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教育学術オンライン

平成24年12月 第2506号(12月5日)

高等教育の明日 われら大学人〈29〉
  児童生徒の学びと取組む東北福祉大学准教授
  上條晴夫さん(55)

 学級崩壊、学力低下…児童生徒を取り巻く環境は、常に揺れ続けている。東北福祉大学(萩野浩基学長、宮城県仙台市)准教授、上條晴夫さんは、このように呻吟する子どもたちの学びに風穴を開けようと、児童生徒の学びを研究し、学びを現場で実践している。学級崩壊が叫ばれたときには、「お笑い教師同盟」をつくって、全国の先生とともに授業にお笑いを取り入れて注目された。「学びに『仕掛け』を作り、子ども自らが面白さに気づく『授業づくり』が必要」というのが持論。いま、強い関心を持っているのは、義務教育の中でも進むグローバル化に対応した「多文化教育」。地域によっては外国人の児童生徒が日本人と一緒に学ぶ小中学校が増えている。「多文化教育のできる教師教育が必ず必要になる」と力説。大学では、教師教育学などを教える、学生に人気のセンセイだ。

多文化教育の必要性強調
お笑い教師同盟で脚光 学びの中に“仕掛け”を

 取材は、上條さんの研究室で行った。授業への疑問か、就職の相談か、学生が相談に訪れていた。「しっかり、やれよ」と声をかけて送り出したあと取材に臨んだ。学生に寄り添う教員というのが第一印象だった。
 1957年、山梨県上野原市に生まれた。県庁所在地の甲府市より東京・八王子市に近い。周囲は、多少の田んぼはあるが山村地帯。「父は水道職人で、母も働いていました」。どんな子どもでしたか?
 「小学校は一クラス25人くらい、村の小さな学校というイメージ。小学校の同窓会で、『上條クンは協調性より正義感の強い子どもだった』と言われた。中学では、やんちゃな仲間を引き込んでバレーボール部をつくった。ミュンヘン五輪で日本男子が金メダルを取った時代だった」
 進学校の県立都留高校に進学。勉強のほうはどうでした?「数学は得意だったかな。好きな教科は一生懸命やるが、興味のない科目は、あまり…」。大学は、山梨大学教育学部に進む。
 高校の時の適性検査で教師が向いている、という結果が出たという。「その結果で、教師を志したという訳ではない」と強い調子で述べた。「教育は現場で働く仕事、それが面白いと思った」と付け加えた。
 大学では、「動いているときは本を読んでいた。心理学の本と文学を、それこそ読める範囲のものは全て読んだ」。映画研究会に所属。「ものを書くことが好きだった」こともあって、甲府市内で発行される同人誌に映画のコラムを書いたりしていた。
 大学を卒業、出身地の上野原市の小学校教師となる。「職業を選ぶ段階になって、大学の教員も考えたが無理だと判断。子どもは嫌いではないし、父も職人だったし、先生と言う職業も職人に近いと思った」
 小学校教師は10年間勤めてやめた。「やりたいことがあった。書くことだった。児童ノンフィクションという新分野で作品を出したが売れなかった。そんなとき、教育出版社から話があり、授業の進め方など教育問題を連載した」
 教育ライターとして教育専門誌に関わり編集長を務めた。この当時、力を入れたのは、小学校教師時代からアクティブに関わってきた「授業づくりネットワーク」の活動だった。大学の先生と現場の教師が一緒になって教育、授業の方法論などを研究しようと出来た団体。具体的な活動を聞いた。
 90年代後半、学級崩壊=授業不成立現象が起きた。「この現象の背後にある社会的な変化を見据えた上で、どのような授業プランが実践的に有効であるか、現場教師・研究者たちとの共同的な研究を通じて考察してきました」
 あるべき授業とは?「授業は、知っていることを伝えるのとは違うのです。そこで、気づいたり、発見したり、考えを深める場なんです。グループを作って、ゲームを作らせたり、生み出すものをつくり出していく。授業は、クリエイティブなもので、活動的で、参加型授業が求められていると思うんです」
 こうした一連の流れの中で、誕生したのが、お笑い教師同盟。現在も、300人近い会員がいる。なぜ、授業にお笑いを取り入れようと思ったのだろうか。
 「明石家さんまやタモリ、爆笑問題といった、子どもたちがテレビで親しんでいる文化を持ち込み、身近なところから共感をベースに授業を行ったらいいのではないか、ということから思い付きました」
 話は止まらない。「授業は、先生が教科書の内容を指導することと思われがちですが、 本来は教育内容を子どもたちに学ばせることなんです。学びの中に『仕掛け』を設け、子ども自らが面白さに気づく『授業づくり』が求められているんです。ゲーム形式にしたり、テレビ画面を使ったり、お笑いも、そのひとつです」
 その成果は。「学級崩壊がいわれた時代には、一定の役割を担ったとは思います。が、子どもたちが、一斉に教師の言うことを聞いて、みんな仲良くやってきた村落共同体型の学級制度が崩壊してしまった近年、限界を感じる時もあります。しかし、教室にブラックでない明るい笑いは必要だと思っています」
 「大学教員になるのは無理だ」と思った上條さんは、2006年から東北福祉大学に勤める。専門は、教師教育学、教育方法学、ワークショップ。担当科目は、「ことばと表現」、「卒業論文」、「国語科の指導法」、「教育学演習」など。
 大学では、どう教えているのか?「毎時間の講義で必ず学生にレポートを書かせ、授業に関する参加意欲・学習理解などに関する実態把握を行い、講義内容の改善を行っています。講義には、学生の実態に応じながら参加・体験型の授業方式を取り入れています」
 研究のほうは?「教育現場の実態に即した授業プランの開発研究を行っています。研究の範囲は作文、ディベート、学習ゲーム、ワークショップ、特別支援教育、多文化教育と多義に渡っていますが、いずれも教育現場で必要とされるテーマを掘り下げる研究です」。最近の大学が抱える問題を尋ねた。
 大学生の学力低下。「かつて、大学生10人のうち2人が小学校の分数計算ができないという調査結果が出て話題になった。これは、小学校で学習した分数計算を大学へ入学するまで使う機会がなく、私大入試では数学が入試科目にないことも要因。カリキュラムの不整合といった面からの考察も必要だと思う」
 高大接続。「小学校で習った学習が中学校の土台になり、小中学校の内容が高校の土台になる。高校までに習ったことが大学教育の土台になる。このようにカリキュラムがうまく設計されているとよい。しかし『ゆとり教育』によって、あちこちの内容を部分的に削ってきたという側面も見逃せない」
 学生に言いたいことは?「グローバル化によって、日本流の常識が通じなくなってきた。日本の中でだけ考えているのでなく、外国に出て外からものごとを見てほしい」と語った後、「多文化に対する目配りは大学教育でも遅れている」と多文化教育の話を始めた。
 「私の3年生のゼミは、東北大学の留学生の子どもの通う小学校の授業のお手伝いをしています。世界各国の40人近い子どもが日本の子どもと一緒に学んでいます。教える側は、これまで同じ国籍、同じ価値観で教えてきましたが、これからは現行の教育システムではやっていけない時代になる。こうした多文化教育の時代を見据えて海外からの留学生とも積極的に交流してほしい」
 今後は?「多文化教育を起点にして教師教育を行っていきたい。これが、きちんとできないと日本は世界から取り残されてしまう」
 上條さんの目は、つねに子どもたちを向いている。つねに「どうしたら子どもたちが一番学びやすいか」を考えている。彼の発したこんな言葉が強く印象に残っている。「教師にとって、授業の一つひとつが作品で、教室は舞台なんです」

 かみじょう はるお  1957年生まれ、山梨県出身。山梨大学教育学部卒業。小学校教師、児童ノンフィクション作家、教育ライター、教育雑誌編集長などを経験。現在、東北福祉大学准教授。「授業づくりネットワーク」理事長。学習ゲーム研究会代表。お笑い教師同盟代表。全国教室ディベート連盟理事などを務める。
 主な著書に、『中高校生のためのやさしいディベート入門』、『「勉強嫌い」をなくす学習ゲーム入門』、『実践・子どもウォッチング』、『子どものやる気と集中力を引き出す授業30のコツ』(いずれも学事出版)、『お笑いの世界に学ぶ教師の話術』(たんぽぽ出版)などがある。


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