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教育学術オンライン

平成21年2月 第2349号(2月18日)

学士課程教育構築のポイント
  建学の精神の具現化、理事会の意識改革、大学職員の役割、
  学長のリーダーシップ
  黒田学士課程小委主査に聞く

 昨年十二月二十四日に「学士課程教育の構築に向けて」が中教審で答申(学士課程答申)された。一昨年秋に大学分科会制度教育部会の学士課程小委(主査=黒田壽二金沢工業大学学園長・総長)で「審議経過報告」が取りまとめられ、昨年春の「審議まとめ」となり、最終答申となった。答申では、これまでの学部教育から「学士課程教育」へと転換を促すものであり、各大学はその骨子であるディプロマ、カリキュラム、アドミッションの三つのポリシーに取り組んでいくことになる。そこで、学士課程小委の黒田主査に、各大学での取組に当ってのポイントを聞いた。

 ディプロマポリシーは教育目標の明確化から

 ―各大学は、学士課程答申をどう受け止め、どう対応すればよいですか。まずは、答申の背景からお伺いします。
 答申の背景には、高等教育のグローバル化、ユニバーサル化があります。
 まず、グローバル化ですが、世界各国が国際的に競争をしていく中で、人材育成を担う大学も国際化をせざるを得ません。大学が経済や科学技術と密接に結びつき、国家戦略の中に位置づけられる今日、日本国内にしか通じない今までの大学の教育研究では、世界に遅れをとってしまいます。
 ユニバーサル化については、これまで学力的にも均一で、学ぶ意欲が高い学生を対象に専門基礎教育をやってきましたが、高等教育への進学率が五〇%を超え、学力も意欲も幅広い、多様な学生が入学しています。
 このような事情に合わせて、大学は専門分野に加えて基礎学力や意欲の向上を支援しながら、国際的に通用する人材を教育しなければならないという声が上がってきました。これが答申の背景です。
 ―「学士課程教育」とは何ですか。
 これまでの大学教育は、学部の教員を中心とした教育でした。後で詳しく説明をしますが、教員が自分の研究分野を教えることを中心とした教育です。
 それに対して学士課程教育は、学生が何を学習したか、何をできるようになったかが重要になります。教員の役割は、学生の学習を支援し、その成果を確認することです。
 昔であれば、教員が自分の専門や研究内容を教えれば、後は意欲の高い学生たちが”勝手に”自学自習をしていました。しかし、今はそのまま研究内容を教えても理解できない学生も多いので、授業後の学習まで手を掛けなければなりません。研究内容と教育内容にずれが生じているのです。
 伝統的組織の学部・学科、大学院研究科から脱却し、「学士課程教育」を構築することが求められています。
 ―将来像答申との関係はどうですか。
 学士課程答申の前段にあるのは、「我が国の高等教育の将来像」答申(将来像答申)です。この将来像答申と今回の学士課程答申、それから「新時代の大学院教育」答申は、三点セットになっています。
 将来像答申の重要なポイントの一つは、国際的に通用する大学を創るためには、各大学は機能分化を図らなければならないということです。日本には総合大学もあれば単科大学もありますから、大学を全て同じに考えては一つの方向性は出せません。
 各大学が、それぞれ何を目指すか自らの哲学を持つということが重要です。七つの例示のうちの一つだけはなく、複数に該当するということもあるでしょう。それは当然、私学であれば建学の精神と無関係ではあり得ません。地域性もありますし、規模の違い、専門分野の違いもあります。
 その大学が良いか悪いかを判断するのは社会です。文部科学省でも同業の他大学でもありません。社会から見て、行ってもしようがない、ということであれば学生が集まらなくなるだけのことです。大学の評価のものさしは、もはや一つではないことを、大学関係者自身がもっと自覚する必要があると思います。
 それでは、具体的にどうしたら推進できるのでしょうか。学士課程答申では、三つのポリシーを決めよ、と言っています。
 ―まずは、ディプロマポリシーについて教えて下さい。
 図1を見て下さい。学士課程で一番大事な教育は、幅広い教養です。その土台があって初めて専門が生かされると考えます。学士課程答申では「学士力」という言葉を使用しました。教養=学士力を身に付けさせることが各大学共通の課題となります。
 学士力の最低レベルは、「社会人として生きる力」です。社会の物事に対して挑戦したり判断したりする力を養うことが求められます。
 一方、学士力の最高レベルは、「自分からものを改革できる力」です。専門家は自分で課題を見つけ出して分析して改革する力を持っています。言われたことだけやっているのは専門家ではありません。学士課程答申には、こうした学士力を付けさせた上で、各専門基礎分野のカリキュラムを作って下さい、と書いてあります。
 それにはまず、「自分の大学を卒業すると、こういう知識・能力が身に付きます」というように、各大学が教育目標を明確にすることです。教育目標をどれだけ達成できたかが、学位授与の判断基準となります。
 国際レベルには国際レベル、あるいは、地域レベルには地域レベルに必要な人材育成プログラムがそれぞれあるはずで、ここは各大学の独自性が問われるところです。繰り返しますが、大学教育の物指しは一つではないのです。
 こうした学士力が要求する能力と、例えば欧州のボローニャプロセスが要求する能力には一定の対応があり、国際的に共通する部分が多いのです。ただ、日本の場合は高等学校以前の教育との接続がありません。欧米では初等中等教育と高等教育との接続がきちんとしています。
 ―正課外教育も重要になります。
 学士課程教育は大きく分けて、正課と正課外に分けられます。さらに正課には、学士力と専門基礎学力があります。人間力は正課外教育で培われます。
 これまでのように専門分野の試験だけ合格しても、学士力の認定試験で落ちたら、学士課程教育の認定になりません。逆に、社会人が大学に入学する時は、そういう力は既に身についていると見なし、先に単位認定をし、専門分野だけを学ぶということもできます。
 図2を見て下さい。学士課程教育は正課と正課外両方身に付けないと卒業認定できません、ということを表しています。正課で学士力と専門基礎、正課外で人間力を養って初めて人間形成ができます。十全な人間形成をするには、正課外もしっかりと見ましょうということです。もちろん、学士力と人間力は厳密には分けられませんが…。
 それから、機能別分化との関係で言いますと、機能別分化は大学という機関を含めた話になります。研究型なら、まずは大学院の整備をしなければなりません。学士課程では、その大学院のアドミッションポリシーを満たす人材を育てるということですから、機能別分化に即して学士課程教育も構築されます。
 金沢工業大学だと、学士課程教育と言いながら、六年の課程を想定しています。四年で終われば学士、六年行けば修士。その間はきちんと接続されています。飛び入学は認めていません。なぜなら、四年次の卒業研究が非常に大事だからです。卒業研究を抜かして学問だけで大学院に行くと、自分で考えてものを解決する力がすごく下がるのです。そういう能力をつけさせるために「四年間」が必要となります。
 問題としては、就職採用の早期化との関係が挙げられます。就職活動期間を現実的に考えれば、三年目までに学士課程は終えなければなりません。四年目は研究のための能力をつけることで対応しています。
 ―学生の成績評価についてはどうですか。
 一人の教員が自由に成績評価を行なうのではなく、一定の組織的な取り組みというか、ポリシーに基づいたルールが必要です。
 講義後のテストは一般的ですが、全体の評価の何%を占めるかが明確にされていないことも多いのです。例えば、講義中の日常的な態度も評価に入れます。ポートフォリオで評価する場合もありますし、レポート提出で評価する場合もあります。これらを総合して成績を出しGPAになります。
 正直、これほどの大転換は日本の大学にとって不可能とも思えないでもありません。しかし、これだけやりませんと、日本の大学は世界に勝てないところまで来ているのです。これまで、抜本的な改革を引き伸ばしてきたつけが、ここに来て噴出しているのです。

 目標達成の講義の体系化カリキュラムポリシー

 ―カリキュラムポリシーはどうですか。
 先ほども触れましたが、日本の大学はカリキュラムを作る時、教員が何を教えたいかによって決まります。一方、今後求められるカリキュラムは全く逆に構成されます。すなわち、教育目標(ディプロマポリシー)を決め、その達成のために関連付けられた講義の体系を作り、一つ一つの講義を教えることができる教員を適切に配置しなければならないということです。
 一連のこうした取り組みを行うために、FDを実施して意識改革をして下さいということを答申に書いてあります。FDは先に義務化しましたが、その目的は授業の改善だけではなく、大学改革そのものなのです。
 医学部などは、国家資格に向かってカリキュラムが組まれているため、ある種のディプロマポリシー、カリキュラムポリシーが構築されていると言えますね。しかし、現場の医者として育成するのか、研究する医者=学者として育成するのかがはっきりしないという指摘もあります。現場の医者、研究者を同じ課程の中で育成しているために問題も起きてきています。
 社会人を育てるのか学者を育てるのか。どの大学も両方ありますが、これは比率の問題で、そこを明確にする必要はあるでしょう。
 ―人間力のカリキュラムデザインはできるのですか。
 人間力を育てるカリキュラムは難しいですが、デザインは可能です。プロジェクト型学習やサービスラーニング、インターンシップもそれが想定されています。初年次教育はまさにそれが教育目標です。そもそも、人間力は何かというと、社会で他人と接して、協働で物事を進めることができる力のことなのです。
 金沢工業大学だと初年次の数日間、研修センターで共同生活をさせます。リーダーシップも身につきます。本当は高校までで身に付けて欲しいのですが…。
 人間力の向上を評価するツールの一つが学習ポートフォリオです。様々な経験をした後、こういう力が付きました、こういう態度が足りませんなどと書き込んでいきます。ポートフォリオに記述された内容の蓄積が評価の対象となるわけです。数字として表せるものではありませんが、学生自身が何を経験し、そこから何を学んだのかが分かるということが大事です。
 人間力の育成は、教員だけがやるわけではありません。掃除のおばさんや警備員も含めた全職員です。学園・大学に関わる全員が、学生に教育をしたり注意をします。「自分の仕事ではないから注意をしない」ということにはなりません。
 学生が楽しく学園で過ごして多くの能力を高められるようにするには職員の学生に対する接し方が大切です。極端にいえば、専門分野を詰め込んで教えるのは教員、学生生活を支援するのは職員の仕事なのです。家庭で子供と接する父母の関係でしょうね。
 ―単位に対する学習時間の確保はどうですか。
 答申では単位の実質化にも触れています。大学設置基準では、授業で一五時間、正課外で三〇時間の計四五時間の学習に単位を出すように指定されていますが、これまでの大学は必ずしもこの文言に真剣に取り組んできませんでした。
 単位の実質化を実行するには、一五時間は授業をするとしても、三〇時間をどう学習させるかが問題です。例えば、図書館の整備の問題を考えてみましょう。
 単位の実質化を考えたとき、今の図書館は大きな問題があります。シラバスの中に参考文献・参考図書が書かれていても、一冊しか置いていない大学もありますから、一人が借りたら誰も借りられなくなるのです。学生がフルに図書館を使ったらスペースもありません。これは多くの大学で問題となるでしょう。
 インターンシップやサービスラーニングも有効です。しかし、社会に学びの場を求める場合、関係者との関係構築や学生のビジネスマナーの向上など、多くの手間もかかります。
 単位の実質化のバックグラウンドとして、こうした整備が必要です。時間もお金もかかる改革なのです。しかも、大学にとってこの改革にはインセンティブがあるわけではない。学士課程教育を構築しても、受験生が増える保証があるわけではないからです。
 文部科学省は、来年度からはGP事業をやめて、学士課程改革をする大学に出す交付金に特化しました。それが誘導策です。逆に、学士課程答申で見落としがちですが、改革を怠った大学は、退場という事態になってもやむを得ないという文言が入っています。
 文部科学省は、大学改革ができなければ面倒をみない、しかし、努力をしたら予算取りをすることを初めて明言したのです。
 ―学士課程に沿って順調に学力を身につける学生ばかりではないと思いますが、「落ちこぼれ」た学生へのフォローはどうしますか。
 初年次教育・導入教育・補習(リメディアル)教育等がとても重要になります。
 先ほど申しましたが、学力も意欲も多様な学生が入学して来ますから、一人一人の学生たちがどこでつまずいているかを丁寧に見つけなければなりません。
 中学校の数学で引っかかっているなら、そこから丁寧に解き方を教えるのです。分からない問題について、どの公式が関連しているかを理解しないと先にいけません。今の大学ではそうしたきめの細かい学習支援をしないまま、いつまで経っても大学レベルの問題を出して、「今の学生はできない」と言っているように見えます。できないと嘆くのではなく、できるように学生を引き上げる工夫をすることが、これからの大学の役割の一つではないでしょうか。こうした取り組みを、初年次教育でやって欲しいと思います。「そんなことまで大学がやるのか」という声も多く聞きますが、もしそこまで大学で支援しないのであれば、アドミッションポリシーに「中学数学の○○はクリアしていること」と書き込む必要があるということです。
 金沢工業大学では数理工教育センターを作りました。そこでは全く授業を持たないチューターもいて、正課で授業にづまずいたり、不安を持つ学生を支援しています。また、リメディアル教育の在り方を毎年見直して、教科書を改訂しています。

 大学が求める人材判定のアドミッションポリシー

 ―アドミッションポリシーはどうですか。
 自分の大学では、こういう教育目標でこういう学生を育てたいということを明確にすることです。学力の成績だけで選ばずに、AO入試などで面接して時間を掛けて選んで、大学が求める人材かを判定する基準がアドミッションポリシーです。高大接続テストが提案されていますが、センター試験のように学力を測るものではなく、例えば、能力を測るようなものを想定しています。
 ―学士課程教育の構築は何から始めればよいのですか。
 理事会が建学の精神を見直すことに尽きます。ただし、現代風に解釈をしなければなりません。建学の精神は今風に合わせたら「こういう位置づけになる」と学内外に明示することが大事です。例えば、「質実剛健」と書いてあっても、それだけでは具体的にどのようなことができる人材を育成するのかは分かりませんし、学習成果の評価もできません。まずは今の時代に合った言葉で説明すること。それがあって、次に教育の目標・目的を設定します。そこまでが理事会の仕事です。
 その次に、教授会が、理事会が提示した教育目標にあった具体的な教育体系をどうするか委員会等を設置して検討し、その教育体系に則した授業を配置し、FDを行ないながら教育目標の達成に努めます。これはPDCAサイクルとして継続的に改善されていくモデルですが、この仕組みづくりを行なうことが学士課程教育の構築の実質的な作業といえます。
 基本的にはトップダウンですが、議論の過程ではボトムアップも必要でしょう。最終決定は理事会ですが、議論は全教職員が納得する形でやります。まずは理事会の意識が変わらないといけないでしょう。
 ―大学職員の役割は何ですか。
 大学職員の役割はますます重要になります。職員は、数年で配置換えがあり基本的にジェネラリストとして仕事を行いますが、今後はスペシャリストの養成も重要になるでしょう。
 金沢工業大学でも、配置を固定したスペシャリストがいます。今後、大学が生き残っていくには様々な専門職が必要になりますから、スペシャリストを育成していかざるを得ないのです。今の仕組みでは教員にばかり負担を掛けてしまっています。教育の一部分を様々な専門能力を有した職員が担っていかなければなりません。
 事務職員には物事を改革する力が大事です。自分で物事を分析して解決できる能力をつけないと、もはや改革は遅れるばかりでしょう。
 そのとき、FDとSDが重要になるのです。大学改革の基本は、組織的な授業改善です。大学はもはや個人プレーの場ではありません。個人プレーでは真の改革ができません。
 ―学士課程教育構築の現場責任者は誰が担うべきでしょうか?
 学長です。学長の下に、どのような委員会が作られるかが鍵です。国立大学法人の改革はそれも想定され、学長の権限を強化しました。現在では、国立大の方が改革は進んでいます。私立大の改革は後塵を拝してしまっているようです。
 学長がリーダーシップをとりつつ、現場の意識が変わらなければ、本当の改革は不可能です。学長のリーダーシップの取り方は人によってそれぞれですが、教職員全員にまずは意見を言ってもらい、最後は自らが判断します。そういう判断能力、というか調整力がトップにあるかどうか。誰の意見も聞かずに、「自分がこうしたいから」というのは反発が多いですし、大方はついて来ません。教員一人ひとりは一国一城の主だから無理にまとめようとせずに、まずはよく話を聞いて、最後の結論は学長自身で出します。
 その力を持っていることがリーダーシップの条件です。(おわり)

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