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平成19年1月 第2258号(1月10日)

地域貢献活動を学習に "サービス・ラーニング"の試み −1−

国際基督教大学 サービス・ラーニングプログラム担当講師 村上むつ子

 学生の地域ボランティア活動に教育効果を織り交ぜた「サービス・ラーニング」という手法が注目を集めている。文部科学省の現代GPにおいても、同手法を冠したテーマで、数校が選定されている。サービス・ラーニングの特徴とは何か、日本で初めて取組を始めた国際基督教大学の、村上むつ子サービス・ラーニングプログラム担当講師・コーディネーターに寄稿して頂いた。

 サービス・ラーニングとは何か
 「サービス・ラーニング(Service−Learning)」という教育手法が近年、日本で注目されている。サービス・ラーニングとは、文字どおりサービス(貢献活動)とラーニング(学習)をつなげ、ボランティア活動を学外で行い、その活動体験を通して学びを獲得することを目指す教育である。
 なぜ、日本で今、脚光をあびているのか?
 昨年明るみに出た高校での履修不足問題を待つまでもなく、日本の教育は長く受験競争に偏り、その弊害は指摘されながら、今まで根本的な改革には至らなかった。受験競争を経て辿り着く大学の講義は、学問的には高度であっても、多くは旧来の知識重視の大教室での教育が中心である。
 戦後の日本社会は、こうした教育を受けた若者を受け入れ、経済発展を遂げてきたが、急速なグローバル化が一九八〇年代から進み始め、世界各地で高度な教育を求める声が高まりをみせている。そして、二十一世紀に求められる能力をもつ人材をどのような教育で生み出すかが、世界共通のアジェンダになったのである。
 高度な専門知識や技術が、ますます求められるのは事実である。しかし、従来のような「知識の詰め込み」では充分ではない。専門知識が効果的に活かされるには、別の「能力」も不可欠なのである。例えば、社会のそれぞれの場で問題を解決に導く能力、リーダーシップ、創造性、コミュニケーション能力、共感力、想像力、語学力、広く深いグローバルな視野、高い倫理や市民性…これらも同様に重要視されるのである。日本人が往々にして苦手とされる能力であり、日本の教育システムが積み残してきた課題とも一致する。

 日本においても、二〇〇一年十一月の大学審議会答申「グローバル時代に求められる高等教育の在り方について」に、「各大学においては、ボランティア活動などの社会貢献活動を授業に位置付けるなどの取り組みをすすめるとともに、国内外でのフィールドワークなどの機会を充実することが必要だ」とする、体験ベース教育を重視する見解も現れた。その後もボランティア活動の教育的効果の認識は年々広がり、学問外の能力を補足的に開発する手法としてカリキュラム化も図られている。その延長線に、数歩進んだ形としての「サービス・ラーニング」が浮上しているのである。
 しかしながら、サービス・ラーニングは単なるボランティア活動とは違い、活動体験が終われば完結するものではない。活動のあとに「振り返り」という作業が組み込まれ、学生本人が自分の体験から血の通った学びを引き出し、意識化し、自らエンパワーするようなガイダンスをする教育手法なのである。様々な国の教育現場ですでに実践され、その教育効果の実績や議論がもれ聞こえてくる。そうした情報を通して、日本においては、サービス・ラーニングは、積み残してきた教育課題に答え、人間としての基本的能力や総合的な社会性を学生に身につけさせる手段になるのではなないか、同時に大学に求められている「地域社会との連携」とも重なるのではないか、と期待されているように見える。

アメリカでの実践事例
 それでは、サービス・ラーニングを目に見える形で活発に教育に取り入れられてきているアメリカでは、どのように実践されているかを見てみたい。
 学生や若者が学外で行う地域貢献型のボランティア活動は、「コミュニティ・サービス」と呼ばれ、「K―12」という初等中等教育の一二年間のそれぞれの段階で積極的に実施されている。学校側が活動メニューを用意して学生に選ばせるだけでなく、学生自身が企画する「コミュニティ・プロジェクト」を広く後押ししている。小学生や高校生たちが、地域社会にどうやって貢献するか具体案を考え、独自のプロジェクトを立案、実行するのを教員がサポートする。活動範囲は、地域開発、環境、動物保護、防犯、福祉、ホームレス支援、高齢者との交流、教育など広範にわたり、教員が教科と組み合わせて企画することもあれば、課外活動として奨励することもある。全米の高校生の半数以上が何らかの形でコミュニティ・サービスを行っているといわれ、大学入試の選考過程でも、活動実績が大きく評価されるのが常である。
 大学レベルになると、学生が学内で得る専門知識をサービス活動に積極的に応用することが多いが、大学により取り組み方のスタイルは異なる。サービス・ラーニングが卒業の条件になっている大学もあれば、単独での選択科目にしている大学もある。また個々の専門科目の一部に取り入れられる場合もあれば、大学総体としてダイナミックに展開しているケースもある。
 モントレーベイにあるカリフォルニア州立大学では、大学ぐるみで周辺地域の恵まれない住民、とくに若者へのサポート活動に取組んでいる。全学生が必修とされるが、その四〇%がその地域の低ランク高校の生徒の家庭教師やメンター役として関わっている。大学教員も自ら、地域の小学校から高校の先生達に協力を申し出て、カリキュラム改善や、授業運営ワークショップなどを提供している。同大学の広範かつ総合的なコミュニティ・サービスに対しては、昨年、専門機関から「高等教育コミュニティ・サービス大統領賞」が与えられた。
 ミルウォーキー市では、一〇〇〇名ものウイスコンシン大学生が市内の学校や非営利機関でサービス活動を実践している。活動内容は、高校生への放課後の学習支援や野生動物保護、貧困家庭や知的障害者への援助と幅が広い。科目との組み合わせで注目されているのは、「多文化とコミュニティズ」である。これは、学生は教室で「文化の多様性」の理論を学び、地域サービス活動を通して現実の多文化への気づきが促され、体感するという。二〇〇〇年に英語学の教授が始め、今まで累計で八〇〇〇人が参加している。

学問から実践への転換
 アメリカのサービス・ラーニングに印象的なのは、大学教員が自分の学問分野をサービス・ラーニングに転換する発想と実行力である。ハーバード大学の文学部には、学期末の一ヶ月間、それまで学んだシェークスピア文学を応用してサービス活動を課す教授がいる。どうやって学びを地域活動にするのか考えるのも課題の一部ということだ。例えば、公立図書館で、こども向けにシェークスピア文学を解説する会を催したり、病院で長期療養をしている入院患者のベッド脇でシェークスピア作品を読んで聞かせるのだという。
 また、シカゴの大学のある歴史学者は「脱工業化社会」理論の専門家だが、毎年、その授業を履修している学生をシカゴ周辺のホームレス・シェルターに送り込む。学生はホームレスの人々と何週間も親しく接触し、彼らの状況と現代アメリカ社会の雇用体系やホームレスの問題の原因をさぐりながら、教室で学んだ事と結び付けていく。
 ロードアイランド州のパーデュー大学ではエンジニアリングの教授の指導のもと、学んだ技術や知識を使って地域に役に立つ製品やサービスを開発・商品化する短期・長期的なプロジェクトを八〇チームの学生が展開している。テーマとしては、水質向上、テクノロジー教育、遊戯場の安全確保などがある。エンジニアリング教育とサービス活動を結び付けた画期的なプログロムだと評判になり、他の一七大学でも実践するようになったという。

サービス・ラーニングの歴史
 アメリカのサービス・ラーニングの基礎は、一〇〇年近く前に教育学者、ジョン・デューイが提唱した「体験的教育」理論だとされる。デューイは学校制度のなかで知識を伝授するだけが教育ではなく、体験を通して獲得する学びにこそ真の教育があるという「行動による学習」論を展開・実践した。また、子どもが他者へのサービスを行うという概念や、体験を振り返るプロセスの重要性など、サービス・ラーニングの基本原理も指摘した。体験教育への関心や議論はその後、時代を超えて、社会学者、心理学者、教育学者たちに研究され、地下水のようにアメリカの教育界に脈々と引き継がれていく。
 「サービス・ラーニング」という言葉が生まれたのは一九六〇年代後半である。公民権運動が盛んになり、市民による自主的活動が社会に変革をもたらすことを体験していく時代でもあった。アメリカ社会は、キリスト教に基づくボランティア活動の伝統が強く、「サービス」という概念も一般的に広く受け入れられている。そういう文化的土壌もあり、子どもや学生がサービス体験を通して人間として成長し、社会的責任感が強くなる、という社会的なコンセンサスが形成されていった。連邦政府でも一九九〇年には全米コミュニティ・サービス制定法を定め、後に「全国・地域コミュニティ・サービス公社」を設置し、精力的に各地の活動を支援している。
 各教育現場では一九八〇年代に課外活動として実施され始め、次第にカリキュラム開発がすすんでいく。大学が目に見えて展開するのも八〇年代以降である。呼び水になったといわれるのが、一九八五年にブラウン大学、スタンフォード大学の学長と州教育委員長が創設した「キャンパス・コンパクト」という組織である。大学教育に取り入れる呼びかけを行い、「大学が地域社会の改善に寄与し、在校生を市民としての社会的責任感を持つように教育する」ことを使命とした。
 当時のアメリカは、金融業界が急速に発展し、若者が金もうけ主義、また、自分の事しか考えない「ミーイズム」に陥っているという危惧が蔓延していた。サービス活動は、そのような傾向を打破するにも、高等教育を充実させるにも有効、と考えたのである。その後、キャンパス・コンパクトに参加する大学は年々増え、現在では全米の一〇〇〇校以上の大学が加入しており、その傘下には五〇〇万人の大学生がいる。

交流・研究活動もさかんに
 この一〇年ほどは、アメリカ国内でもサービス・ラーニングの大学関係者のネットワークが広がり、情報や意見の交換が活発になった。その結果、実践だけでなく、研究対象分野として取り組もうという試みも特に盛んになっているようだ。二〇〇六年十月にオレゴン州のポートランド州立大学で行われた「第六回サービス・ラーニング研究国際会議」は副題が「情熱から客観性へ」であったが、文字どおり、サービス・ラーニングの教育的効果を証明可能な社会科学的なアプローチを用いて、学術的に評価しようという動きを象徴しているようでもあった。
 研究活動としては、サービス・ラーニングを行った学生の事前・事後について、思索的、行動的な変化の調査から始まり、効果的なプログラム事例の分析、あるいは「人格教育」「社会的責任能力開発」「市民教育」の観点からの効果測定、と様々だ。また、学生と教員の、大学と地域社会の「協働」という観点からのアプローチや、履修科目理解や成績へのインパクトを分析するなど百家争鳴の議論が続いている。
 最近のもう一つの傾向は、サービス・ラーニングの国際化である。二〇〇一年の同時多発テロも引き金になったともいわれるが、学生のサービス活動を外国で行うプログラムがアメリカの大学で増えている。サービス・ラーニングの手法も世界的な広がりをみせ、北米やヨーロッパだけでなく、アジア各国やアフリカや南アメリカの多くの大学が取り入れてきている。その広がりが示しているのは、国を問わず、世界の高等教育機関が二十一世紀型の教育モデルを模索しているなかで、サービス・ラーニングという手法に旧来の大学教育を越える地平の広がりを見ているからではないだろうか。(つづく)

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