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平成25年8月 第2534号(8月28日)

 グローバル人材育成論
   言葉は世界をつなぐ平和の礎

神田外語大学学長  酒井邦弥

 「グローバリゼーション」は、ベルリンの壁の崩壊とソ連邦の解体を端緒とし、輸送や通信情報技術の爆発的発展によって、急速に進展した。それまでの世界は、イデオロギーの違いによる東西冷戦構造と、先進国と発展途上国の間の南北問題を抱えていた。いわば、地球は東西南北に分割・統治されていたが、そのバリアーが一挙に取り外され、「70億人」が地球という一つの舞台のプレーヤーになったのである。
 歴史的に見れば、言葉としての「グローバリゼーション」は、15世紀以降の大航海時代や18世紀の産業革命による、ヨーロッパ諸国の世界制覇を起源とするが、それをはるかに上回る規模とスピードで「地球規模化」が進んでいる。
 「グローバリゼーション」そのものに批判的な議論もあるが、私は、「多言語・多文化・多民族・多国家」が尊重される限り、政治・経済両面における国際協調を推進する上からも、前向きに受けとめている。例えば、現在技術的課題を抱えてはいるものの「ボーイング787」は、日本企業の先端技術の粋を集めて創りあげた、画期的な新世代機であり“madein USA ”ではなく“made with Japan”と呼ばれている。世界はもはや、お互いがお互いを真に必要とし、一国では何事も完結しない段階に到っているのである。
 この様な状況を背景として、グローバル人材をめぐる議論が活発である。2011年6月には、「グローバル人材育成推進会議中間まとめ」が取り纏められた。これを踏まえ2012年文部科学省は、国公立大学を対象に、グローバルな舞台に積極的に挑戦し活躍できる「人財」の育成を図るため、大学教育のグローバル化を推進する取組を行う事業に対して、重点的な財政支援を行うべく公募を行った。
 本学は、1987年の開学以来、外国語大学として「言葉は世界をつなぐ平和の礎」を理念とし、「一人ひとりが言葉を通じたコミュニケーションにより、お互いを認めあい尊重しあう、あたたかな世界をめざす」ことをビジョンとしている。また、英語を専攻する学科以外にも、英語を悉皆ベースで習熟させ、専攻地域言語として、今や、グローバル世界の主役となったアジア(中国・韓国・インドネシア・ベトナム・タイ)やイベロアメリカ(スペイン・ブラジル・ポルトガル)の「言葉と文化」を学ばせるとともに、ビジネスやICTの教育にも力をいれている。
 「グローバル人材育成推進事業」の応募にあたって、本学は、これまでの取組に加え、「授業のさらなる少人数化」「英語で日本を学ぶプログラム」「アジア圏での英語留学」等八つのプロジェクトを構想・計画し、採択された。現在、私自身がグローバル推進室長となり、全学あげて、緊張感をもって、構想内容の実現に向けて努力しているところである。
 ところで、グローバル人材としての日本人の英語能力については、相変わらず厳しい認識や論調が続いている。先程の「グローバル人材育成推進会議中間まとめ」の中にも、現状認識として、「TOEFLの成績の国別ランキング(2010年)」を掲載している。日本は〈全体順位〉163か国中135位、〈アジア内順位〉30か国中27位と低迷していることを示している。
 こうした事態に対処するために、我が国は、官民あげて、英語力の強化というシングルイッシューに向けて、勇往邁進している様に思えるが、グローバル人材にとって、最も大切な要件が英語力であることは、疑いのないところであり、一概に否定されるべきではない。北極に住む人たちから、サブサハラで生活する人たちまで、地球上の「70億人」のコミュニケーションを成立させるためには、世界共通語が必要となるからである。
 世界の共通語と言えば、1987年にポーランドのザメンホフが公表した人工の国際語である「エスペラント語」を思い出す。これは、異なる言語や文化を持つ人々が、“互いに対等な立場で”共通の言語を使うことにより、国際平和に寄与しようという考えから創られたものだ。高邁な理想にも拘わらず、残念ながら現在ほとんど通用していない。しかしながら、「エスペラント語」の試みは、「世界共通語としての英語」のあり方に重大な示唆を与えている。即ち、「世界共通語としての英語」を学ぶ際には、背景となる英米文化を、あまり意識する必要がないということである。逆に、意識しすぎると、世界中が英米文化優先となり、「グローバリゼーション」が単なる「アメリカニゼーション」となりかねないからだ。従って、英語教育は、無機質な「世界共通語としての英語」と、背景となる文化や歴史を同時に学ぶ「地域言語としての英語」を概念的に分ける必要があるのではないか。こうすることによって、英語教育から英米文化教育の重荷を解放して、「通用する英語」の強化に専念できると思う。
 このように考えて来ると、「世界共通語としての英語」だけを学ぶ人は、実は、グローバル人材のもう一つの要件である異文化理解が進まないことになる。この場合には、英語以外の地域言語を学ぶ必要があると思う。真のグローバル人材にとって、外国の「言葉と文化」による異文化理解は、異質を愛し、他者を理解する出発点でもあるからだ。
 さらに、日本語運用能力にも言及したい。日本の「言葉と文化」は、日本人として祖先から連綿と相続してきたもので、子孫にも代々引き継ぐべきものである。また、外国語の運用能力は、母語能力の範囲内とも言われる。従って、グローバルなコミュニケーション能力向上を図る上でも、社会生活、職業生活、精神生活の中で、母語をきちんと使用するための訓練は、初等・中等・高等教育の基底そのものであると思う。地球上の「70億人」も、自らの「言葉と文化」に誇りとこだわりをもって、グローバル世界に参加していることを忘れてはならない。
 最後に「グローバリゼーション」とは、あくまで「多言語・多文化・多民族・多国家」の尊重が前提であり、グローバル人材とは、この点を踏まえた「善き地球市民」に他ならないということを、再度強調しておきたい。

さかい・くにや
1968年東京外語大卒、同年カ桝謌鼡竝s入行後、1999年第一勧銀専務取締役。2000年カ魔ンずほホールデイングス取締役副社長。国大法人東京外語大理事を経て2010年神田外語大学長に就任。



 

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