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平成22年7月 第2408号(7月14日)

フィンランド 教育の今と社会システム
   


 

 本紙記者の筆者は、5月末という白夜の季節、知人3人と北欧の教育事情を見学する旅行をした。このたびは特にフィンランドで見聞したこと、そこから感じたことを、主に教育と社会との関わりという観点から述べてみたい。
●フィンランド概観
 フィンランドと聞いて何を想像するだろうか。
 携帯電話機世界シェア1のノキアだろうか。交響詩「フィンランディア」の作曲者シベリウスやムーミンも有名だ。しかし、教育関係者が思い浮かべるのは恐らく、OECD「生徒の学習到達度調査(PISA)」で上位にランクした教育とその手法「フィンランド・メソッド」だろう。
 フィンランドは、人口約530万人、国土面積は日本の約9割、その大半を森に囲まれ、フィン人、スウェーデン人、サーミ人等が住む多民族国家である。長年、スウェーデンやロシアに支配され、強国に囲まれていることもあり、独立後も地政学的に苦労が絶えない。
 北欧の有名な政策といえば、高福祉・高負担の社会福祉制度であろう。フィンランドは付加価値税(消費税)が22%(食料品等は12%、書籍・交通・医療品は8%)と高率だが、教育費、介護費、18歳までなら医療費も無料である。大学に入学すると、国から給付型奨学金が受けられる。
 蛇足だが、教育費や介護費が無料ということは、極論を言えば将来に金銭的な不安がない、つまり、貯蓄の必要がないということである。貯蓄の必要がないから、安心して「今」を楽しむことができる。一方日本は、消費税は他国と比べ低率だが、高額の教育費や介護費ゆえに将来が不安となり、現在の生活水準を落としてでも貯蓄を増やそうとする。「今」を楽しむ余裕などない。
 一言でいえば、「親も子も面倒は国が見るから、成人したら夫婦ともども働き納税しなさい」ということである。大きな不安を抱えずに、身の丈に合った生活を享受している、と言えよう。
●平等主義、個性重視の初等中等教育
 歴史上の転機はいくつかあるが、最近のフィンランドの教育方針を決定付けたのが1990年代の教育改革であろう。規制緩和をして現場に大幅な権限委譲をしたり、学習における学際的なアプローチを導入したこの改革が功を奏し、世界的に注目される「メソッド」にまで至る。
 フィンランドの基礎学校(小学校+中学校)では、日本のような「人間形成」といった教育理念は聞かれなかった。その代わりに、次の三つの特徴的な教育方針があるように感じた。
 一つ目が「学び方を学ぶ」教育である。後にも述べるように、生涯学習社会に必須の能力である。日本では大学で学ぶことでもあるが、フィンランドでは基礎学校段階で身につけさせようとする。
 二つ目が「キャリア教育」である。専門の進路指導員が各学校に配置されており、基礎学校高学年になると、指導を受けながら自分の進路について考える。フィンランドでは、基礎学校を修了する15歳の時点で、いったん自分の進路を選ぶ。一度選んだ進路でも、納得がいかなければ進路変更をすることができるということである。
最後に、「自分の適性を知る」教育である。少人数のグループ学習を多く行いながら、グループの中で「自分がどのような役割を果たしているか」、「自分が何に向いているか」を考えさせる。驚くべきことに、基礎学校修了までテストを受けることがない。他人と同じものさしで比べる必要がないのだ。
 従って、「良い学校」などない。全ては平等であり、どこの学校に行っても同じ教育を受けられる。この「平等」、そして、「教育の機会均等」を国民は非常に意識している。だから、例えば苦手教科があれば、特別な教室でそれを克服することもできる。「出来るようになるまで学習する」ことは、子どもの権利なのである。日本と異なり、年齢で学習内容が規定されているわけではないから、「落ちこぼれ」のようなレッテルもない。自分に合わせたペースで学んでいけばよい。フィンランドの親は子どもに、「自分の個性に合わせた人生を過ごしてほしい」と思っている。
●大学とポリテクニク
 現在、フィンランドには16の大学と25のポリテクニク(実学志向のノンリサーチ系専門大学)があり、大学は研究者や高度専門職業人の養成、対してポリテクニクは一般的な実務者を養成している。フィンランドの高等教育は、日本と同様に改革の只中にあり、その中で合併・統合なども行われてきた。
 主な高等教育改革は、@国の機関であった大学の法人化、A大学経営層への外部人材の登用、B国内外からの多様な資金調達の促進、と日本と似た内容が多い。そしてこれらの改革の目的としているところが、財政削減に他ならない。一方で、国民の期待を一心に背負い、イノベーションを起こすべく3つの大学が統合して創設されたのがアールト大学である。この大学については同大学で研究をされている佐野 彰九州産業大学准教授に近況を報告して頂いたので、別掲記事を参照して頂きたい。
 日本との違いといえば、例えば国内で盛んに言われる「コミュニケーション能力」、あるいは「学士力」や「社会人基礎力」の養成といった教育は行われない。「リベラルアーツ」もない。こうした基礎能力は高校までの教育であって、大学では主に学生が目指す職業に何かしら結びついた学習が行われている。学生は、在学中に関連企業等へのインターンやアルバイトも(時に長期で)行う。「就職活動」の時期がなく、企業に認められれば大学を卒業せずとも就職できる。その後、仕事をしながら卒業を目指すケースも少なくない。
 というのも、在学中は学費無料の上、政府から奨学金が出るから、早期に卒業してしまうと単純に「損」なのである(ただ、こうした国の負担を抑えるため、最近は雇用する企業側が、学生に早く卒業させるような処置も取るらしい)。
 雇用システムの違いも大学に大きな影響を及ぼしている。日本では、いまだ終身雇用、定期昇給の組織も少なくないが、北欧では、原則として定期昇給はない。キャリアを積み、大学でより高度な知識を身につけ高い役職に就くことで給料が上がる。転職の際にも、こうした大学での知識やスキルが必要であるから(しつこいようだが、学費も無料であるし)、大学に学びに行く。
 「生涯学習」の意味合いも、北欧では「仕事上のキャリアアップを目的として学習歴を積む」ことを指すのに対して、日本では、学習者個人の持続的に学ぶ意欲こそが生涯学習、というニュアンスの遠いがある。
●生涯学習社会
 ここまでの話を統合すると、フィンランドの学校と仕事の関係が浮かび上がる。すなわち、基礎学校段階で、「学び方」を学び、キャリア教育で仕事観、グループ学習などで自分の適性を見つける。16歳で1回目の進路選択を行い、大学や専門大学で学びながら仕事もしていく。高い役職についたり、別分野への転職を図るために大学に入り直して学習もする。社会人になった後も、仕事と学習の境界がないこの「生涯学習」システムは、非常にシンプルかつ合理的にも見える。
 しかしながら、最近は事情も変わってきた。
 まず、リーマンショック以降、他国と同様に国家財政に問題が出始めている。この影響により高等教育機関の改革も進んでいることは、前にも触れた。また、今ひとつの問題は、移民の積極的な受け入れにより、子どもの学習到達度にも「多様性」が生まれた結果、今後のPISAにも影響が出てきそうだということである。これまでは、ある種均質化されたフィンランド社会システムの中で機能してきた教育が、移民という多様性により少しずつ変容してきた、とも言える。教育の機会均等・平等主義と、生徒の多様化による教育コストの増大、この理想と現実のバランスをどのように取るかが、大きな課題となるだろう。
●日本への提言
 最後に、北欧を見た経験に基づき、日本の大学に二つの提言をしてまとめとしたい。
 まず始めに、留学プログラムを増やすことである。最近、海外の現地採用を増やしたり、社内公用語を英語にする企業が話題になった。国内市場の縮小と世界的な人材獲得競争により、この流れは更にと加速していく、つまり、国内から若者の仕事が急速に減少していくことを意味する。その際に日本の大学が出来ることの一つは、在学中に、国外でも生きていける力をつけさせる、ということではないだろうか。教育的意味はもちろん、これは学生にとって、まさに生き残りの手段だと考える。
 二つ目は、生涯学習社会を、まずは大学内で実現してはどうか。すなわち、大学教職員自らが大学・大学院生として学習するのである。修了すれば「得」とまではいかなくても、何かしらの人事考課には反映させても良いのではないか。まずは大学人自らが「社会人が大学に行く意味や意義」を実感すべきだろうと考える。
 いずれにせよ、教育とはその国・社会の仕組の一部であり、独立して取り出せるものではない。ある国の教育について語るなら、その国の背景や歴史、政策、文化、ひいてはメンタリティまで言及しなければ本質は捉えられない。たとえ「フィンランド・メソッド」を日本の初等中等教育に導入しても、大企業への就職の成否が序列化された大学の偏差値によって決定する事情が改善しない限り、結局は受験戦争に参戦せざるを得ない。教育は社会と密接に繋がっているのである。そのことを痛感した旅行であった。このたび、現地で色々とお世話になった方々、そして、フィンランド教育研究で著名な渡邊あや熊本大学准教授にこの場を借りてお礼を言いたい。
(文責:小林)

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