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平成21年9月 第2372号(9月2日)

高めよ 深めよ 大学広報力〈44〉 こうやって変革した41
  入試と就職業務を一本化
  偏差値に危機感 入試見直しから開始
  東京家政大学

 大学は改革を続けない限り生き残れない、ともいわれている。女子大においても、共学化に踏み切る大学が出るなど改革の動きは止まない。大学の使命は何か、社会が求める教育の中身は、伝統ある校名を変えるべきか否か…と常に、様々な課題を検討、不断に改革を実践している女子大がある。東京家政大学(木元幸一学長、東京都板橋区加賀)。大学入試と就職は、学生にとっても、大学にとっても最重要なもの。象徴的な改革が、この入試と就職を組織・職員も仕事場も一緒にした。組織論からいえば冒険に近いが、この改革は成功した。これによって、学生を受け入れ、育て、責任持って社会へ送り出し再教育するシステムが出来上がった。このような不断の改革の実際、それに広報の関わりなどを担当者に尋ねた。(文中敬称略)

不断の大学改革が結実

 東京家政大学は、1881年、校祖の渡辺辰五郎(東京女子師範学校)が本郷湯島の自宅に開設した裁縫私塾「和洋裁縫伝習所」が前身。1945年に校舎が戦災で焼失、46年、現在の板橋区に移った。戦後の学制改革で、東京家政大学に。86年、埼玉県狭山市に文学部を設置した。
 現在、大学は家政学部と人文学部の二学部に約5000人の学生が学ぶ。卒業生は約10万人、専門職に強い大学といわれる。09年、大学教育の集中化と「都心回帰」をねらって、狭山キャンパスの人文学部を移し、東京板橋のワンキャンパスになった。
 常務理事で進路支援センター事務部長、岩井絹江が大学を語る。「開学以来、『女性の自主自律』を願い、『新しい時代に即応した学問技芸に秀でた女性』の育成をめざしてきました。開学当初から教員養成大学としての性格があります」
 岩井が続ける。「名古屋の椙山女学園大学、広島の安田女子大、鹿児島の志學館大など、本学の卒業生が自ら設立した学校は、大学短大では21校、高校以下を含めると百数十校を超えます。女性の社会的自立を目的に、指導者の育成につとめてきた伝統は、今も多くの人が教員として活躍する実績に現れています」
 大学改革について、岩井が説明する。「入試担当になったとき、偏差値ランクを見たら、本学は私立家政系大学の中でも下のほうでした。私が卒業の頃、同ランクの大学がはるか上にあってショックでした」がきっかけだった。
 「当時、受験生は相当数来ていたし、学校自体の偏差値も横ばいだったので学内では気にも止めなかったのでしょう。偏差値レベルが下がれば、入学してくる学生に専門的知識を構築していくことは難しくなり、結果として、就職状況も悪化します。入口にあたる学生募集は、直接、出口の就職に影響するのです」
 そこで、改革の手がかりをつかむため在校生、高校生らに何度もアンケート調査を行い、現状分析を行った。この間のアンケート結果はダンボール何十箱になった。「得た結論は、とにかく教育の中身、中身の改革だとわかりました」
 具体的な改革は入試の見直しから始まった。国語、英語、数学、理科、社会の五科目の一般教養問題を推薦入試に課した。「範囲が広すぎて受験指導がし難い」と高校側から苦情も来たそうだ。
 こう言って説得した。「教員や栄養士など人に関わる職業人を目指すためには、授業中にきちんと話を聞いて、高校の先生としっかり向き合ってきた生徒が欲しいのです」。この思いは徐々に理解されて、受験生の質も上がっていった。
 「結果として、就職率のアップにもつながりました。そのあと、全学一斉にセンター入試への参加を決めました。これによって、全国の国公立教員養成大学との併願者が多くなりました。大学の教員からも基礎学力のある学生が増えた、学生の学ぶ姿勢が良くなってきた等の声が聞かれるようになりました」
 岩井が、次に行った改革が、入試と就職の窓口を一つにすることだった。「入試担当のとき、高校訪問すると、必ず就職のことを聞かれた」のが動機だった。当時、読んだ「米国の大学経営戦略」に出てくるエンロールメント・マネジメント(学生支援)の考え方に共鳴、大学のミッションの何たるかを知った。
 これまでの入試広報課を「進路支援センター」にした。「高校生や大学生が自由に出入りし、授業や大学生活、就職のことなど丸ごと感じることが出来るようにしました。企業の人事部長や小学校校長、保育園園長経験者等16名の就職アドバイザースタッフもおり、重厚な進路相談ができるようになっています」
 岩井は「早大総長だった清水 司先生(現理事長)が学長として本学に来られたことが、改革の大きな支えになりました」と強調。清水は、岩井ら教職員に、こう諭すように話した。
 「『家政』大学とは、『人間が生きるための教育をする』大学という意味です。ですから、いつの時代にあっても必ず、その存在価値はあるのです。特に、これからの時代は、教育の分野にしても、もっとその中身を充実発展させて、社会に役立つ人材を育成することが求められている。アドミッションポリシーも募集活動も、そうした流れの中にあるのです」
 校名を変えるべきか否かで、悩んだときも、清水の「教育の中身を充実させ、社会に役立つ人材を育てるのが最も大事」という助言が変えない方向を決めた。清水の助力で、早大と単位互換制度ができた。早大の科目を履修すれば家政大学の卒業所用単位数に加えられる。
 大学案内には、早大で学んだ学生のコメントがある。「早大には、関心を持っていた経済や会計の授業が充実していたので二年生のとき『パーソナル・マネジメント』を履修、より専門的な知識を得ることができました。他大学で学ぶ楽しみと、自分自身の視野を広げることができました」
 改革の成果は着実に現れている。在学生の意識調査では、44.2%が「学びたい学部・学科があるから」、15.5%が「資格が取得できるから」という理由で同大を選び、一人ひとりが学ぶ目的をきちんと持って入学するようになった。
 資格取得をみても、管理栄養士国家試験は、07年、127名(94%)、08年、125名(91%)、09年、127名(91%)と三年連続90%を超える合格率、09年の小学校教員合格率も63%だった。
 ボランティア活動やインターンシップ、地域貢献につながるサークル活動なども活発だ。「子育て支援、地域の商店街の活性化、中高への教育ボランティア、東武百貨店の食堂街との美と健康をテーマにしたメニュー開発、食育おもちゃの開発など、それぞれ成果が出ています」(岩井)
 この間、広報体制の改革はどうだったのか。「最後まで責任を持って送り出す、という本学の教育の中身を広く伝えていくことに集中しました。また、たくさんの卒業生が全国で専門職のリーダーとして活躍しています。こうした卒業生にも、いま母校は何をしているかと伝えるのに腐心しています。口コミによる広報は効果的です」
 最後に、今後も改革を続けるのですか? と岩井に問うた。「女性の自主自律という建学の精神を維持して、着実な改革により、さらに安定させていくこと。入口の入学、出口の就職とも安定させたい。そのために五年間かけて一学年の大学短大定員を1800人から1500人に減らし、教育の中身の充実を図ってきました」。岩井にとって、大学の安定という新たな改革が、まだまだ続く。

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