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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.572
数値に何を語らせるのか?
―IRの「日本化」と学生調査の「機能化」―
第60回公開研究会の議論から

木村拓也(九州大学基幹教育院准教授)

 IRという言葉が大学業界を席巻して10年ほど経過した。この間、様々な大学でIR室が設置された他,大学間連携の形まで誕生した。大学改革の速度上昇に伴い、データに基づく的確で素早い判断を要する大学ガバナンスや教学マネジメントへのニーズは高まる一方、この10年、何を一体どうすればIRが我が国の大学において「機能化」するかは全く手探り状態であった。それは、米国で始まったIRを「日本化」する作業であり、幾多の輸入学問や各種制度が辿った宿命でもある。急速に拡大したIRへの戸惑いが全国から聞こえてくる中、IRの中でも「教学マネジメントで用いるデータの主要な役割を担うツールとしての学生調査」の現在地に焦点をあてて、第60回公開研究会「学生調査とIR」は10月21日に開催された。
 まず、IRを巡る全体状況を俯瞰した早稲田大の沖 清豪教授(私学高等教育研究所研究員)の報告(2013年私高研プロジェクトによる調査)は、我が国におけるIRの「日本化」の状況を示すこととなった。まず、IR組織の設置状況であるが、「設置済み」が30.2%とこの五年間で倍増、「未設置だが設置予定」も22.9%とこちらも倍増であり、順調なIR組織の設置状況が伺える。その一方で、「設置予定無し」が48.8%と未だ約半数あり、認知状況(81.5%)、及び、必要性の認識(85.8%)とのギャップが指摘できる。この背景には、予算や人材の確保の難しさもあろうが、IR組織の貢献状況にばらつきがあることも影響しているだろう。実際、沖教授が報告した調査結果によると、「データの提供」面では貢献している一方、相対的に「データの分析」や「改善策の提案」面での貢献度は低い。また、我が国では、認証評価などの対応では機能する一方で、卒業生調査やエンロールマネジメント、財政的観点からのチェック機能までには及んでいない場合が多い。その一方で、IRが本格稼働してから10年の間に、教育改善が大きくみられたと答えたのは、IR機関を「設置済み」大学と答えた大学(32.1%)であり、「設置予定」の割合(20.8%)を大きく上回った。更に、従来の調査と比較した結果、規模や設立年度の新旧によってIR機能の活用に差がみられなくなったと沖教授は言う。このことは、予算や人材確保ができる大規模大学のみが「万能的な」IR機能を持ちうるという状態ではなく、例え小規模大学であっても、その必要性に気づいた大学から、必要な規模でIR機能を「取捨選択」して活用し始めたという状況ではないだろうか。
 こうしたIRを巡る全体把握に国際的・政策的な観点を付与したのが、同志社大の山田礼子教授(同研究員)の講演である。山田教授からは、トランスナショナルレベルでは、チューニング・プログラムやAHELOなど、国レベルでは、分野別参照基準の策定や大学ポートレートなどの教育の質保証の取り組みの中、機関レベルでは、プログラムやカリキュラムの整備とともに、それを評価する多様な学修成果の把握方法が必要とされる背景が解説された。そもそもIRが大学内の様々な情報を収集して数値化・可視化をし、教育のみならず、研究・学生支援・財務経営に役立たせる活動を指すのが米国での定義であろうが、認証評価対応としてのIRと内部質保証としての教学IRが発展してきたのが日本独自の歩みであり、これは先述の調査結果とも合致する。この教学IRで中核的な役割を果たして来たのが、標準的学生調査であり、米国ではカリフォルニア大学高等教育研究所が主催するCIRPなどが知られている。許諾のもと日本の大学の実情にあわせて質問項目を改訂し開発されたものが日本版大学生調査研究プログラム(JCIRP)であり、参加大学・短大六七〇機関、参加学生約13万人の大規模プロジェクトであった。2004年度の科学研究費から始まったその歩みは3つの科学研究費を経て10年。これは、ほぼ日本でのIRの歩みと一致する。短大版は、2014年度から正式に短大基準協会の独自事業として実質化し、大学版もJCIRPからJSAAP(Joint Student Achievement Assessing Project)と名称を変更。2015年度から全国大学共通型学生調査プロジェクト「ジェイ・サープ学生調査」(http://jsaap.jp/)として事業化する。
 では、IRの部分としての学生調査を如何に「機能化」させていくのか。この点について上記のジェイ・サープ学生調査から説明したのが、青山学院大の杉谷祐美子准教授(同研究員)と木村拓也(筆者)である。杉谷准教授からは、認証評価対策として行うデータ整理の際に経年変化した項目を検出し、そこから別の関連項目の値が変化していないかを探索することで自大学の問題に近づく具体例が提示された。また、杉谷准教授からは、「大学に行きたくないときがある」「授業をさぼった」などの項目にYesと答えた学生群をつくり、ジェイ・サープ学生調査内でリスク学生群を創出する仕掛けなども紹介された。
 木村拓也(筆者)は、米国のIRで用いられている「ダッシュボード」(計測器)を参考に、統計機能の一切無いグラフ描画機能のみのシンプルなデータベースを設計したことを報告した。学生調査の「機能化」に向けては、まず経年で学生調査を行う必要がある。全国共通に開発されたジェイ・サープ学生調査などに参加するなら尚良い。グラフで大きな差が確認された場合には、関連項目を徹底的に洗い出す作業が必要となる。その場合、杉谷准教授が述べた詳細な分析が有用であり、そこに時間とコストの多くをかけるべきである。通常、継続調査では結果が毎年劇的に変わることは少ない。だからこそ、毎年のデータ処理の労苦は最少であることが望ましい。そうした意図をもってこのデータベースは作られている。
 また、我が国の学内委員会の実情に合わせて、質問項目を学生・教務委員会、入試委員会、就職委員会別に表示するように工夫したが、これもIRの「日本化」の一つである。ジェイ・サープ学生調査に参加することで上記の質問項目とデータベースは全て使用可能となる。
 最後の質疑・討論では、大学評価・学位授与機構の森 利枝准教授(同研究員)が述べた、IRはデータが全ての前提となり、常に数値を見るだけの危険がつきまとう、肝心なのは意味ある情報にすること、という言葉が印象に残った。
 統計ができるからデータが解釈できる訳ではない。自大学の文脈を理解しなければ、数値は意味あるものになりえない。もし、学生調査に参加したとしても、ただ参加しただけでは教育改善は始まらない。どういう目的で参加するのかといった計画から既にIRは始まる。数値に何を語らせるのか。IRが「日本化」された今、次はIRを「自大学化」する番なのだ。

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