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平成19年2月 第2264号(2月28日)

亥の年男の弁

聖路加看護大学理事長 日野原重明

 干支では、平成十九年は丁亥(ていがい)にあたる。丁は一〇年ごとに、亥は一二年ごとに来る。この丁と亥が重なるのは六〇年に一回であり、私が九五歳になるまでにこの丁亥に合えることは、例外的で非常に幸運だと干支の専門家は言う。
 私が生まれたのは明治四十四年、明治時代には「ひのえうま」と言って、この二つが重なった女性は忌み嫌われ、一月三日生まれを前年の十二月末にしたり、ひのえうまの生まれの年末を避けて次の年の一月初めに生まれたとして申告したので、明治年間だけでなく大正年間までも、ひのえうまの年の出生率は目立って低いという現象が起こった。
 一般に、亥の年に生まれた人は猪突猛進型の人間、特に男性ではそう言われ、いかにも男らしい性格を持つものが多いとされた。しかし、実際に動物学者や動物園長に聞くと、猪は必ずしも蛮勇を奮った行動をとるものではないが、何か身辺に危険を感じた時だけ乱暴な行動をとるとも説明されている。中国では猪は豚と同じに見なされるそうである。私は小学生の時、自分の意志を強く通す性格であったようで、嫌だと思うと親が説得しようとしてもそれを受け入れようとしない性格だったそうで、まさに亥の年男と思われていたようである。
 親しい小学校の先生が、お宅のお子さんは順調に成長すれば立派な大人になれるが、うまくいかなければ困ったことになると批判していたということを、私は少し大きくなった時、母から聞かされたことがある。
 私自身、自分は意志を曲げないで突っ張る性格だと思っているが、友人と喧嘩をしたという追憶はほとんどなく、小学校三年生の時、力の強い友だちと口論し、彼の腕力にはかなわないと思って便所に逃げ込んだところ、後ろから彼に押されて着物を汚したという思い出がある。
 私は人のいない所で人を批判することはしないように心得ている。注意すべき若い人には直に注意する。
 また、教え子から何か恩を感じない行動や言語を人から知らされた時には、興奮せず、そのうち彼が指導者にでもなった時にはわかるよと思って、むきにはならない性格だと自分では思っている。
 人間には誰にも失敗があり、誤りもある。だが、それをごまかさないで、その償いは長生きさえすれば償えると思っている。これは亥の年男の性格とどうかかわるのかはわからないが。
 もう一回り生き延びれば一〇八歳で、今の日本にはそれほど多くはいないと思われる。大それた希望は持たないでおこう。

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