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平成21年5月 第2358号(5月13日)

九州国際大学の地域共創
  地域に立脚した大学の目指すもの
  次世代システム研究所の設立

 (学)九州国際大学法人経営企画室 神力潔司

 学校法人九州国際大学の起源は『九州法学校』が開設された昭和5年にまでさかのぼる。建学の精神である『単ニ知識ヲ授ケルバカリデナク、塾的精神ニ依リ、相互ニ心的鍛錬ヲナシ、以ッテ誠実、有為ナル人材ヲ養成スル』をモットーに、「人づくり」こそ教育の基本とした教育活動の実践をよりいっそう時代に沿った内容を具現化することにより、さらに発展継続することを目的に改革を継続している。このたびは、開設から80年にわたり取組を続けてきた地域連携活動について、同法人の法人経営企画室神力潔司氏に寄稿してもらった。三回連載。

 80周年を迎える学園の歴史
 本学園は、昭和5年、九州帝国大学法文学部の諸先生方のご尽力により、地域の勤労青年のための夜学として『九州法学校』と称して小倉地区(現北九州市小倉北区)に設立された。昭和15年には、『九州専門学校』となり、同22年には戸畑地区(現北九州市戸畑区)への移転と同時に『戸畑専門学校』へと改称し、法学教育の専門学校として新たに創設された。地域の発展とともに昭和24年に『八幡専門学校』、翌25年に『八幡大学』として新制大学の仲間入りをした。
 さらに、平成元年には、全国初の国際商学部の設置と同時に『学校法人九州国際大学』と名称を変更、同12年には付属中学校を開設するなど、現在も大学の立地する平野地区(北九州市八幡東区)ならびに中学校・高等学校が立地する枝光地区(北九州市八幡東区)の地域の方々によりいっそうの信頼と評価を頂くために邁進。そして、来年の平成22年には、法人の起源から80周年を迎える。
 学校法人付置の研究機関の設置
 科学技術の発展により、生活等の利便性が向上した反面、地球の有限資源を急速かつ不可逆的に枯渇し始めている。
 こうした状況を背景として、20世紀の政策型工業都市として発展を遂げてきた北九州地域を発信源とする、持続可能な社会の発展を目指した新しい思想に基づく社会技術の開発が求められていた。科学技術と人間、更には社会との新しい関係を模索し、複数の領域の知識を統合して新たな社会システムを構築していくための“社会技術”の研究を行うと共に、実験と実証を通じた調査・研究の場が必要であったといえよう。「社会技術」は工学、社会科学をまたがる学問領域の知識体系が必要となる。しかし、北九州市にはそれを研究・実践していく場がまだ存在せず、また、民間のシンクタンクでは、収益性の観点からこうした新分野の研究・実践はなじみにくいということもあった。
 そこで、地域の方々からの協力を受け、本学園が教育研究機関の一部として平成13年4月に「次世代システム研究所(以下、研究所)(http://foss-stock.org)」を設立することとなった。
 調査研究活動が実践的であるためには、具体的なフィールドが、さらにフィールドで自由に活動するための経済的担保の確保が必要となる。研究所がこれらの条件を満たし、経済的に自立するためには、国、自治体等との関係をより密接に深めることが必要であった。
 研究所では、学校法人としての特徴を活かし、産業界、学会、国、自治体と幅広い関係者から構成された「次世代システム研究会」を設立。研究所は、この研究会の事務局機能を担うとともに、各界との連携を持ちながら、地域から国への政策提言および地域の資源・環境、産業、生活の豊かさを持続させていく調査・研究・プランニング、世論形成を行なう、地域に根ざしたシンクタンクとしての機能を果たす。更に、その成果を国、自治体に向けた受託調査研究の企画として提案活動を実施した。
 学校法人附置の研究所としての特徴と、その基準に基づく自立性の確保が必要でもあったため、社会技術に関する様々な調査研究の受託。これを通して、学生、社会人、自治体職員等の実践教育の「場」としていくことが、新たな大学教育のスタイルを創造していく役割を持つと確信した。
 研究所の大きな役割は、自然科学/工学・社会科学・人文科学すべての分野の統合的観点から、日本を「ストック型社会(社会資本等の長寿命型社会)」、資源自立型社会に転換することを目的に、調査・研究活動を展開することであった。現在では、この機能を九州国際大学社会文化研究所が踏襲している。
 しかしながら、筆者が研究所設立準備期から感じていたことがある。
 それは、大学に“議決機関”として存在する教授会に対する、地域の行政・企業・市民の方々からの“地域から隔絶されているという不信感”だった。一言で言えば、世の中の変化のスピードから乖離しているとも捉えられがちな、学問的体系に拘束されたごとき研究者の行動パターンであり、はなはだ実践的な社会・経済活動の場では受け入れがたい手続主義への嫌悪感めいたものということもできよう。
 一方、学校法人側としても大学の附置研究所として設置するには、教職員からの十分なる理解を得られるという状況ではなかった。
 平成元年より、企業の経営経験を有する理事長を迎えたことにより、地域からの信頼は厚くなり、行政・企業関係者等との交流は管理部門である法人事務局を中心として活発になっていった。その一方、教育研究の側面からすれば、日本型の政策都市の宿命とも言える、素材産業をはじめとした「産業構造の変化に起因する臨海工業都市」としての地域の衰退は北九州地域の再浮上化への大きな課題でありながら、社会科学系の本学としての調査・研究活動の協力体制は、はなはだ貧弱なものと痛感した。
 入学者の確保や進路の側面のみならず、立地する地域にその存在の価値を求めることで生き残りをかけている多くの社会科学系の私立大学がそうであったように、本学園も地域貢献活動への進出により、地域との「絆」を深めていくことの重要性に最近ようやく辿り着いたということができる。
 しかし、多くの地方大学の教育職員がそうであるように、専門領域を踏み越えてまで教育、調査・研究活動を実施しないケースは今もなお確かに存在している。地域住民や地域企業からすれば、期待はずれな成果であり、ひいては存在価値に対する疑問へと悪循環を引き起こしていく。社会・経済活動のニーズへの不適応は、高等教育機関としての存在意義を自ら否定していることに早期に気づくことが重要なのだ。
 そういうことで、筆者は、教育機関の構成メンバーの一人として、地域の行政・企業・市民が「困っていること」、「面倒でややこしいこと」、「人的ネットワークを繋ぐこと」に役立つ人材であることを目指している。
 学校法人の教職員として、「私で何かお役に立つのであれば」という『GIVEの精神』で「人脈を広げ」、「自分の時間を使うことで相手の役に立つことであれば、何でもやる」という足で稼いだ『信頼と絆』が何よりも重要であると確信した。この人的なネットワークは数年の後に堅牢になり、このつながりの心地よさを学生有志に体験する機会を提供したいと考えるようになった。
 この思いつきは、その後、ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)集団による、学生教育事業へと発展していくこととなる。
 (つづく)

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