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平成24年7月 第2489号(7月11日)

教員主導のキャンパス設計
  はこだて未来大学に見る教育的意味



 学生の学習成果が求められているが、一方で、講義を固定式の机、椅子の講義室で行うことの限界もある。そのような中、先進的に教員の掲げる教育理念に沿ってキャンパス自体をデザインした大学がある。函館市の公立はこだて未来大学である。設計時からの中心人物である美馬のゆり教授にキャンパス建設秘話を聞いた。

公立はこだて未来大学は2000年に開学し、システム情報科学部を有する単科大学である。「オープンスペース、オープンマインド」をコンセプトに、プロジェクト型学習(PBL)を教育の中心に据えている。ちなみに、この「オープンスペース」と「オープンマインド」の順番にも、「オープンな空間が学習者の認知過程に影響を及ぼす」という意味合いが込められている。
 建物に入ると、巨大な展示場を思わせるような、広く奥行きのある空間が広がる。「アトリエ」「ミュージアム」「スタジオ」と名のついた空間、5階まで吹き抜けの高い天井、壁ではなく、簡単な「仕切り」のみで区切られた部屋、至るところに置かれる可動式の机と椅子―そして、ほぼすべての壁がガラス張り。当然、講義も学生の自習も丸見えである。通りかかった教員が他の教員の講義を見ることもでき、時に講義手法を参考にする、ということも珍しくない。こうした既存の概念を覆すキャンパスはどのように生まれたのか。美馬のゆり教授に話を聞いた。
 ●異例づくしの大学づくり
 1996年、函館市が新大学設置の計画をスタートさせた。市は学長予定者に数学者の廣中平祐氏を招聘。廣中氏は第1回目の準備委員会に7名の教え子を伴い、「彼らは私のチーム。私が関わるなら彼らの意見を全て聞いてくれ」と宣言。こうして、教員主導のキャンパス作りがスタートした。
 「偏差値には関係なく、ユニークな発想ができる学生を集め、10年後に必要となる人材を考え、誰もやったことのない新しい教育とは何かを考えた結果、PBLを教育の柱に据えることに決めました。そのPBLに必要な学習環境ということで、必然的にキャンパス設計のイメージも決まりました」と振り返る。構想は決まった。
 設計会社は、指名コンペをすることとなった。個人経営をしているアトリエ派の建築家に声をかけ、最終的に白羽の矢が立ったのは、最もチームの教育コンセプトが共有できた山本理顕設計工場だった。しかし、チームは「設計案そのままで発注するわけではない」と念を押した。大学作りに関わる全ての委員会、カリキュラムやPBLの検討にも参加してもらった。とにかく教育の精神や価値観を共有してもらいたかった。
 最初に出てきた図案が徐々に改善されていった。山本理顕側も、思いもよらぬアイデアが飛び出し、様々な会議に関わったことに大きな意義を見出した。教員と設計会社がゼロから議論してキャンパスを組み立てる手法は斬新でもあった。「議論すればできるのかと言えば、そういうわけではありません。教育者側に「目指す教育」があるかどうかが重要です。これまでは、設計の専門家に丸投げするのが普通でしたし、教員もキャンパス設計には関心がありませんでした」
 当然、このような奇抜な大学設計プロセスは、関係者からはことごとく反対される。「文部科学省の大学設置審に通らない」
 転機は中央教育審議会から答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」の中間報告が公表された時だった。「チームが思い描いていた教育が、ほとんど書かれていました。これまで常に反対をしていたコンサルタントは態度を一変させ、「チームの案を大学設置審に通して、函館メソッドとして全国に広めましょう」と言ってきました」。
 開学後はグッドデザイン賞や建築学会賞を総なめ。予定通り、PBLを中心としたカリキュラムで教育が行われた。現在でもキャンパス利用の工夫に終わりはない。計画通りの使い方、あるいは、予想もしなかった使い方。それらが組み合わさることで、キャンパスには無数の使い方が生まれているという。
 ●はこだて未来大学から見る教育とキャンパスの関係
 はこだて未来大学の事例を元に、キャンパス設計における論点を四つに整理してみたい。
 第一に、キャンパス設計に教員が参加することの意味である。
 大学施設は通常、法人本部の管財課等を中心にゼネコンに発注して設計が行われるため、講義室のユーザーである教員の出る幕はほとんどない。設計会社にしても、建築基準法や省エネ効率など様々な制約のもと、ほぼ機械的に図面を引くため、教員の意見を設計に盛り込む、という発想はこれまでになかった。その結果、「最新の機器設備はいらないから、可動式の机や椅子がある講義室が欲しい」と教員が嘆くことになる。
 また、各大学の教育システムを設計する際に、目指すべき学生像、実現したい教育の姿、ビジョンが語られ、それを実現するカリキュラムが決定されるが、加えて学習環境であるキャンパスや講義室の仕様についても議論されてよい。多様な学生が大学に入学し、多様な教育が展開されている現在、やはり多様なキャンパスが出現すべきである。
 二つ目は、中央教育審議会の一連の答申等との関係である。大学教育部会で公表されている「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」の審議まとめにおいては、学生にいかに学習をさせるかが重要となっている。しかし、キャンパスの在り方については触れられていない。
 学生の学修(学習)時間等が重要になるのであれば、当然学生が学びたいと思える図書館、ラーニング・コモンズも必要だ。この辺りは学生の意見も聞くべきだ。例えば何故、学生は図書館ではなく、カフェやファミリーレストランで学習をするのかを徹底的に調査をしてみることも必要ではないだろうか。
 三つ目は、人材である。大学キャンパスの設計は、すでにスキームや手順が完成してしまっている。設計者も施工業者も発注側である大学関係者もみな、そこに疑いを持たない。しかし、前例、慣習からは新しいものは生まれない。(ある時は強引にでも)前例を覆すリーダーがいなければ、本当に理想の教育など実現できようもない。
 一案としては、教育担当副学長に、学習環境や教育工学、認知科学の専門家を配置することである。美馬教授がそうであるように、どのような環境であれば学びが促進させられるかの専門家が教育工学者である。新しいキャンパスの潜在能力を最大限に引き出し、他の教員に使って見せる、使い方を教える専門家がいなければ、従来の講義と同様の使われ方で終わってしまう。
 四つ目は、実現性である。当然、「教員主導のキャンパスづくりは素晴らしい」と言ったところで簡単にできるものではない。たまたま新キャンパスを作るタイミングでなければ、絵空事である。
 しかし、できることはある。例えば、嘉悦大学では、若手教員が情報教育改革に着手するに当たり、まず始めたことが講義室の改造だった。重たい机と椅子をグループワークができるように再配置。大きなスクリーンとプロジェクタ、その他備品を購入して、手作りで講義室を変えてしまった。このように、できるところから小さい変革を始め、その実践から活用モデルを作り、新キャンパスを建てる際に生かすこともできる。
 日本の大学のキャンパスにはまだまだイノベーションの余地がある。「もし、他大学でも教員主導型キャンパス設計を手掛けたいのであれば、まずは若手で新しいことをしようと考えている教員を味方につけ、学内の支持の輪を徐々に広げていくべきです」と美馬氏は最後につけ加えた。


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