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教育学術オンライン

平成23年1月 第2426号(1月1日)

インストラクショナルデザイン
  FD担当者のID的基礎とは何か 


熊本大学大学院教授学専攻長 鈴木克明

 インストラクショナル・デザイン(ID)とは、教育の効果と効率と魅力を高めるためのシステム的なアプローチに関する方法論であり、欧米を中心に、教育工学の研究として半世紀ほどの歴史がある。このたびは、IDにおける日本の第一人者である鈴木克明熊本大学大学院教授システム学専攻長・教授に、FD担当者(ファカルティディベロッパー)にとって必要なIDの基礎について寄稿して頂いた。なお、本稿は2009年12月19日に京都外国語大学で行われた日本教育工学会研究会(FDの組織化・大学の組織改革)での発表に基づいている。

1.FDをIDとみなせないか
 IDの視点で見ると、いかなる教育システムもその大小に関わらず出口と入口のギャップを埋める機能として把握することができる。大学の4年間にあてはめれば、どんな学生を入学させて(入口)、どんな学生として育てて輩出するか(出口)になる。一時間の授業にあてはめれば、どのレベルにある学生(入口)に何を教えるか(出口)を設計することになる。
 教育改善を組織的に進める専門職として配置が進んでいるFD担当者は高等教育機関におけるインストラクショナル・デザイナーである、とみなすことができないだろうか。類似点は多い。@教育活動を間接的に支える支援者であり、直接手を出せない。ATOT(Trainer of Trainer)と呼ばれる立場にある。B内容の専門家(Subject Matter Expert:SME)との共同作業により幅広い内容領域の教育に関与する。Cその都度SMEからヒアリングして教育内容を素人ながらに(あるいは、素人の利点を生かして学生の立場に身を置きながら)把握する。D学習者の特性と教育内容の特徴と教育環境の制約条件を考慮した最適解を提案していく。E個別の科目(あるいは更に毎時間の授業)からカリキュラム、組織のレベルまで重層的に取り組むべき課題がある。
 自分の専門領域ではない科目の教員を相手にして、その科目をより「効果的で効率的で魅力的」にするための具体的で説得力のある提案をするためには、IDの基礎を踏まえることが有効ではないか。
 だとすれば、FD担当者に必要なID的基礎とは何か。本稿はこの問いへの答えを模索した報告である。

2.IDからみたFD
 文部科学省によれば、FDの平成19年度実施率は約90%(664大学)であった。具体的な内容は「教育方法改善のための講演会の開催」(446大学)がトップであり、他の内容(新任教員とそれ以外のための研修会、教員相互の授業参観、授業検討会の開催:いずれも300大学前後)を大きく上回っている。
 その中で、FD研究を最も体系的に取り組んでいる愛媛大学が「FD担当者に求められる専門性」としてまとめた職能を表2に示す。授業シラバスの目標の書き方として推奨している知識・技能・態度に分けて目標を書くことをFD担当者の育成にも適用しており、好感が持てる。一方で、知識面でBID(教育工学)とあるがその中身についての記載は見当たらず、具体的に何を指すのかは定かではない。また、技能面では@インストラクショナルスキル(教授技法)はあるが、授業設計スキル(ID技法)はない。設計段階よりも、実施段階のノウハウが重視されている(あるいは、そこから着手した)と推察できる。
 このことは、同大が招いたカナダの大学のFD担当者が「ワークショップでは授業のデザインと教授実践の2点に焦点があてられている」と語ったことと対照的である。

 一つ目の授業デザインが網羅している事柄としては、コース内容の決定、目的・目標の明示、教育方略の選択と適用、それから評価方法の選択と適用があげられます。
 二つ目の教授活動については、教育方略の実施、それからプレゼンテーションのテクニックの実践、それからビジュアル教材の開発と使用、それから他の学習者と交流を持つ、という点が網羅されています。
 出典:愛媛大学(2009)「FD担当者必携マニュアル第4巻〜コースデザイン・教授法ワークショップとFDネットワーク〜」、p.5 http://web.opar.ehime-u.ac.jp/pdf/fd_hikkei_4.pdf

 国立教育政策研究所では、愛媛大学などでのワークショップの実績等を踏まえて、「大学・短大でFDに携わる人のためのFDマップと利用ガイドライン」を公表している(川島2009、表1)。FDを「大学教育に携わる者としての教員のキャリア開発を目的に設計されたプログラム」と捉え、ミクロ(個々の教員による授業・教授法の開発)・ミドル(教務委員によるカリキュラム・プログラムの開発)・マクロ(管理者による組織の教育環境・教育制度の開発)の三つのレベルにT:導入(気づく・わかる)・U:基本(実践できる)・V:応用(開発・報告できる)・W:支援(教えられる)の4フェーズで構成する2次元のFDマップの枠組みを提案している。
 FD担当者の主たる業務が他教員・教務委員・管理者の「W:支援」であると考えた場合、FDマップでの目標は、各レベル共通に三つになっている。
 @他の教員(もしくは教務委員・管理者)を支援することができる、A所属機関に適したFDプログラムを企画・運営することができる、B大学教育関係の国内外の動向(特に、授業改善について)について説明することができる。
 FD担当者が「W:支援」を実行するためには自らがまず、導入・基本・応用のレベルを習得する必要があるとの立場をとれば、全レベルで示されている目標を達成した経験が求められる。そこには、ニーズ把握・目標設定・運営計画・設計開発・実施と評価など、IDサイクルのすべてをカバーする目標が示されており、FD担当者はFDについてのSMEであると同時に、IDのノウハウを踏まえて他領域の教育内容についても関与できることが求められていると見ることができよう。

3.FD担当者に役立つID的基礎
 高等教育の領域でID的な視座から授業改善のノウハウをまとめた草分け的な存在は、名古屋大学高等教育開発センターの「ティーチングティップス」である。2000年のWeb公開以来、書籍にもなり、またバージョンアップも重ねて成長を続けている(http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/tips)。
 授業の基本にまずコースデザインを据え、実施段階だけでなく設計段階のティップスも視野に入れ、初任教員の授業日誌を題材にして物語性を持たせているなど、この資料自身にもIDのノウハウが応用されている好例である。FD関連の資料としても紹介されており、IDの考え方を平易に解説した大学教員向けの入門書としての利用価値は高い。
 FDの対象となる教員には「ティーチングティップス」を勧める一方で、FD担当者は更に自らの支援の理論的根拠をIDの知見に求めることが有用ではないかと思う。それは、教員を支援する際に提案する改善策の有効性をより高めるとともに、改善策の理論的根拠を明らかにすることで説得性を高める効果を期待してのことである。
 例えば、授業で誰もが困る問題に学習意欲を高める方策がある。IDでは「効果・効率・魅力」の3つの目標のうちの最後の「魅力」に関わる研究成果として広く知られるARCSモデルがある(鈴木2002)。学習意欲の問題を注意(おもしろそうだな:Attention)・関連性(やりがいがありそうだな:Relevance)・自信(やればできそうだな:Confidence)・満足感(やってよかったな:Satisfaction)の4要因に区分し、問題の所在を明確にしてから対応策を考えるという枠組みである。枠組みに対して下位分類が提案され、それぞれの分類に対して実施可能な動機づけ方策の候補が多数提案されている。
 これらの方策は、どの場面で選択的に使うと良いかの分析・選択手法があわせて提案されているので、問題状況に応じて効果的な方策が提案できる可能性が高まる。さらに、ARCSモデルは動機づけに長けている様々な教育機関の実践者のノウハウをもとにしているだけでなく、動機づけ関連の学習心理学諸理論を網羅・統合し、それを教育実践者向けにアレンジしたモデルであり(鈴木1995a)、世界各国で使われている、という事実を持ち出すと、提案に説得力が増すのではないか。
 また、ARCSモデルを学生に学ばせることで、情意面のスタディスキルの拠り所とすることも可能である。やる気が出ないときにその原因はARCSのどの要因にあるのかを探り、問題の解決策を自ら試みる。その繰り返しで学習することの意義を見出し、自らのやる気を制御できる学生になるためのヒント集となる(鈴木1995b)。
学習者のためのツールとしても転用が可能なのがID技法の共通した特徴である。ARCSモデルだけでなく、例えばIDの生みの親であるロバート・M・ガニェが提唱した「9教授事象」(表3)も、授業の組み立てを点検して弱点を改善するための枠組みであるが、それを自らが学ぶ自己学習の構成要素として応用するように展開すれば、スタディスキルの向上に役立つ。
 もともと「9教授事象」は学習支援の枠組みであり、それぞれの事象を「誰がどう実現するのか」は局面によって異なると考えられている。
 小学校の授業であれば全事象を教師が提供して学習をリードする必要があるだろうが、それを高等教育においても真似るのが良いとは思えない。本を読んで勉強する場合、本に期待できるのは「事象4告Vしい情報を提示する」ことだけだから、それ以外の事象は読み手が自ら担当して補う必要がある。それが本を読んで独学を成立する条件である。学力低下が叫ばれているが、もし大学で「本を読んで自分で勉強を進められる人」を育てたいのであれば、何でも懇切丁寧に教員が提供するのではなく、徐々にでも学生に期待する役割を増やす工夫も必要である。
 このように、ID技法を媒介として教育場面における教員と学生の役割分担と責任範囲を設計できることも、FD担当者がIDを学ぶもう一つのメリットとして意識しても良いのではないだろうか。

4.FD担当者の職能とID専門家認定制度
 欧米では1970年代から専門職として認知されてきたID専門家について、様々な職能訓練や認定制度が発達してきた(鈴木2005)。例えば、筆者が2007年から理事を務めている国際標準化団体ibstpi(International Board of Standard for Training and Performance Improvement)では、2000年にID専門家の職能基準(第三版)を発表した(Richey、Fields & Foxon 2000)。専門家基礎・計画と分析・設計と開発・実施と管理の四領域で23のコンピテンシーとそれを支える合計122のパフォーマンス指標にまとめ、世界各国の企業及び大学院教育等の指針として採用されている(例えば、鈴木ほか2006)。
 FD担当者のキャリアパスを考える際に、ID専門家の資格取得を視野に入れるのはどうだろうか。
 わが国でもID専門家の養成と資格認定が始まっている。日本イーラーニングコンソーシアムでは、eラーニング専門家七職種を定め、2008年に認定制度(eラーニングプロフェッショナル資格)を開始した(http://www.elc.or.jp/tabid^n/84/Default.aspx)。その資格の一つに「ラーニングデザイナ」がある。青山学院大学と熊本大学を相互認定機関に定め、大学及び大学院での単位認定と資格認定を連動させた養成システムを確立した。特に、本学の教授システム学専攻はいわゆるインターネット型大学院であり、在職者をターゲットにして遠隔地からのフレキシブルな履修を可能にしていることもあり、各地の高等教育機関の関係者も在籍して情報社会におけるID関連の専門性を高めている。

5.おわりに
 本稿では、FD担当者のためのID的基礎は何か、という問いを立て、その答えをFDとIDとの類似性に求めた。FD担当者の学問的基盤としてID的基礎を身につけることが広範囲の領域の教員と互角に渡り合い、また大学経営陣にも納得のいく形で組織レベルのFDを推進していくために有用だと主張した。さらに、ID技法がスタディスキルとしての転用可能性を持っていることから、高等教育においてとくに親和性が高いことを指摘した。
 ID技法として例示したARCSモデルや9教授事象は、1970―80年代に提案された伝統的なものが、「シラバスで目標を明確にしてそれに基づいて評価方法を考案するためにはIDが有効だ」とする解釈のみに留まっているとすれば残念である。目標と評価の明確化は重要であるが、それに加えて理論的背景に支えられた学習支援方法や教育システムの設計・開発と実施を指向したFDへの進化を期待したい。
 さらに、伝統的な知見に加えて、その後の関連学問諸領域の発展やインターネットに代表される学習環境・社会環境の変化を受けて、IDそのものも日々進歩している。とくに、情報技術によってもたらされた学習者の多様性に適応した学習支援環境の構築や、情報社会に求められる主体性・能動性などの学習者としての新たな資質の育成に向けて、新たな技法・モデル・理論が提案され、洗練されている。それらの動きにも敏感に対応し、また実践を通じて新たな知見を創造する担い手として、ID専門家としての道を共にするFD担当者が増えることを期待したい。

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