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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.2
病院評価と大学評価 ―本格的な評価の時代の幕開け―

主幹 喜多村和之

 教育と医療は互いに似た機能をもつ。医療は患者の病気を癒し、健康を取り戻すことを、教育はひとの学習を助け、獲得した知識や技術を活用することを目的とするサービスを提供する。
 ところで、医療と教育の共通点のひとつは、サービスの供給側が需要側よりもはるかに多くの情報をもっているということである。いいかえれば患者は病院や医師の医療サービスの内容や質について、十分な情報を持ち合わせないことが普通だし、学生も入学以前に学校の内容や教師の質について、よくわかった上で入学しているとは限らない(こうした状況を「情報の非対称性」という)。そこで患者や学生は病院や学校選びに評判とかブランドだとかランキングといったものに頼ることになりがちだ。しかしそうした漠然とした尺度だけで、自分の一生や生命にかかわる選択を全面的に預けてしまうことは危険かつ不利益を被る恐れがあろう。
 というのは、病院も学校も、一定期間通院なり通学なりしてみないと、サービスの内容はわからず、仮にわかったときにはもう取り返しがつかなくなっているという厄介な性格をもっている。最近よく起こる医療過誤で命を落としてからでは間に合わないし、卒業しても就職口がないような大学だったからといって怒っても、4年間もの貴重な時間はもはや戻ってはこない。アメリカには入学時に契約した教育責任を果たさなかったことが証明された場合には、徴収した学費を払い戻したり、無料で教育をやり直す大学があるそうだ。日本のようにいったん入学した学校からヨコに転校しにくい社会では、病院を転院する場合も同じだが、最初の選択がきわめて重要になってくる。
 最近、医療ミスや病院の質の管理の杜撰さが、しばしば問題にされている。ただ有名病院だから、名医がいるからといった尺度だけでは、本当に信頼できる病院かどうかわからない。そこで厚生省では頻発する医療事故防止のため、事故事例の情報収集や分析にあたる第三者機関をつくって、医療機関からの報告を求め、事故対策に乗り出そうとしているという(『日本経済新聞』2000年4月26日付)。アメリカでは、こうした病院の質を評価するという慣行や制度は既に50年余の歴史をもち、医療機能の改善やミスの防止に大いに役立っているという。

医療分野の第三者評価

 元オクラホマ大学教授の中野次郎氏によれば、米国のすべての総合病院は、民間財団の米国医療機関認定合同委員会から3年ごとに全機能の厳格な審査を受け、欠陥を是正しないと認定されず、経営破綻に陥るという。さらに連邦医療財政庁は毎年州衛生局に委託して抜き打ち的にすべての総合病院を検閲する権限が与えられており、この2つの医療評価機構から認定されなかった病院は、政府および民間の保険機構からの支払いを停止されるそうである。しかもこうした評価や報告は情報公開され、病院や医師のデータはインターネットでアクセスできるので、患者の病院選定に大きく貢献しているということである(『朝日新聞』2000年7月12日付)。
 日本でもこれにならって日本医療機能評価機構という第三者評価機関が、厚生省や日本医師会が出資して、すでに約15年も前から企画され、1995年に設立された。ところが、すでに5年を経たが、全国9,400余の病院のうちで、認定作業を終えたのは4%弱の349病院にとどまり、評価を受けようとする病院も思うようには増えないという。しかも認定の報告を受け取っている病院ですらその「病院通信簿」を公表しているところは少なく、7割が非公開だと報道されている(『朝日新聞』2000年7月26日付)。認定を受けようとする「奇特」な病院でも評価結果の公開には消極的だとすれば、患者の病院選びのための情報公開はまだ道遠しの感は否めない。

教育分野の第三者評価

 教育の場合はどうだろう。アメリカでは、医療と同じように、とくに生徒、学生、保護者に対して学校や大学の質を保証するために、教育機関、とくに高校と大学は自分たちで基準協会をつくり、セルフスタディと呼ぶ自己点検と外部者だけで構成する外部評価との組み合わせ方式で一定の質を保証しようとしてきた。これはアクレディテーションと呼ばれ、この認定を得られなかった学校は公的資金援助や社会的信用を失って、経営破綻に陥ることは病院の場合と同じである。
 日本では当初このアクレディテイション方式を取り入れて、大学の自律的な「自己点検・評価」による自己改革と質の保証への努力に期待されたのだが、今日ではこうした大学の自己努力路線に対する不信が高まり、客観的な評価基準による第三者評価と、資源配分の合理化を意図する「大学評価・学位授与機構」設置に至ったことは前号で指摘したところである。
 ところで、医療機能評価機構がせっかく5年前につくられたのに、認定を受けようとする病院もなかなか増えず、医療過誤や事故はいっこうに後を絶たない。それは認定を受けるのは希望制で、認定されてもされなくても病院の収益に関係ないので、ほとんどの病院が評価を受けないからだという。前出の中野次郎氏は、日本の審査評価査定があまりにも甘く、医師・看護婦の質の評価制度を強化し、認定病院と医師のデータベースを早急に作成公表しなければ、医療ミスは頻発し患者が安心して病院選びすることはできないと訴えている。
 大学評価の第三者機関は、医療機能評価機構のように財団法人ではなく国の機関であり、認定を受けるのも希望制ではなく、少なくとも現在は99校の全国立大学は「強制的に」評価の対象にされているから、大学側の都合で受けないというわけにはいかないことになっているようだ。したがって医療の場合のように、「奇特」な病院だけしか参加しないという生やさしいものではなさそうである。
 筆者の知る限りでは、国立大学側からはこの第三者評価に対する強力な反対運動はおきていないようだから、近く全国一律的に「透明性」のある「多元的」評価の基準や方法が打ち出され(既にその骨子は公表されている)、これによって全国99校の全国立大学の教育研究や社会的サービス等が客観的に評価の対象にされることになる。そしてその評価結果ないし評価情報は国民に「公開」されることになり、その評価の実績に基づいて予算額も決まることになると思われる。法律は大学すべてに適用されることになっているから公立大学も私立大学も「設置者の判断によって」当然評価の対象となり得ることも、すでに前号で指摘したとおりである。
 政府の意図は公・私立大学にも当然第三者評価に参加させることであろう。国立大学の独立行政法人化のための制度設計に公私立大学関係者の参加を求めているように、第三者評価機関の運営にも公私立大学関係者の参加を求めてくる公算が高い。いよいよ全高等教育機関の質を国が基準を示し、国が評定しその「質」を公開する、本格的な大学評価の時代の幕開けである。

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