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平成19年3月 第2265号(3月7日)

エッセイD 健やかに生きる

聖路加看護大学理事長 日野原重明

 私は過去四回に分けて、私の考える「健康とは」のエッセイを書き、四回目には当人は何かの疾患を自覚的に、または無自覚的にもっていても、それで病人と呼んでしまえるものでなく、疾患や欠損を若干持っていても、自覚的に健康感が持てれば、それは健康人と呼んでよいと書いた。
 今回は、欠損や疾患を必ずもっている老人でも健やかに生きている老人のいることを述べてみたいと思う。
 人間ドックを定期的に一年に一回受け、もう五〇回も受けている受診者を私は今も主治医として担当している。途中で、胃癌が、次いで大腸癌が早期に発見されて、今なお、毎年人間ドックを受診している人がいる。老年が近づくと、齢とともに何かの疾患が発見されて、高血圧症だと降圧剤を、糖尿病が現れると、食事の量と内容の制限がなされてきた。しかし、その方は八〇歳でも見事に実業界での仕事を続けられている。つまり、齢とともに重なる慢性疾患をもって、高血圧や高血糖症や高コレステロール血症はありながらも、それらが増悪されないように保たれていて、未だに仕事やボランティアの仕事を続けている老人は少なくない。
 このような人は、行動できる筋力や体力、そして筋を支える骨に骨折を起こすことなく、そのために外部での社会活動が続けられる。また、インフルエンザなどに感染しないよう予防ワクチンを接種し、適度の運動を続けておれば骨折が予防され、全身の脆弱化(Frailty)の進行が、先延ばしになるという、この脆弱化への対応がなされれば、高齢でも立派に社会活動に参与できるのである。
 記憶力は二〇歳を境に徐々に低下するにしても、ものの判断力はむしろ長生きしている間の状況判断でその力を維持することができる。
 そして一生の間にいろいろの苦難な経験をしたことがかえって人間の感性を磨き、忍容力を強くさせるのである。
 従って感染を予防し、倒れて骨折を起こすようなことがなければ、全く一人歩きができ、関節などの障害で歩行困難であれば、座ったままでも骨や筋肉の運動ができ、車椅子や自動車を使って行動が狭められない自立的生活が可能となる。それは実際上老いていない高齢者として生きているのである。
 老人が上手に歩く(踵をまず地につけ、次のステップの時、後ろを支える下肢が十分に延ばされて前上方を見つめてしっかり歩くという)健康歩行が保たれ、坂本 九が歌ったような心の上向きの気持ちと相まると、人は健康像を他人に示すことができるのである。
 このように行動すれば、職業のあるなしに関わらず、社会への奉仕の技が自発的に行われる。その姿こそが健康像となることを読者にお知らせしたく思う。

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