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平成19年3月 第2265号(3月7日)

USRの本質は持続可能な社会の実現
  高 巌麗澤大学企業倫理研究センター長に聞く

 「大学の社会的責任(USR)」が注目を集め、コンプライアンス、リスクマネジメント、情報公開など、様々な取組を行う必要性が説かれている。しかしながら、取組が多様化する中で、「そもそも何故USRに取り組むのか」という原理原則が見えづらくなっている。企業の倫理問題について長年研究し、文部科学省の研究費の不正対策検討会の委員も務める高 巌麗澤大学企業倫理研究センター長に、USRとコンプライアンスについて伺った。

―最近では、大学でも「社会的責任」が叫ばれ、特にコンプライアンス(倫理法令順守)が非常に重要な取組として認知されつつあります。大学は、特にコンプライアンスのために具体的に何をすればよいのでしょうか。
 コンプライアンスには三つのレベルがあります。まずは、関連する法令をきっちりと守る「法的な責任」です。次に、法令の基本的な考え方まで立ち戻って、意味や理念を汲み取って実践していく「倫理的な責任」。最後に、法令だけではなく、主体的にコミュニティ活動に参加したり、社会に対する貢献といった「社会的な責任」です。これら三つを総称してコンプライアンスやUSRと言っていると思います。
 「法的な責任」としては、最近では公的研究費の不正使用問題がそれに当たります。従来、大学では起こらないと考えられていたことが、実はそうではなかった。大学や研究者の信頼が揺らいできています。これはコンプライアンスの取組の中で、特にきっちりと取り組まなければなりません。政府の公的な予算や学生の納付金の一部が研究費に回ってくるのですから、適正に使用することは研究者に課される基本的な責任だと思います。
 「倫理的な責任」とは、例えば、学生に対する成績評価などにも求められます。学生から「何故この成績なのか」と説明を求められれば、明確な説明責任を果たさなければなりません。しかし、これがきちんと行われているかと思ったら、実は不明確なケースもある。大学や学生と教員は「信認」の関係にありますから、学生の利益になるように一人ひとりを大切にする、信認に応える、という意識で教育に当たらなければ、こうした倫理的な責任を果たすことはできないと思います。
 最も難しいのは三番目の「社会的な責任」です。社会的な責任において、大学がまず出来ることと言えば、知的な世界での貢献でしょう。新しい知の創造や、科学技術の発見・発明が一番のUSRだと思います。社会科学系であれば、持続的な社会を実現するための知の創造です。これが、基本的な大学の社会的な責任だと思います。
 また、地域への貢献活動があげられます。麗澤大学でも、地域のインターネットの基盤づくりに貢献したり、学生による地域ネットワークの支援などを行っています。あるいは、教員が行政改革などの自治体審議会メンバーとなって、より住みやすいコミュニティの構築に協力させてもらっています。
 もっとも、地域の行政改革などが順調に進まなければ、大学の存立にも関わってきますから、USRの本質は、持続可能な地域と大学をいかに作るか、ということになるのではないかと思います。例えば、地元・柏市立の図書館を維持管理するのではなく、大学の図書館を積極的に開放し、市民に利用して頂くなど、大学と地域の連携を探ることも取組の一例でしょう。地域の財政負担を軽減するような取組や、地域が活性化するためのキャンペーンを張るなど、大学が果たす役割は多岐にわたると思います。
 こうした取組自体は、USRなどという言葉が出てくる前から行っていたわけですから、USRの動きは今までやってきた活動を再認識する、ということなのかもしれません。
 従って、USRと言った場合に、それを定型化して、「これと、これと、これをやればUSRです」というものではなくて、「持続可能な社会」をつくるために、自分の大学では果たして何ができるか、専門で何ができるかを考えながらやれば、それぞれの大学で多様なことができるのではないでしょうか。
―USRは、持続可能性がキーワードということでしょうか。
 その通りです。持続可能な社会をつくるために、それぞれの大学がどういう貢献をしていくかということではないでしょうか。
 「大学が持続可能である」ためには、当然、法令も守らなければならないし、信用して入ってきた学生の期待にも応えなければならない。また、地域や社会も持続可能でなければなりません。
 だから、「大学の社会的責任」とは、持続可能な社会をつくることに他なりません。その視点で活動をすれば、全てUSRになります。そこから考えれば、色々な取組が生まれてきますよ。 ―「CSR(企業の社会的責任)」との違いは。
 企業の不祥事などに対しては、マーケットが敏感に反応しますが、大学については、受験生が見ているところは違いますので、研究費の不正使用が起きても、ブランドが下がるということはあまりありません。また、教員の不祥事は、大学よりも個人の処罰として扱われています。それでは、USRを行わないとどのようなリスクがあるかと言えば、行政からの処罰を受けるということでしょうね。
 最近の文部科学省の検討会では、大学側がきちんと研究費を管理せず、問題を起こすと、数年間、その大学の教員全員が研究費を受けられなくなる等のルールを作ろうとしています。大学として管理していくには職員の協力を得なければなりませんが、職員が教員を厳しく管理する、ということは、なかなかできないのではないでしょうか。おそらく、職員は教員に対し遠慮しますし、教員は職員からとやかく言われれば、反発を覚えるかもしれません。それゆえ、教員に対する倫理意識を高揚していく必要もあるでしょうね(笑)。
―USRは教育とどのように関係してくるのでしょうか。
 全てのUSR活動は、教育に結びつきます。教室の講義だけが教育ではありません。そもそも教員が、法令順守も倫理実践も出来ておらず、研究費の使い方もずさんであれば、学生(特に大学院の研究者)がそれを見て「研究費の扱い方がずさんだな」と思いますよね。それは、マイナスの教育効果であるわけです。あるいは、「ああ、こういうことが普通なのか。自分もこうすればいいのか」と学生が学習したら、将来の研究者の質すらも下げてしまいます。いわば、自覚があるなしに拘らず、研究費の不正使用を行う研究者を育てることになる。一方で、研究費もしっかりと管理し、例えば、キャンパス内にごみが落ちていたら拾うなどと心がけていれば、それを見た学生は、次から同じような行動を取るでしょう。
 新しい研究者を育てる、とはそういうことですよね。研究成果だけではなく、日々日常の研究プロセスも、日常の行動すらも研究者を育てる機会になっているということです。
―USR活動に教員を巻き込むにはどうすればよいでしょうか。
 地域貢献について言えば、いきなり教員全員でやる必要はないし、教授会全員一致で何かやる、ということではありません。関心のある教員が出来るところからやる、ということです。麗澤大学でも、公開講座をやる人もやらない人もいます。教員の腰が一番重たいのは分かりますが、教員全員が賛同しなければ何も出来ないということではありませんよね。思いついたところから、機会を手にした教員や職員から取組を始めていけばよろしいのではないでしょうか。そういう方が大勢いらっしゃればよいですね。
―教員の気持ちを改めてもらうには。
 麗澤大学では、大学教員向け「モデル倫理綱領」を作成して公表していますが、そういうものを見て頂いて、「社会的な責任を果たさないと大変なリスクがあるぞ」ということに気付いて頂きたいと思います。教員は自由に研究できる権利がある一方で、その自由に対する責任があります。一部の教員はそれを忘れてしまっていると感じることもあります。恐らく、学生に教えていることだとは思いますが、それは自分に対しての言葉でもある、ということだと思います。
 コツコツとやっていて、外部資金をたくさん導入しないから評価はされないかもしれませんが、ゆっくりあせらず、持続可能性を考えながらやっていけば、そのうち評価されるのではないでしょうかね。
◇  ◇  ◇
 麗澤大学の大学教員向けモデル倫理綱領は、次のウェブページから読むことができる。http://r-bec.reitaku-u.ac.jp/files/R-BEC0504.pdf

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