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教育学術オンライン

平成25年1月 第2508号(1月1日)

人材開発に傾注するサウジアラビア


サウジアラビア王国大使館 文化部 文化アタッシェ
イマーム・ムハンマド・ビン・サウード・イスラーム大学教授
Dr. Eng. イサム・ブカーリ氏

 近年、アラブ諸国から日本に留学する学生が増えている。日本学生支援機構の調査によると、2011年5月1日現在のサウジアラビア王国からの留学生は336人(短期留学を除く)に上り、06年の23人から15倍となった。背景には、05年に同国において創設・開始された「アブドッラー国王奨学金制度」がある。アラブ諸国の高等教育やサウジアラビア王国の同制度をはじめとする人材育成などについて、同国大使館文化部文化アタッシェのDr.Eng.イサム・ブカーリ氏に寄稿していただいた。

学術分野で世界を牽引した
中世のアラブ・イスラーム文明

 中世のアラブ・イスラーム文明は学術分野で様々な発明・発見をもたらした。アルゴリズム、代数、アラビア数字はじめ、天文学、建築工学、医学などに見るそれらの成果は現代の我々に寄与し続けている。
こうした所産に加え、アラブ文明は世界各地の学問も取り入れ、アラビア語に次々と翻訳し、ギリシャ・ローマ、インド、ペルシャなどの知識をアラブの学者たちに紹介した。アラブの為政者「カリフ」は学者たちを敬い、彼らに高い社会的地位と国庫からの潤沢な資金援助を与えた。各地の学術拠点には民族、宗教や宗派を問わず多くの学者や専門家が集まり、アラブ・ムスリムの同僚たちと肩を並べて研究にいそしんだ。アラブ・イスラームの理念の下、思考、創作、発明、製作、そして自分の考えを表現することにおいて彼らには完全なる自由が保証されていたのである。
 イラクの首都バグダッドに九世紀前半、最大の図書館兼学術研究センター「知恵の館」が創設されると、当時のカリフ、ハールーン・アッラシードは、キリスト教徒のヨーハンナー・ビン・マーサワイヒを古典医学書翻訳の終生監督官に任命。その没後は、彼の弟子でやはりキリスト教徒のハニーン・ビン・イスハークを後継者にした。ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒の学者たちもムスリム学者たちと円満に働いていた。
 女性たちの存在も記録されている。多くのムスリム女性が学者として功績を残しており、その筆頭が預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の妻アーイシャ夫人である。聖地メディナで彼女は、アラブ詩とイスラーム神学、そして医術に通暁する第一人者であった。また、シリアの首都ダマスカスのマルヤム・アストロラービーは、西暦10世紀に「アストロラーベ」(写真左)を発明したことで知られる。ムスリム学者の発明品の中でも、最も優れた物のひとつとされる天体観測器である。
 その他にも多くの著名なムスリム学者たちの名が歴史を彩っている。
 医学ではイブン・シーナーとアッラーズィー、数学ではフワーリズミーとジャービル・イブン・ハイヤーン、地理学ではイドリーシー、そして人体の血液循環を初めて指摘したイブン・ナフィース、近代光学の父とされるイブン・ハイサムなどである。
 このような学術環境のアラブ世界において人類最古の大学が創設されたのも不思議なことではない。モロッコのカラウィーン大学は八五九年にムスリム女性学者のファーティマ・ファフリーにより創設された。エジプトの首都カイロのアズハル大学は970年に、バグダッドのムスタンシリーヤ学園は1227年に創設された。
 アラブ・イスラーム文明により導入された実験と解析の原則により学問の世界は飛躍的に先進した。当時の欧州の学生たちはアラブの諸大学から知識を学んでおり、それが後の欧州ルネッサンス(文芸復興)に繋がったのだ。

教育の普及と高等教育

 このような輝かしい過去にも関わらず、その後のアラブ・イスラーム世界は弱体化していった。さらに様々な要因も加わり、植民地主義が横行した時代に多くのアラブ諸国が占領下の不安定な状況に置かれた。現在は、東はアラブ湾岸から西の大西洋にかけて20以上の国家で構成されている。この地域に今も続く厳しい情勢は、かえってその改善を急速に促進したのである。
 まず、教育の普及と学習者人口の増加が進み、文盲率は過去数十年で顕著に低下した。1970年に全体で70%を超えていた文盲率は2005年に35%まで下がっている。ただしこれを文盲人口で見ると、1970年の5000万人から2005年の7000万人に増えており、文盲をなくす取り組みについては、未だ世界平均(1970年37%から2000年20%に減少)には追いついていない。
 次に学生数を見ると、アラブ圏で高等教育を受ける学生は、1999年の296万7000人から2009年の760万7000人と、2.5倍に増えた。この数字には同時期のアラブ圏における人口増加も反映されているが、総人口が2億2930万人から3億1980万人と推移し、その増加幅は1.4倍であることから、中等教育修了後に高等教育機関で学業を継続する人が増えていることがわかる。また、人口10万人あたりの学生数は1294人から2379人となり、1.8倍に増えた。
 続いて教育支出を見ると、2008年のアラブ諸国の国内総生産に占める教育費は平均4%で、東アジアと太平洋地域の3.8%に近く、北米の5.1%、欧州の5.4%より低い。また、アラブ諸国間の相違をみると、チュニジアでは6.3%、サウジアラビア並びにモロッコは5.6%、レバノンが2%、UAEが0.8%となっている。
 全学生に占める女子学生の比率は、クウェート、リビア、サウジアラビア、チュニジア、UAEで60%以上である一方、イラク、モーリタニア、イエメンでは40%に達していない。国別の相違が見られるが、アラブ諸国全体では2008年に50%に達しており、全体として男女比はほぼ同数といえる。
 アラブ圏で運営されている大学の数は、2008年で398校にのぼり、1998年の174校から2倍以上に増えている。研究所や教員養成校などの大学以外の機関を合わせれば、2008年の高等教育機関数は1139である。
 これまでアラブ諸国の大学では、新たな教育や組織運営方式の採用など各種改革が推進されてきた。運営体制を整えて様々な課題に対処し、高等教育機関としての機能を十分発揮するためである。
 新しいタイプの大学創設、新たな講座・コースの開設、IT・コミュニケーション技術の導入、大学ネットワーク・情報拠点づくり、高等教育の質を維持するための企画や学術研究支援プロジェクトの立ち上げ、定員数の拡大や教育・成績評価のための新体制導入が、過去10年間で進められてきた。高等教育の枠組みを改善して種々の問題解決を目指す努力の一環といえる。
 こうした取り組みは、おそらく世界の前例に倣っており、IT・コミュニケーションの発達の上に成り立ったものであろう。また、大学の新設は国外からのオファーに促されたところも大きい。

世界ランキングにおけるアラブの大学

 世界の大学をランク付けすることで、大学の力や優位性を計れるのかどうかは議論が分かれるところである。特にランキングによっては、特定地域の大学が上位に挙げられる一方でアジアなど他地域の大学が評価されないという偏向も見られる。とはいえ、大学の力を知る一つの指標として参考にすることはできよう。
よく知られている「世界大学学術ランキング(上海ランキング)」では500の大学を、教育と教員の質、研究成果と機関構成員のパフォーマンスを基準にして格付けしている。
 2012年の世界大学学術ランキングに入ったアラブ圏の大学は4校あった。サウジアラビアのキング・サウード大学、キング・アブドゥルアジーズ大学、キング・ファハド石油鉱物大学、そしてエジプトのカイロ大学であり、アラブ圏におけるサウジアラビアの大学の優位性が示されている。人口2800万人足らずのサウジアラビアからのランクイン数(3校)が、インド、メキシコ(1校)、ロシア(2校)など人口と経済力でサウジアラビアを凌ぐ国々をも上回っているのだ。
 しかしながら、サウジアラビアそしてアラブ圏の大学は未だ多くの課題を抱えているのが現状である。
ちなみに日本の大学は21校ランクインしており、東京大学が20位、京都大学が126位となっている。
次にQS世界大学ランキングを見てみよう。こちらは評価の軸を、研究の質、教育の質、卒業生の就職、大学のグローバルビジョンの四点としている。
 2012年に挙げられた500校には、アラブ圏の大学が9校入っている。キング・サウード大学(サウジ)がアラブ圏ではトップ(197位)を占め、日本の早稲田大学(198位)、慶應大学(200位)、筑波大学(203位)と同じ圏内に入ってきている。
 この9校のうち7校がGCC(湾岸協力会議)諸国の大学で、サウジアラビアの4校に加え、UAEから2校、オマーンから1校入っている。なお、9校のうち3校がアメリカン大学であることも述べておく。レバノンのベイルート・アメリカン大学、エジプトのカイロ・アメリカン大学、UAEのシャールジャ・アメリカン大学である。
 QSランキングには、キング・ファハド石油鉱物大学が2008年に採用されたことが嚆矢となり、他のアラブの大学に可能性を広げ、500校中9校のアラブ大学がランクインする現在の状況に導いた。
 また、世界大学学術ランキングには、キング・サウード大学が2009年にアラブの大学として初めて入り、現在では4校のアラブの大学がランクインするに至っている。
 以上を見ていくと、アラブの高等教育と大学レベルは全般的に大きく進展している(なかんずく、サウジアラビアの大学がその先陣を切っていると言える)。

サウジアラビアの宝物は石油でも資源でもなく人材

 近年、サウジアラビアは国を挙げて科学技術分野の強化と人材育成に取り組み、世界最高水準の教育を推進している。
 2005年に創設・開始された「アブドッラー国王奨学金制度」により派遣されたサウジアラビア留学生は、いまや世界各地に13万人に至り、日本でも約500名が大学その他の教育機関で学んでいる。
 本国、サウジアラビアにおいても、新しい大学の設立が急速に進められ、2002年に8校にすぎなかった大学は2012年に33校以上になった。実にこの10年間で4倍以上に増えている。さらに、高度研究拠点(Center of Excellence)が築かれ、材料工学、ゲノム医学、バイオ技術、再生可能エネルギーはじめ、広範な研究分野に亘って最新の研究が進められている。また、アブドラ国王科学・技術大学は世界各地から第一線の研究者や学者を招聘し、国内の科学技術力の構築に貢献している。
 サウジアラビア高等教育省の主催で2010年より開催されている「国際高等教育フェア・会議」は、毎年世界各国から約350機関の参加を得ている。国内外の高等教育機関を紹介する国際的催事となることを目的に開催しており、研究者同士の交流や知見共有、大学や研究機関のパートナーシップ構築や強化のための橋渡しの場ともなっている。
 また、2010年にサウジアラビアと日本の間で「教育と科学についての協力に関する覚書」が締結され、両国間において、実効性のある学術関連プログラム、大学間共同プロジェクトや協力協定が結ばれた。両国の産学連携の動きにもますます拍車がかかっている。


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