積み立てをしなければ(学科改組などを除き)リストラクチャリングさえできない。従って、校地・校舎の再取得準備や新増設のための基本金積立を計画的に行わざるを得ない。国立という設置形態ではもとより、“独立行政法人”になったとしても、こうした計画性や自立型財務体質は要求されないようである。しかし、こうした差異が解消されない限り、私学との公正な競争とはなり得ない。“減価償却”や“施設設備の再取得”という観点のない国公立大学や公設民営大学が、私立大学と同次元で「公正な競争をしている」と思うとすれば“錯覚”であろう。
 私立大学自体の“減価償却”だけでは“再取得”は不可能であり、2号基本金組入れによる補完が不可欠(これが定員制により今まで通りに行うことが困難になっていく)であるが、“予算がつけば”あるいは“設置者である国の政策に適合すれば”「解決できる」と信じている“独立行政法人”では、“公正な競争相手”になるわけではなく、むしろ“公的資源配分”や“民間資源による研究・教育資金”の獲得上、私学の強力な“利害対立者”となる可能性が大である。
 第3に、この一連の議論が教育問題というよりも、当事者の関心が“既得権保持”をめぐるものに集中しがちであることである。
 人事(学長の学内選抜を含む)や予算(支出使途の自由度:「渡しきり交付金」型)を国立大学内の自己責任で決定したいというオートノミーについての主張は十分理解できる。しかし、財政的自立を別問題にしての自律性とは可能なのか。収支均衡を不問にするならば、国立大学を学術研究中心の大学院大学化すれば良いという方向性も出てこようが、現実には国立大学の統合・合併の計画話は出てくるが、定員削減を伴うであろう大学院大学化の主張はほとんどみられない。
 結局、一連の動きは政府、政党、国立大学の既得権・ヘゲモニーの保持・剥奪をめぐる政治問題・労働問題になっているのかもしれない。
 最後に、“国立大学の独立行政法人化問題”を端緒として、ユニバーサル段階における私立大学の設置形態について再考すべき問題点が明らかになってきた。項目を挙げると、@高等教育への公的投資の配分の見直し(大学改革のインセンティブとしての配分、定量的尺度一辺倒から定性的尺度導入の必要性)、A民間(企業・個人)からの資金提供を容易にする制度的工夫の必要性、B資金管理と定員管理が連動した「設置経費」制度の再検討、C重い経営責任にふさわしい経営者の選任・処遇の再検討、D公的資源の配分を左右する第三者評価の在り方である。こうした問題点の解決が今後の私学にとってより重要になってこよう。

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