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平成23年5月 第2441号(5月11日)

高等教育の明日 われら大学人〈11〉
  スポーツ経験は社会で役立つ
  受験者数で明大抜きたい 入試広報分野を「力泳」
  近畿大学職員は五輪メダリスト
  山本貴司さん(32)

 大学職員という職業が大人気だという。大規模有名大学では、10人前後の採用に1000人以上の応募があるとか。「給与が高水準で、休みが多く、公務員ほど叩かれず、やりがいもまずまず」からだそうだ。それはともかく、大学職員の中でも、この人ぐらい華麗な経歴の持ち主はおるまい。近畿大学(畑 博行学長、大阪府東大阪市)の入試センター入試広報課に勤務する山本貴司さん。競泳選手としてアトランタ、シドニー、アテネ五輪に連続出場。アテネでは200mバタフライで銀メダルを獲得、「ミスター・バタフライ」と称された。01年、近畿大学を卒業後、同大職員に。08年から現役を引退してフルタイムの大学職員。現在、大学案内の制作やオープンキャンパスの企画運営、高校訪問などに大車輪の活躍。チームワーク、明朗さなどスポーツで培った力を十二分に発揮している。妻は、バルセロナ、アトランタ五輪の競泳日本代表の山本すずさん(旧姓千葉)で、四児の父。華麗な経歴は、いま生かされているのか? 山本さんに栄光の水泳人生と大学職員の恍惚と不安を聞いた。

 山本さんは、1978年、大阪市住之江区に生まれた。3歳のときから水泳を始める。「たまたま家の前にイトマンスイミングスクールがあったので、両親は、幼稚園入園前に一人っ子だった私に集団生活を身につけさせようと、とりあえず始めたみたいです」
 地元の北粉浜小学校、住吉第一中学校に通いながら水泳を続けた。どんな少年でした?「やんちゃでした。中学の頃は、しょっちゅう先生に怒られてました。陸上部顧問の先生は『集合時間を守らない』『ダラダラしてる』と言っては、すぐに『うさぎ跳び、行ってこい』という調子でした」
 反発のしようがなく、それほど先生は絶対的だった、と述懐する。「あのころは、『なんで、こんなことさせられんねん』と思ってましたけど、今思えば、それがよかったんですね。人間として最低限必要なマナーとか、ルールとかをこれでもかというくらい叩き込まれましたから」
 中学3年のときに、中学新記録を出して頭角を現わす。「小学校卒業のときには『将来の夢はオリンピックに行くこと』と言っていましたが、周りは『どうなることか』という感じでした。ぼくも、水泳が楽しいというよりは、友だちとワイワイ遊ぶのが楽しくて、続けていたようなものです」
 1996年、近大附属高3年のときアトランタ五輪に初出場。高校生になって記録を意識し出した。「記録が伸びなかったり、肩を故障したりで、しんどいときもありましたね。でも、そういうときには必ず何のためにやっているのか、目標を達成するためには、今頑張らないでいつ頑張るんだと、気持ちを奮い立たせていました。」
 97年、近畿大学商経学部に入学。00年の4年生のとき、シドニー五輪に出場。01年に同大学を卒業、同年4月から近畿大学職員に。03年のバルセロナの世界水泳選手権で、200mバタフライで銀メダルを獲得。ゴール直後に結婚指輪にキスをして、スタンド席の妻に喜びを伝えたことが話題になった。
 翌04年のアテネ五輪で二つのメダルを取った。「競泳の選手として力は、一番のピークでした。前年のバルセロナ世界水泳でメダルを取ったことで、五輪でもメダルを取る自信はありました」
 日本チームのムードメーカー的な存在。平泳ぎの金メダリスト、北島康介は「シドニー五輪から僕の面倒を見てくれたお兄ちゃんみたいな先輩。05年の世界選手権の後に『もう一回やりましょうよ』と声をかけたら、『もうあかんやろ』と言いながらも練習を始めてくれました」と話す。
 08年の北京五輪代表選考会の男子100mバタフライで4位に終わり、代表落ちが決定。山本さんは引退を表明した。「これが最後だと思ってやってきた。完全に燃え尽きました」。さわやかな退場劇だった。 
 「引退には、最高のとき退くのとボロボロになって引くのと二つあると思う。ぼくは、自分が必死になり結果を追い求める姿を後輩がみて成長してもらいたかった。最後の選考会には家族、友人に交じって両親が見に来てくれた。レース前に父から届いた留守電は、今もとってある」
 どんな電話でした?「何、緊張しとんねん。最後のレース、思い切って頑張って来い。みんな応援してんねんから」
 大学職員としての仕事は、05年から午前中は水泳部のコーチ、午後は入試広報の業務をした。08年からは水泳部コーチの肩書きのまま、入試広報専従になった。現在の仕事を聞いた。
 「入学センターには29人の職員がいます。大学案内の作成では、高校生らが知りたい情報を近大生にヒアリングし、近畿大学の魅力を追及しています。オープンキャンパスや高校訪問では、自分の体験談を話すこともあります」
 五輪メダリストの肩書は入試広報の仕事にはプラスでは?「いまの高校生は、ぼくのことは知りませんよ。親の世代は知っているようですが…」。短く笑った。
 総務部広報課長の角野昌之の山本評。「スポーツをやってきたのでチームワークやコミュニケーションを大事にして、入試広報全体を引っぱっています。偉ぶらず、明るい人柄は職場の活性化につながっているし、実績も残しています」
 大学職員という仕事は楽しいですか?「高校生と直接、顔と顔を合わせて大学の魅力を伝えることができる今の仕事はやりがいもあるし、おもしろい。高校訪問などで顔を合わせた受験生が入学して『あのときの人だ』と声をかけてくることもある」
 こう続けた。「入試広報の仕事は、数字にはっきり出るので厳しいけどやりがいがある」。スポーツと一緒ですね、と聞くと、ニヤッとしたあと「3月27日のオープンキャンパスの参加者は2136人と昨年を上回りました。他の大学が参加者を減らしたという中、健闘したと思う」
 水泳をやってきたことは今の仕事に役立ってますか?「水泳では人間性を育ててもらい、上下関係も厳しく鍛えられました。そして、自分の夢に向かって、目標を設定し、どうすればクリアできるか、日々そう考えながらやってきた。こうしたことはプラスになっているかもしれません」
 後輩に伝えたいことは?「大学でのスポーツの経験は社会に出てから通用するし、決して無駄にならない。『人に愛される人、人に信頼される人、人に尊敬される人』という近畿大学の教育の目的を忘れず、社会に出たとき、認められる人材になって欲しい」
 いま、泳いでますか?「引退後は、こどもと流れるプールに入るぐらい」。すずさんとの子どもさんは、素晴らしい水泳選手になると思うけど、と尋ねた。
 「自分のやりたいことをやらせたい。本人がサッカーをやりたいといえば、それでいい。好きでのめり込むものが結果を残すことができる。自分も水泳が好きだったから、ここまできたと思う」
 高校、大学と後輩で、次期五輪メダル候補の背泳ぎ、入江陵介のことも聞いた。「技術的にはトップクラスで、泳ぎも世界一。あとは経験を積んでいけば、必ず結果を出せると思います」
 大学職員としての夢を聞かせてください。「受験者数で日本一の明治大学(今年度11万3864人)を抜きたい。近畿大は昨年10万人を突破し、今年は11万人台に乗りました。(数字にこだわるのは?)それだけ近畿大学を評価してくれた結果だと思うから」
 五輪メダリストは、受験者数という数字(記録)にこだわりをみせた。長年、水泳選手として記録を意識してきた性(さが)かも知れない。嫌な質問に明るく明確に、そして大学のPRも忘れずに答えた。バタフライの名選手は名大学広報マンに孵化した。

やまもと たかし
 1978年、大阪市住之江区生まれ。「ミスター・バタフライ」と称された日本の男子競泳の名選手。オリンピックなど国内外の大舞台で広く活躍。アトランタ、シドニー、アテネ五輪に連続出場。アテネでは、200mバタフライで銀メダル、400mメドレーリレーで銅メダルを獲得した。 元競泳選手(91年世界水泳選手権大会銅メダリスト)の千葉すずさんと結婚し、4人の子どもを持つ父親でもある。すずさんとは「小学校のときから同じプールで泳いでいました。歳は3つ違い」。関西テレビのニュース番組でスポーツキャスターを担当したこともある。現在は近畿大学入学センター入試広報課に勤務する。


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